第2話 宝物

 閉店時間を過ぎると、店内には残業をしている自分だけとなった。

 PCを前にカタカタと数字の睨めっこをしていると、先ほどの徳梅さんの言葉が呼び起こされる。


――お客さんにとって誠実ですよ。


 誠実か。

 俺は、妻に対して誠実だったのだろうか。

 妻は昔から子供が好きだった。小さな子にじっと見つめられたら必ずリアクションをするし、ショッピングモールでは迷子の子供の手を取り、親が現れるまで遊び相手になってあげたりもした。


 そんな妻に対して、俺が提案したことと言えば不妊治療の断念だ。


 子供が出来たら儲けものだな、と不妊治療を止めようと切り出したのは本人ではなく、この俺だった。なかなか結果が出ずに、俺に隠れて泣いている姿を見るのが辛かったからだ。


 子供がいないからといって夫婦の仲が冷めることはなかった。むしろ、関係は深まったと思っている。互いに必要とされ、何年経っても恋人みたいな関係――とまでは言い過ぎだが、独身時代のような気持ちでいる。


 だが、本当にそれでよかったのだろうか。今でも妻は――。


 そういえば、今日は一言も口を聞かずに、いそいそと最近はまっている編み物教室に出掛けていった。どうせ、結婚記念日に残業するから怒ってるんだろう。夫婦二人だけの生活なんだから、せめて記念日ぐらいはちゃんとしろと無言のプレッシャーをかけられているに違いない。


 ああ、いかんいかん。余計なことばかり考えると、いつまでたっても報告書が片付かない。鬼のMD長から目標達成の見込みが甘いとやり直しをくらっているところだ。


 静まり返った事務室で集中力を高めて、一気に書類を片付ける。壁時計を見ると、既に時刻は十時を指していた。今から帰ると、十一時になりそうだ。お詫びに何か買って帰るかと無人の店内に踏み入る。


 閉店後のスーパーというのは祭の後のような静けさがある。自分の靴音とごうんごうんと冷蔵庫の空調音だけが響く。


 だが――。


 この無人の店内で、いるはずもない人影が視界を横切った。

 見覚えがある、その存在。もしかしてと後を追うと、



「あなた凄いわね、この陳列」



 メインエンドの前に妻がいた。

 徳梅さんの見事な陳列技術に圧倒されている。


「いつの間に入ってきたんだよ」

「ん? バックヤードからだけど」それが何かって感じで目を丸くする。

「いやいや、そうじゃなくて。何でまた仕事場に」

「だって、帰ってくるの遅いじゃない」

「いや、まあ、そうだけど。わざわざこんなとこまで来ることないのに」

「ちょっと用があったのよ」

「用ってなんだよ。家に帰ってからじゃだめなの」

「だめだから、ここまで来たんじゃない」

「まあ、そうか」妻の方がいちいち上手だ。「んで、どうしたのよ」




「出来たのよ」




「……出来た?」


 まさか……。心臓がどくんと大きく脈打つ。

 出来たって……。



「ほら」と妻はバッグから赤いマフラーを取り出す「やっと完成したのよ」



「ま、マフラー……?」


「そう。結構、難しいものね。マフラーだからって侮ってたわ」

「な、なんだ。マフラーかよ」

「なによ、不服なの。せっかく作ったのに」

 スンと横を向く妻に慌ててフォローを入れる。「いやいや、不服なんてとんでもない。貰えるものはありがたく受け取るよ」

 不満げな顔をしながらも、妻は手編みのマフラーをふぁさっと首に巻いてくれた。毛糸の温かさに首筋が包まれる。十一月というのに、店内は季節問わず冷房を効かせているため肌寒いが、マフラーのおかげで幾分か冷えを和らぐことができた。


「それとね。もう一つ出来たのよ」

「もう一つ? 帽子かなんか」

 妻は静かに首を振る。その顔は、喜びを隠しきれないように頬が緩んでいた。




「赤ちゃん」




「え?」なんだそれ。人間って本当にびっくりすると疑問符しかでないようだ。



「だから、赤ちゃんだって。今日、検査に行ってきたのよ。八週だって。心音も聴かせてもらったよ」


 この告白を受けて、やっと感情が喉に追い付く。


「ま、まじかよ。ど、どっちだよ。男? 女?」


「まだ分かんないって。すごい小さいから」

「ほんとかよ、まじかよ」

 馬鹿の一つ覚えのように、まじかよ、まじかよと連呼する。あらゆる語彙は全てまじかよに変換された。

 あまりの興奮に妻はぷっと笑い、まじよまじ、と応える。


 大の大人が閉店後のスーパーで「まじかよ」「まじよ」を延々繰り返す、なんとも奇妙で滑稽なシチュエーション。


 やがて、笑い疲れた妻は目の前に陳列される宝箱に目を移し、何かを発見して手招きする。指し示されたのは緑のたぬきの空容器で形作られた小さな宝箱。その中には、まるで本当の宝物のように赤いきつねがちょこんと収まっていた。


「子供の悪戯だね」


「面白いこと考えるわね」


 小さな子の手が届く範囲の宝箱には、全て同様の仕込みがされていた。

 緑の宝箱かと思ったら中身は赤でした。赤の宝箱かと思ったら緑でした。

 この悪戯にふと思いつく。子供を持つ親なら一度はこんな会話をしたことがあるんじゃないかと思える、あのフレーズを投げかけた。


「なあ、君はどっちが生まれて欲しいとかある?」


「別に」即答だった。




 どっちも素敵だよ。



 だよな。



 了

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