田舎娘は、不安になる
私も、ジャル様も、そして吹っ飛ばされた張本人であるサディさんも、たった今起こった出来事を上手く理解できずに言葉を失っていた。ただ一人、この混沌とした状況を作り出したマロンだけは、尻尾をボンと膨らませてフーフー言っている。
「え。……え?」
サディさんがむくりと起き上がりながら戸惑いの声を上げた。彼は服装や髪は衝撃で乱れているけど、体はなんともないらしい。さすがは魔族だ。
……なんて、感心している場合じゃない! この研究所で一番偉い人を、マロンは攻撃してしまったんだ。どうしよう、このままだとマロンが処分されてしまう!
私は全身から血の気が引いていくのを感じていた。せっかく再び相見えた愛しい子と離ればなれになるなんて、それだけは嫌だ。いや、それよりも、この子の飼い主である私も処分対象になるんじゃないの? 飼い主なんだから責任を取るのが普通じゃない?
そんな考えが頭の中を巡り、目の前の景色が滲んでいく。あ、どうしよう。この涙は止められないぞ。
自分の中の冷静な部分がそう判断した通り、私の両目からはポロポロと涙がこぼれ落ちてしまう。私のこの反応に驚いたのか、ジャル様がギョッと目を見開いていた。ごめんなさい、わざとじゃないんです。
「アイラさん、泣かないでください。大丈夫ですから、落ち着いて」
「ぅっ、す、すみません。ひっ、う」
悲しいとか恐いとかいうより、感情の一部がうっかりパニック状態に陥ったことで泣いているのだとジャル様に伝えたかったけれど、言葉が詰まって出てこない。ぐぅ、と喉の奥でくぐもった音がするだけだった。
ジャル様は何も言えなくなっている私を安心させるように優しく語り掛けてくれる。その後私の隣に移動してきて、嗚咽を漏らす私の背中を躊躇いがちではあったけれど大きな手で摩ってくれた。
背中に感じる少し高い体温に、小さい頃、お母さんに同じようにしてもらった記憶が蘇る。別の意味でちょっぴり泣けてきた。
「ジャル、様、ありがとうござ、います。さ、サディさん、は、大丈夫で、すか?」
新たに涙を生成しそうになって、これ以上泣くわけにはいかないと必死に引っ込めようとしている私の耳に、ジャル様の穏やかな声が届く。
「サディは魔族らしく丈夫なので心配しないでください。それに、今のはサディが悪いんです。急に手を出したりするから」
「え、被害者はボクなのになんで責められてるの?」
ジャル様の冗談めいた言葉に対してのサディさんの反応はもっともだ。だけど、彼の声色からは怒りや呆れの感情は感じられない。むしろ楽しそうに笑っている。
あれ、この空気感はもしや。
「あの、怒らないんですか?」
恐る恐る尋ねると、サディさんはこちらに近付きながらうん、と軽い調子で頷いた。
「まあ、ちょっと痛かったし驚いたけど、キミもこの子も悪気はなかったんでしょ? ボクも迂闊な行動をした自覚はあるし。それにどっちかっていうと、バチバチに警戒心むき出しにしてくる生き物の方が珍しいから、ボクとしてはこれからの検査が楽しみで仕方がないね!」
心からそう思っているのだというようにサディさんは語る。彼曰く、普段は魔族に対して従順な魔獣ばかりを相手にしているので、マロンのように威嚇をしてくる生き物は新鮮で楽しいらしい。
「見たところ魔獣と神獣の特徴は持っていないから、この子はたぶん動物だろうね。だけど、こんなに小さい体からあれほどのパワーを発揮するなんて、ちょっと考えられないな」
まだ尻尾をぽんぽこさせているマロンを見つめながら、サディさんはつらつらと自分の考えを述べていく。その姿は確かに研究者らしかった。
「魔力か神力を持っているのなら、ボクを吹き飛ばすくらいはわけないと思うよ。だけど、そんな感じはしないんだよなぁ。うん、こればかりはきちんと検査しないと分からないね」
サディさんは立ち上がってパン、と手を叩く。
「さっ、検査室に移動しよう。ボクがいると……マロン、だっけ? その子が警戒しちゃうから、先に行ってるよ。そういうわけだから、ジャル、案内お願いね」
「ええ、分かりました。サディは先に準備を整えておいてください」
「りょーかい」
気楽な返事をしたサディさんは、乱れた髪と服を整えてから部屋を出て行った。彼がいなくなったのを確認したマロンは、一度周囲の匂いをふんふんと嗅いだらだいぶ落ち着いたらしく、膨らんでいた尻尾もすっかり元通りになっている。
「よかった、落ち着いたね、マロン」
「ニャン」
マロンは私の元にトコトコとやってくると、足にすりすりと頭と体を擦り付けてきた。ああ、いつもの可愛いうちの子だ。
私はマロンを抱き上げる。すると彼女はいつものように、私の腕の中で丸くなった。マロンが機嫌良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしているのを見て、ジャル様もホッと息をつく。
「マロンちゃん、サディが申し訳ありませんでした」
「ニャオ」
小動物でしかないマロンに対しても、ジャル様は丁寧に接する。彼の真摯な態度がマロンにも伝わっているのだろう、彼女は尻尾をゆっくり揺らしていた。
ジャル様はそっと手を伸ばし、マロンの頭を指先で撫でる。マロンは気持ち良さそうに目を細め、くるる、と小さく鳴いた。
「サディも、このように順序立てて丁寧に接すれば良かったのですが……アイラさんにも、そしてマロンちゃんにも不快な思いをさせてしまい、面目ないです」
「いえ、手を出したのはこちら側ですから、悪いのは私たちなんです。だから、ジャル様が謝罪される必要はありませんよ」
それよりも、魔王様がそんな簡単に人に謝ったりしたらだめでしょう。
私のそんな至極まっとうな意見は、結局ジャル様に届くことはなかった。
ジャル様に連れられて、私は様々な見慣れない器具がそこかしこに置いてある部屋へとやって来ていた。これらの器具がいったい何をするものなのか、というのは、ここが『検査室』だと分かっているので、そういったことに用いるのだろう。
「来たね。それじゃあ、マロンをそっちの台の上に置いてくれないかい?」
私たちから離れた位置にサディさんは立っていた。彼は透き通ったクリスタルが上部に嵌まっている機材をいじりながら、私に部屋の真ん中にある大きな台を指し示しながら声を掛けてきた。
ふむ、これがいわゆる診察台のようなものだろうか。短辺が四エルト、長辺が六エルトほどもある大きな台だ。
猫一匹に対して、これはいささか大きすぎやしないだろうか。そんなことを考えたけれど、そういえばこの世界にはそもそも小型種が存在しないということを思い出して、台のサイズ感に納得した。むしろこのくらいの大きさがないと、一般的な魔獣を乗せることができないのか。
私は指示された通りにマロンを台の上に載せる。逃げ出さないかとヒヤヒヤと見守っていたけれど、どうやら大丈夫みたいだ。マロンは不思議そうに台の上をウロウロと動くことはあったけれど、突然走り出したりはしなかった。
サディさんは機材を操作し終えたのか、こちらにゆっくりと近付いてくる。マロンが一瞬警戒態勢に入るものの、サディさんが一定の距離を保ってくれたお陰で先ほどのような事件を起こさずに済んだ。
「さて、今から検査を始めるよ。といっても、この台に魔力を流して、あっちの装置から検査結果を吐き出すだけだけどね。この子の体に負担はないから、安心して」
台の隅に設置されている丸い石に触れながらサディさんは言うと、スッ、と目を細めた。すると彼の手が淡い輝きを放つ。もしかして、この光が魔力なのかな。
初めて目視する魔力に感動していると、サディさんが先ほどまで触っていた機材のクリスタルがじわじわと色を変えていっていた。
その色は、金色。
金の輝きを放つクリスタルを見て、ジャル様とサディさんは驚いたように目を見開いた。
「なっ、あれは」
「神力うんぬんどころの話じゃない。あの色は『オルカリム』持ちってことじゃないか!」
オルカリム、とはいったいなんぞや。
謎の専門用語の正体を知らない私は、二人の慌てように不安を抱きつつも、首を傾げることしかできなかった。
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