もう一度

@banana3kyoudai

第1話

カキーン カキーン

誰もいないグラウンドに無数のボールが転がっていく。


「もう、これくらいで終わりにしよう。やり過ぎだぞ。怪我したら元も子もないぞ。」


「あと50球だけお願いします。」


「俺はもう風呂入って休みてぇ。言っても無駄だってわかっちゃいるけどなぁ…」


ため息をつき、凝りをほぐすように肩をグルグルまわしながらも、バッティングピッチャーのポジションでボールを掴む。


「ありがとうございます。」


ヘルメットと帽子をとり笑顔で礼をいうと、すぐさま表情をキリリと引き締めバットを握り直した。

照明の下でもボールが見にくくなる頃、転がるボールを黙々と籠に回収しながら、ふと圭人が顔を上げるとコーチと目が合った。コーチは20歳代後半位のがっちりした体格。短髪のいかにもスポーツマンという出で立ちで圭人達の先輩であり指導者でもある。

何だかんだ言いながらも、いつも圭人の居残り練習に付き合ってくれる頼れる兄的存在なのだ。

圭人は細身で油断するとすぐ、痩せてしまう体型と端正な顔立ちの、表情がくるくる変わる人懐っこい性格で、周りの人間はついつい手助けをしてしまう天然人たらしだ。大人しいわけではなく、小学生のような悪戯をしては、すぐバレて叱られる。寮生活でも、ルームメイトのおかげで毎日が過ごせるような手のかかるタイプだ。そんな圭人だが、甲子園出場への思いだけは並々ならない、人一倍の努力家だ。


「なぁ圭人、お前そこまで甲子園に拘ってるのは何か理由あんの?

もちろん、高校球児はみんな甲子園目指してるとは思ってるけど…。」


コーチの問に圭人は少し考え込んで


「うーん。そうですね。甲子園に出て、会いたい奴がいるんです。甲子園に出れば俺だって気付いて、思い出してくれて、もしかしたら連絡くれるんじゃないか、って。勝手に思ってるだけですけど。」


「女の子か…?」


圭人は目を丸くして照れながら


「違いますよ。そんなんじゃないです。トモダチです。男の。」


そう言って、圭人はトモダチの蒼の事を思い静かに笑った。


蒼と圭人は小学三年生のクラスで知り合った。2人共、野球が好きで仲良くなるのに時間はかからなかった。蒼は活発で勉強も得意で、その上、お笑い好きでユーモアのセンスも兼ね備えていた。学校でも、放課後でもいつも一緒に笑っていた。何がそんなに可笑しいのか分からない位、とにかく愉しくて仕方なかった。蒼は母親と二人暮らしだ。母親は仕事が忙しく留守が多かったので、2人は外で遊ぶ事が多かった。

ある日、宿題を一緒にしようと、初めて蒼の家に遊びに行った。2人で宿題を終わらせ、圭人が


「はらへったー。」


と言うと、蒼がキッチンへ行き、カップ麺の『赤いきつね』と『緑のたぬき』を出してくれた。普段、なかなか食べる事のなかった物で、うれしくてうれしくて蓋を開けるのにもワクワクした。2人でどっちを食べるか相談して、『赤いきつね』を圭人が、『緑のたぬき』を蒼が選んだ。お湯を注いで三分待つ。蒼が『緑のたぬき』の蓋を開ける。湯気と一緒に出汁のいい匂いがする。圭人も蓋を開けようとすると蒼に止められた。


「赤いきつねは五分待たなきゃだから、あと二分待って。」


隣ではいい匂いがする。蒼がサクサクの天ぷらをスープにつける。見ていた圭人は思わず、ゴクッと生唾を飲み込んだ。蒼はクスッと笑って、


「一口食べてみる?」


と言って勧めてくれた。圭人は首をコクコクと縦に振り、カップを受け取った。いい匂いがする。思い切り香りを嗅ぐ。麺をすすり、天ぷらもひとかじり。サクッとした部分とスープを含んだしっとりした部分が口の中で混ざりあう。


「うーーーん、美味い!」


「だろっ?!」


「うん!」


2人は顔を見合せて笑った。


「圭人、そろそろ、赤いきつねも食べられるよ。」


そう言って蒼が蓋を開けてくれる。圭人は両手でカップを包み込む様に持ち、鼻の穴が閉じてしまう位めいっぱい、匂いを吸い込んだ。その姿を見ていた蒼がケラケラ笑っている。

圭人は夢中でうどんをすすり、甘めの揚げにかぶりつく。2人は最後のスープまで飲み干した。お腹も心も満たされた時間だった。


その日から何日か過ぎた頃、蒼が学校を休んだ。風邪かな、と思っていたが、次の日もそのまた次の日も蒼は学校に来なかった。何日目かに、先生が皆に


「蒼君は急に引越しが決まって、学校を変わることになりました。皆にお別れの挨拶が出来なくて……」


というようなことを言っていたが、圭人は途中から先生の言葉が頭に入ってこなかった。

先生の所に引越し先を教えて欲しいと言いに行ったが


「ごめんな。先生も知らないんだ。」


と言われただけだった。圭人は蒼の家にも行ってみたが、郵便受けにたくさんのチラシがあるだけで、人が住んでいる気配もなかった。

しばらく、みんな蒼が居なくなった事を寂しがっていたが時間が過ぎ、クラスメイトが一人減った事にも慣れていった。


中学生になった圭人は野球中心の生活を過ごしていた。もし、蒼も野球を続けていたら、いつか試合で再会するかもしれないと期待していたが、そんな機会が訪れる事はなかった。一度、同じ市内で蒼を見かけた友人の話が耳に入ってきたが、連絡をとることも出来ず、蒼からの連絡も無い。近くにいるかもしれないのに、会うこともない。もう、俺の事なんて忘れてしまったのかもしれない。そう思うと辛かったが、体を動かす事で考えないように過ごした。

夏休み、テレビで甲子園の試合を観ていた。自分も甲子園に出たら、と想像した時、蒼の顔が頭をよぎった。もし俺が甲子園に出たら蒼は気付いてくれるかな。思い出してくれるかな。会いに来てくれるかな。考え出すと止まらなくなった。蒼の事で頭がいっぱいになった。

圭人は好きな野球が自分と蒼をもう一度、繋げてくれる様な気がして、練習に打ち込んだ。高校進学も親元を離れて寮生活になっても、甲子園出場経験のある高校に進む事にした。

進学後の寮生活は慣れるまで、苦労の連続だった。家に帰りたくなる時も、泣きたくなる時も、何とか乗り越えてこれたのは、共に過した友だちがいたからだった。身近で支え合える友だちを得て、高校生活最後の夏が近づいて来たのだ。後悔しない為に、精一杯の事をするだけだった。

選手も指導者も一球をおいかけ、一球に笑い、一球に泣いた。

熱い夏だった。


圭人の元に一通の手紙が届いた。


圭人くん。お元気ですか。テレビで甲子園の試合を見ている時、君を見つけました。甲子園出場おめでとう。

圭人くんには結果が不本意だったかもしれないけど、本当に本当にかっこよかったよ。

どれだけ驚いたか、どれだけ嬉しかったか。僕の大好きな君を応援出来た事がどれだけ楽しかったか!ありがとう。

でも、この手紙を圭人くんに出していいのかどうか、今も迷っています。

なぜなら、君が僕の事を怒っているかもしれないからです。僕が黙っていなくなったことを怒っていても当たり前だと思うから。まず、謝らせて下さい。ごめんね。サヨナラも言わずに引越して。

あの頃、父が現れて、母と僕は誰にも知られず引越さなきゃいけなかったんだ。


君は覚えていないかもしれないけど、小学生の時、一度、僕の家に遊びに来てくれた事があったね。あの日の事をよく思いだします。僕にとって、初めて友だちを家に招待した日の事だからね。2人で『赤いきつね』と『緑のたぬき』食べた事を覚えていますか?美味しかったね。それまで食べた何よりも美味しかった。

もし君が許してくれるなら、また、『赤いきつね』と『緑のたぬき』を一緒に食べたいです。


○○市△△町3丁目××

中山 蒼


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