22,朝から寄り道
「いってきまーす!」
誰もいない部屋に元気よく挨拶をして、茶色い通学靴を履く。人はいなくても、そこにある家具や家屋そのものさえも、私にとっては家族の一員。
急いで仕度をした結果、私は普段より3分早く家を出られた。瓦屋根の和風住宅と近代的な建て売り住宅が混在する住宅街を東へ進み、バス停へ向かう。バス停へ辿り着くには信号機のない横断歩道を渡らなければならず、自動車の往来頻度によってはバスに乗り遅れる場合もある。法令上は歩行者優先といえど、親切に止まってくれる自動車は路線バスや教習車を除けば滅多にない。だが私という人間は、時間に余裕があるとつい油断をしてしまう性分だ。
「あ、ネコちゃんだ! にゃおーん」
家を出てすぐ出会ったのは、電柱に身を擦り付けているどら猫。その場にしゃがんで頭を撫でると、どら猫はズリズリと彩加の手の甲に頭を擦り付けた。
「うぅーん! かわいいにゃー! どこのお家の子? 野良猫?」
私の問いに対し、どら猫はナーナーと返事をしたので、私もそれを真似して暫し会話を続けた。私の巧みな声真似に、通りかかった数人のクールビズや、アロハシャツ着用のクールビズ、通称アロハビズ姿の通行人たちは思わず気を取られる。
「うぉわああおん、ぬぁああおん、ふひ~い! お鼻ちゅ~んちゅんっ! ぶふふふふっ! 鼻水付いてるにゃあ! おでこズリズリなでなでー! ハンディーサイズの頭はさわり心地サイコーにゃー!」
はじめのうちは私のスキンシップを喜んでいたどら猫だけど、段々としつこく感じるようになり、声は出さず迷惑そうな表情でジャブをする。それでも爪は立てなかった。
「ん? 肉球にぎにぎして欲しいのか! 握手あくしゅー! にひひひひー」
状況通り猫撫で声で興奮し、無我夢中で時間を忘れた私は、いつものバスに僅差で乗り遅れた。
◇◇◇
茅ヶ崎駅北口ロータリーに到着。いつもの駅に行くバスには乗り遅れちゃったけど、学校に行くバスにはまだ間に合う!
あ、もうバス来てる!
コンコースを通って改札口前を通過すると階段下にある南口のバス乗り場には、停車中のバスの屋根がエスカレーターに沿う薄汚れたガラス越しに見える。人の流れに逆らい改札口前に宙吊りされた時計の下を通過したとき、針は7時43分を指していた。それから約10秒経過した現在、発車時間まで残り1分を切ったかもしれない。ちょっと急がなきゃ!
◇◇◇
ふぅ、間に合った。
急ぎ足で階段を下り終えたとき、バスのエンジンはまだかかっていなかった。
「んぐっ!?」
いった~い、安心して気が抜けたら他所見をしていたようで、うっかり駅舎の支柱に顔面を強打してちゃった。鼻から顔面全体に伝う、ジーンと、もんもんした痛みに意識を支配され、クラクラして目を開けられない。
頭を打つと、思い出しちゃうな。
顔面強打の影響でその場に立ち止まり悶える。痛みで朦朧としながらバスに乗るも車内は既に満席で、同校の生徒の声がガヤガヤ騒がしい。前半分の低床部分は生徒で埋まっているため、段差を上がって後ろ半分の高床部分に立った。高床部分には私より先に一人の男子生徒が立っていた。
「おはよう望くん」
先週末、初めての会話で望に不快な思いをさせた懸念はあるけど、努めて平静に、ほがらかな笑顔で話しかけた。
「おはようございます」
気まずいのか大人しい性格からか、望くんは表情を変えず軽く会釈をして返事をした。
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