2
Y公園は、知る人には知られている「穴場」らしい。
敷地が広く、一歩中に入れば奥の方に円形のだだっ広い自由スペースがある。周りは木々の植え込みなど、視界を外から遮るもので囲われており、外界の音が聞こえにくくなっている。情報に早い者がさっそく口コミでも広めたのだろう。休日には、Y公園はアマチュアダンサーや役者の卵たちの格好の練習場所とされていたようだ。
もちろん、場所の確保も戦いだ。いかに有利な練習時間と邪魔されないスペースを獲得できるかが、夢を追う者たちの力試しなのだろう。
つまり、夜も更けた頃に身体を動かす彼女は、いうなれば、場所取り合戦に負けたともいえる。
「難儀なものだなあ」
「五月女が難しい言葉を使ってる」
凪がひとりごとをつぶやくと同時に、バカにしたような視線が横からぶつかってきた。同僚である。
「だって夜から朝までずっと動いててさ。いつ休んでんだろう」
「昼に寝てるんじゃないの」
「うーん、どうなんだろうなあ」
商品の陳列棚をチェックしながら、最近ハマっている趣味を同僚に語る。悪趣味な男だと、同僚はますますバカにする視線を投げる。
客の応対を終えた後、あんたはさー、と小言を言われる。
「冷めてるし、意地悪だし、どうしようもないし」
言われた凪は、毎回くり返される文句を右から左に聞き流しながら、本社から押しつけられた売れ残りの商品をどうさばくか、考え始める。
(何か雰囲気変わった?)
数日後、いつも通りに観察を続ける凪の目に、今日の彼女は身体の動かし方が違って見えた。
何がどう違うのか、うまく説明できない。凪は踊りの素人だ。専門の知識はない。けれど彼女の佇まいが、全身が、何かをひどく糾弾しているように感じられた。
その分、踊りに力強さは出た。しなやかだった手の振りは決めるべきポジションで決められるようになってきたし、足さばきなどアスリートのように雄々しく、格闘技の型を見ているようだ。
(泣けるねえ、技術を身につける努力は)
興味半分、冷やかし半分で、凪は彼女の動きを逐一採点し始める。
四肢の伸ばし方が綺麗だ。初めて見た時から思っていたが、音感が潜在的に備わっているのだろう。振りがずれることがまずない。そして動きが早い。アップテンポの曲にも難なくついて行ってる。位置移動が正確だ。柔軟体操もきちんと続けているのだろう。素人が簡単に手を出せないポージングや、バランスのとり方が難しいサビの身体使いも見事だ。隙のない美しさというべきか。見る人に完璧なダンスナンバーを魅せつけてやるという気概が、ビリビリと伝わってきた。
痛いと感じるほどの視線の強さだ。
いっそ焼かれてしまいそうなくらい。
(圧が強いタイプのダンサーなんだなあ)
力強さを売りにする方針で行くのだろうか。韓国で流行している「ガールクラッシュ」のイメージを自分に寄せたい気もあるのかもしれない。それならば主戦場はK‐POPの分野になるが。
こちらに向かってくる圧が、どんどん強くなる。
(……ん?)
彼女が踊りをやめて、凪のいるベンチへ歩いてきていた。
大股で、ずんずん進んでいく。
射貫くような目で、凪を真正面に見据えている。
(え、やられる? 殴られる?)
凪は途端に後ずさり始める。ベンチに座っているため逃げ場がない。あたふたとしているうちに相手は目と鼻の先まで距離を縮めてきている。
「いや、あの、違いますよ。ダンスうまいなあーって思っただけで。ストーカーじゃないですよ。社会人です。立派なフリーターです」
凪が言い訳をくり出すごとに彼女の瞳は鋭くなっていく。
(まずい。誰か助けてくれ)
「あの、本当すみません。警察だけは呼ばないでください。不審者じゃないので、不審者じゃないので」
「どうでしたか」
「はい?」
「私のダンス、どうでしたか?」
言われている意味がわからなくて、凪は呆けた。動揺している自分の顔はさぞかし間抜け面だろう。いつもそそくさと逃げ回っていたツケがここにて回ってきたのか。
返す言葉が見つからず、凪はしばらく挙動不審に目を泳がせた。
「ずっと見てたんですよね? 客観的に見て、私のダンスに直した方がいいところ、ありますか」
「いや、俺、素人だし……」
「意見を聞きたいです」
人の話を聞け、と思わず言い返しそうになるのをぐっとこらえ、凪は何とか適切な表現を探す。
「直すところっていうか、変わったなあっていうか」
「どこが変わったと思いましたか」
「ええと」
落ち着け、下手なことを言ったら逆上されるぞ。特にこういうタイプはそれとなく言葉遣いを濁した方が後腐れなく終わるもんだ。
長年アルバイトを渡り歩いてきた勘が、さわらぬ神に祟りなしと脳みそに警告していた。
適当なこと言って早く逃げろ。
「何に対してそんなに怒ってんの?」
沈黙が下りた。
相手の時間が、完全に止まっていた。目を見開いたまま、そこから微動だにせず突っ立っている。
凪がびくびくと反応をうかがっているうちに、彼女は顎に手を当て、眉間にしわを寄せ始めた。
「いや、こんな素人の意見気にしないで、芸術性のままに弾けて踊った方がいいっすよ」
「いえ、参考になりました」
彼女はきりっとした顔で凪を見つめた。
「せっかくなので、これからもここに来て私のダンスを見てくれませんか」
非常事態になった。
どうしていいかわからず、余計に混乱する。
「……どれくらい?」
「できれば毎日」
(何でこうなるんだよ)
凪は内心、舌打ちしたくなる心を懸命に抑えつけていた。
「毎日外に出なきゃなんねえの……?」
「はい」
相手の瞳は爛々としていた。獲物を見つけて狩猟本能が刺激される肉食動物のようだ。
「私の観客になってください」
数秒、沈黙せざるをえなかった。
蛇に睨まれた蛙のようだ。自分って小動物だったのか。ずっとハンターだと思っていたが。
「
「はあ」
「名前を教えてください」
「俺?」
「私も名乗ったので」
教えろ、とばかりに蝶野まゆは強い視線で訴えた。
「……五月女凪です」
しどろもどろになりながら、凪は内心、なんて面倒な事態になったんだと嘆いていた。まさかこんな巻き込まれ事故を食らうとは思わなかった。
そう思っているうちに、蝶野まゆは勢いよく頭を下げる。
「お願いします。私のダンスに率直な意見をください」
「だから俺、素人なんだって」
「そういう人が必要なんです」
引き下がらねえな、こいつ。
凪はますます面倒なことになったと苦虫を噛む。それを了承と捉えたのか、蝶野まゆはスポーツ用のジャージのポケットからスマホを取り出した。
今度は連絡先の交換か。
真摯な姿勢なのは褒められるべきところだが、相手のあまりにも必死な態度に、凪は少々面食らっていた。しかしそれを伝えることもできず、凪はしかたなく自分もスマホを開いた。
*
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます