ダスティーシティー

エイトシー

瓦礫と少年

 「…ええ、しばらくの間は留守にします…大丈夫ですよ、そんなに遠くまでは行きませんから…」



 隣のシェルターに住んでいるご夫婦に、そんな挨拶を交わしたことを、少年はぼんやりと思い出していた。不思議なもので、彼は自分がそう言って出かけて行ったのが、まるで何百年も昔の話に思えていた。



 現在の首都からは数百キロ、彼の居住区からは実に千キロ以上離れた旧都。どんよりと汚れた雲がかかり、割れたアスファルトの間に吹き込んだ風が、隙間の砂を吹き上げていた。日が真上から西に傾きかけ、周りの建物の影が、少しずつ長く、濃くなっていった。



 少年は突然、間隔の短くなったジリジリという音に気づいた。背負っている大きな鞄のベルトに、ちょんとひっかけてあるガイガーカウンターに目をやると、少し大きな数値を映し、赤いランプをチカチカさせながら、大きく耳障りな音を立てていた。



 「…濃いな…迂回しよう」



 左手の端末に表示された地図にチラッと目をやりながら独り言を呟くと、少年はくるりと左を向き、瓦礫の山から遠ざかって行った。



 ふと少年は、目の前にガラスがあらかた綺麗に残った廃墟があることに気がついた。かつては多くの人々が行き交い、それは素晴らしく、美しかったであろう大きなビルの残骸だった。少年はその廃墟に近づき、ガラスを手で軽く拭った。そして、そのガラスの奥に大柄の化け物がいる事に気がついた。全身は薄汚れたビニール製のぶかぶかした防護服に身を包み、頑丈なブーツに大きな手袋。カタツムリの殻のように大きな鞄。そしてその顔には、シューシューと不気味に音を立てる真っ黒なガスマスクが張り付いていた。



 少年はふと、昔見たSF映画の悪役を思い出し、クスッと笑った。そしておもむろに目の前の化け物に正拳突きを喰らわせた。すぐさまガラスは砕け、ジャラジャラと音を立てた。



 「よし、耐久性も問題ないな」



 少年は傷一つついていない手袋を見て、満足そうにうなずいた。ふと、少年は足元に転がっているガラスの破片を一つ拾い上げた。



 「…ナイフは持ってるけど、まぁ一本じゃ不安だし、緊急用に…」



 少年は、その破片をポケットにしまい、その場をあとにした。



 端末の地図を眺める。どうやらここは、かつて都庁のあった場所の周辺のようだ。ただ、教科書などで見たような特徴的なビルはどこにもなく、瓦礫でできた小山があるだけだった。



 「静かだな…」



 少年は、小さくボソリと、至極当然のことを呟いた。彼が歩いている旧都には、ほとんど「音」がなかった。人々の喧騒はもちろん、鳥のさえずり、虫の鳴き声、川のせせらぎ…そんな、人々に何かを訴えるような、ごく自然な音でさえも、何一つなかった。唯一聞こえてくるのは、少年のガスマスクが立てる、化け物のようなシューシューという呼吸音と、ジリジリというガイガーの騒音だけだった。この旧都では、動物も、草木も、人間も、おおよそ「命」があると言われるものが、誰一人として、何一つとして存在しないのである。

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