緋色のきつねと翠色のたぬき

踊り場で涙目

第1話

「俺がこっちだよ!」


「卑怯だぞ!何で先に決めるんだよ!」


「早いもの勝ちなんだよ!」


双子の兄弟の緋呂(ひろ)と翠人(すいと)はいつも喧嘩している。


母の黄和子(きわこ)も毎日パートから帰ってきてはこの光景を見せられている。


彼女が一日で唯一休まる時間はパートから帰ってきて、二人が中学校から帰ってくる僅かな時間だけだった。


しかもその時間に二人の夕飯の準備に取り掛からないといけないので、結局は毎日ほぼ休まる時間は残されていなかった。


ヤレヤレと思いながら今日も食事の準備に入ろうかとしたそのとき、黄和子は急に床に手をついた。


腰に今まで感じたことのない痛みを感じたからだった。


パートで長時間立ち仕事をしてるツケが回ってきたのだろうか。


数分休んでいると痛みは治まってきたが、料理をする不安は拭えないし、今まで溜まっていた疲れを一気に感じてしまった。


黄和子はさっき自分でまな板の上に置いた包丁を取る気がしなかった。


そして陰鬱な気分が黄和子を襲った。


小銭を上げてどこかで食べてきてもらいましょうか。


でもうちにはそんな余裕はないし、何より外で二人にさせるのは心配だわ。


どうしようか悩んでいると突然黄和子はあることを思い出した。


「そうだ!」と心で叫び、台所の一番奥にある戸棚へ向かい、しばらく開けていない一番下の引き出しを開けた。


中には二つのカップ麺があった。


赤いきつねと緑のたぬき。


数年前、夫とスーパーに行ったとき買ったものだ。


「おっ、赤いきつねと緑のたぬき売ってるじゃん。

俺若い時毎日これ食べてたからなあ」


「そうなの?

私、食べたことないかも」


「えっ!?これ食べたことないの!?

人生の半分とは言わないけど三分の一くらい損してるぞ」


「もう、半分でいいじゃない。

でもそんなに美味しいんだったら私食べてみたいわ」


「じゃあ、一個ずつ買おう。

というか、今日食べようぜ。

毎日、育児と家事で疲れてるだろ?

こいつら二人、今手がかかる歳だからさ。

今は黄和子も若いから元気だけど、今の疲れが数年後身体にくるんだよ。

そうだ、だから今日の晩御飯は赤いきつねと緑のたぬきだ」


「え、でもそれだけで足りるの?」


「お前、赤いきつねと緑のたぬき舐めるなよ。これはメインディッシュになるんだよ」


「ふふ、じゃあ今晩はお言葉に甘えよっかな。

でも赤と緑、一つずつ買うのよね。

あなた、どちら食べるの?」


「ふふふ、それは帰ってみてのお楽しみだ」



結局、帰ってから黄和子はいつも通りご飯を作ってしまった。

数分前のスーパーでの会話より、身体に染み付いた習慣が勝ってしまったのだ。


夜ご飯を机に並べてから黄和子も夫も、赤いきつねと緑のたぬきのことを思い出した。


そして笑い合った。


「また黄和子が晩御飯お休みしたいと思ったときに作ってよ」


「わかった、ありがとう」


結局、夫がいる間にそのときは来なかった。


が、今黄和子は突然当時のことを思い出して引き出しを開けたのだ。


賞味期限を見ると、全然大丈夫だ。


黄和子がだいぶ昔に感じていたあのときの思い出は、意外と最近のことだったみたいだ。 



自分が独身で一人暮らしをしていたとき以来に作るカップ麺。


作り方を見てみると、当時と大きな違いはない。


簡単にすぐ二人分の晩御飯が出来た。


黄和子は軽く腰を押さえながら、子供部屋に二人を呼びに向かった。


緋呂と翠人は、初め台所の机の上の赤と緑の物体を見てキョトンとしていたが物珍しさからなのか素直に席についた。


翠人が緑のたぬきの方を素早く自分の元に寄せた。


「お前、なんで勝手に取ってるんだよ」


緋呂が怒った。


「早いもの勝ちだよ。

さっき緋呂も同じこと言ってたじゃん」


「うるせぇよ。俺は緑色の方が好きなんだよ」


「俺だって、そばの方が好きなんだよ」


「お前はうどんの方が好きって言ってただろ」


「緋呂だって赤色好きって前言ってたじゃん」


また二人の喧嘩が始まった。


おそらく翠人が先に赤いきつねの方を選んでいても同じようなことになっていたはずだ。


そして取り合った末、緑のたぬきは宙を舞ってボトンと床に落ちた。


黄和子が昨日掃除したばかりの場所だ。


先程まではいつもの喧嘩だと思って静観していた黄和子だったが、床に無惨に落ちた緑のたぬきを見ると平静を保てなくなった。


夫との二人の思い出を汚された気がしたからだ。


「あんたたちいい加減にしなさい…」


黄和子は初めて鬼のような形相で静かに二人に怒った。


そしてなぜか涙が溢れ出てきた。


黄和子は台所を出ていった。


そして今は物置きになっている寝室に駆け込んだ。


捨てるに捨てれなかった夫の服の山をハンカチ代わりにして泣いた。


服は泣き声をもかき消してくれた。


私はこれからどうしていけばいいの?


真っ暗な服に向かって問いかけた。


そして何も考えられなくなった。


数分後、部屋の明かりがついた。


黄和子が振り向くと、そこには緋呂と翠人が立っていた。


「母ちゃん、ごめんなさい」


「いつも迷惑かけてごめんなさい」


「いつも美味しいご飯をつくってくれてありがとう」


黄和子は涙でどっちが何を言ったのかわからなかった。


しかしそんなことはどうでも良かった。


今度は二人に向かっていき抱き締めた。


「母ちゃんも、泣いてごめんね」


「母ちゃん、あのさぁ。

緑のたぬき、麺はこぼれてなかったから二人ではんぶんこして食べたんだ」


「だからさ、母ちゃんが赤いきつね食べてよ。いつも冷蔵庫の残りもの食べてるじゃない」


「ううん、気持ちだけいただいとくわ。

あなた達お腹空いてるでしょ。

赤いきつね、はんぶんこしなさい」


「いいよ、俺たちお腹いっぱいなんだよ」


「その代わり、また赤いきつねと緑のたぬき買ってきてよ。

そしたら俺と翠人で赤いきつねはんぶんこして、母ちゃんが緑のたぬきを食べる。

そしたら家族全員が両方食べれるだろ」


黄和子はどうしようかと考えたが、結局二人の提案に甘えることにし、一人で赤いきつねを食べた。


少し冷めていたが美味しかった。


空の容器を捨てようとゴミ箱を開けるとそこには同じく空の容器があった。


黄和子はそれに重ねるようにして容器を捨てた。


そういえば床が綺麗になっている。


身体中がポカポカしていた。

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