12月22日(水)

12月22日(水)。

 

大学時代のことを思い出していた。哲学の授業の課題でこういうのがあった。

「目の前に、ビルの屋上から飛び降りようとしている人がいます。あなたは彼(彼女)にどんな言葉をかけますか?」

 自分がどんなことを書いたかは覚えていないが、相田の答えは覚えていた。一言だ。


『元気でな』


 オレは相田に聞いた。

「どういう意味や?これから死ぬってのに元気もクソもないやろ?」

 相田は答えた。

「分からん。分からんけど、何となく・・・何となくや。もしかしたら、飛び降りても助かるかもしれん。もしかしたら、生まれ変わりってのがあるかもしれん。もしかしたら、天国みたいな所にいくのかもしれん」

 いつもとは違って、相田は真剣な表情だった。

「だからさ、今度こそ『元気でな』って感じなんかな」


 今まさに、目の前で課題の通りの状況が起こっている。オレと同世代ぐらいの女だ。ここは会社のビルの屋上。彼女は柵の向こうに立っている。オレは少しばかり一服しにきていた。屋上の扉を開け、ベンチに腰かけ、タバコに火をつけようとした時に彼女の視線に気づいた。彼女は美人だったがとても疲れている印象だった。彼女もオレに気づいたようだが、動揺は見えなかった。心底どうでもよさそうだ。彼女はオレをしばらく見つめてから、視線をビルの下に戻した。

 彼女の体が傾く。

オレは立ち上がり、叫んだ。


「元気でな!」

 

オレはなぜか相田の言葉を叫んでいた。彼女の動きが止まる。背筋をのばし、オレをみた。そして口を開く。

「何言ってんの?どういう意味?」

 呆れたような口調だった。オレは動揺していたが、相田からの返答をそのまま口にだした。

「あれだよ、あれ、ほら、もし次があったらさ・・・」

 しどろもどろになりながら言葉を続ける。

「もしかしたら飛び降りても意外と助かるかもしれへん。もしかしたら生まれ変わって、違う人間になって、違う人生を歩むことになるかもしれへん。もしかしたら天国とかいう所に行って、そこで幸せに暮らせるかもしれへん。もしかしたら・・・」

 彼女は黙って、オレをみていた。

「その時は今度こそな。今度こそ・・・君も・・・オレも・・・」

 言葉が出なくなった。オレは泣いていた。涙があふれてきていた。

「あれ?何で?どうしたんやろ?意味わからへんな」

 目の前が滲んで見えなくなった。

「分からへん。分からへんのやけど・・・次なんてさ、ないって思うやろ?当たり前や。次なんてない。でもな・・・うれしかったんや」

 彼女はずっと黙ってオレの言葉を聞いている。

「うれしかったんや・・・オレは。『元気でな』って言ってもらって、オレはうれしかったんや。オレは結局・・・たぶん君も・・・」

 オレは彼女の目をみていった。

「死にたくなんかないんや」

自殺を止めようとして言った相田の言葉はオレ自身に跳ね返ってきた。オレはしゃがみこんで泣き続けた。心の柵がなくなって涙が止まらなくなった。そっと誰かの手がオレの肩に触れた。オレは見上げた。彼女だった。彼女も目に涙をためていた。でも目一杯笑っていた。彼女はオレの頭を優しくなでる。

「大丈夫だよ。大丈夫」

 オレは泣き続けた。

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