田舎娘は、誘われる

 正直に言おう。私に魔王様……ジャル様の専属料理人というものが務まるとは到底思えない。だって、私の料理の腕前は、あくまで田舎村の中では上手いという程度のものなのだ。料理のレパートリーだって煮るか焼くかくらいしかないし。

 そんな私が、ジャル様の居城で働いている本職の方々を差し置いて彼の専属シェフになるなんて、おこがましい以外の何ものでもないだろう。


 だから、いくらジャル様のお願いであっても「分かりました、よろしくお願いします」なんて軽々しく返事はできないのだ。

 だけどそう思っているのはどうやら私だけみたいで、ジャル様は熱心に勧誘の言葉を掛けてくる。


「これは確かに私のわがままです。ですが、貴女の料理を食べた時、本当に感動しました。それにどことなくホッとする味というか……あんなに温かい食事は、久し振りだったんです」


 ジャル様は言うと、少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。


「魔王という立場上、料理は繰り返し毒味をして提供されます。なので私の口に入る頃には、ほとんど冷めてしまうんです」


 ああ、なるほど。ジャル様はこの国で一番偉い人だから、体の中に入るものには気を付けなければならないのか。特に食事なんかは、毒を混入される危険性が高いから。


「先代が毒殺されそうになったり、あとは媚薬を盛られたりして当時は大変なことになったそうです。そういった事例もあるので、私も毒味は必要ないと強く言えないんですよね」


 ……なんか思っていた以上に大変な実例があった! というか先代様、毒どころか媚薬まで盛られてたの!?


 私は生まれてすらいないその当時にいったい何があったのか、妙に気になってしまった。そして同時に、過去にそんなことがあればジャル様が冷めた料理しか食べられないということも、当然だという思いも抱く。


「ええと、その……やはり、魔王様ともなると大変なんですね」

「ええ。ですがそれも、専属シェフを雇うことができれば解決します」


 じゃあなんで今まで雇っていなかったんですか、という疑問の声が喉まで出かかったけれど、必死に飲み込む。そして内心を悟られないようにへら、と愛想笑いを浮かべた。我ながら下手な誤魔化し方だと思っていたけれど、ジャル様は特に気にした様子もなく更に話を続ける。


「専属シェフは私が信を置く者を採用するので、基本毒味は必要ありません。それに調理場も私の執務室の隣にあるので、料理を運んでいる間に冷める、なんていうこともないのです」


 まさか仕事部屋の隣に調理場を作るなんて。魔族の食に対するこだわりは本当に凄まじい。なんかもうここまでくれば感心してしまう。だけどそれよりも、今のジャル様のセリフにツッコミを入れたくなる部分があったように思う。


『信を置く者を採用する』って、私たち出会ってからまだそんなに経っていないですよ?


 心を許してもらえているのは私としても嬉しいけれど、それでも見知らぬ人をホイホイ信じすぎじゃないだろうか。魔王様がそんな簡単にその辺で遭遇した女のことを信用したらダメでしょう。

 今回も思っていることを言葉にはしなかったんだけど、どうやら顔に出てしまっていたらしい。ジャル様は眉尻を下げて苦笑した。


「簡単に信用するなと、アイラさんが懸念されていることはもっともです。ですが、私はこれでも人を見る目があると自負しているのですよ。伊達に長年魔王をしていませんから」


 穏やかな口調と表情で語るジャル様は、『ガルさん』であった時とまったく同じ雰囲気を醸し出している。この空気は私にとっても心地良く感じられるもので、だからこそちょっとだけずるいと思ってしまった。


 まったく、彼の提案を受けたくなってしまうじゃないか。


 ここに来て、私の心はジャル様の専属シェフになるという気持ちに傾いていた。だけど、そうなるとお父さんを一人田舎に残してきてしまうことになる。やっぱり、それが気がかりだ。

 独断で返事をするのはさすがに難しいと思ったので、私はジャル様に改めて向き直ってから、今思っていることを彼に伝えた。


「ジャル様が私を専属シェフに、と言ってくださって、畏れ多くありながらも、嬉しく思います。ですが、今すぐお返事をすることは……できそうにありません」

「ええ、分かっています。急な提案ですし、アイラさんは今回、マロンちゃんの検査という名目があってゲパルドに来ているのです。今すぐに返事を、とは私も思っていませんよ。ですがどうか、心の片隅にも留め置いてください」


 ジャル様は魔王様なのに、そうとは思えないほどに私みたいな田舎者相手でも丁寧だし、控えめだ。さっきのサディさんとのやり取りでは魔王様の片鱗が見えたような気がしたけど、それでもどちらかというと『とても尊敬できる上司』みたいな感じだった。

 うーん、私の中の魔王様像との乖離が激しすぎる。だけど、一緒に働くとなったら、ジャル様のような人は理想的な雇い主かもしれない。


 よし、マロンの検査が無事に終わったらすぐテスの村に戻って、お父さんに相談しよう。ジャル様から専属シェフにならないかと誘われたって。こんなチャンス二度とないだろうから、ぜひとも受けてみたいって。

 私がジャル様の提案を受ける方向で前向きに検討し始めた時、応接室の扉が勢い良く開く。音にびっくりしてそちらを見ると、何やら書類の束を手に持ったサディさんがキラキラとした笑顔を浮かべて立っていた。


「いやあ、なんだいこれは! こんなにボクの興味をくすぐる連絡が入っていただなんて、知らなかったよ!」

「あなたがきちんと確認していなかっただけでしょう」


 興奮気味に登場したサディさんの言葉にジャル様は冷静に返す。サディさんは図星だったのか、下手な口笛もどきを吹きながら私の斜向かいにある一人掛けのソファに座った。

 サディさんは長い足を組むと、書類をテーブルに置きながらジャル様の顔を覗き込む。そしてニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべると、それで、と楽しそうな声を上げた。


「ジャルはこの子となんの話をしていたの」

「あなたはいったい何を想像しているんですか。先に言っておきますが、あなたにとって面白いことなど話していませんよ」

「えー、そんなの聞いてみないことには分からないじゃないか」


 なあなあ、教えてくれよ! と興味津々の様子のサディさんに絡まれて、ジャル様は小さくはぁ、と溜め息をついた。


「……彼女に、私の専属シェフになってもらいたいと話していただけですよ」


 ジャル様が話した内容を聞いたサディさんは、驚いたように目を見開く。やがて彼の瞳はキラキラと輝き出した。


「キミが専属シェフを持つなんて、百年ぶりくらいじゃないかい!? うわあ、それだけこの子の料理が美味しかったんだ。いいなあ、ボクも食べたい!」

「あなたはそういった主張をする前に、マロンちゃんの検査を無事に終わらせなさい」


 まるでわがままを言う子供を叱るように、ジャル様はサディさんにピシャリと言い放つ。この注意を受けたサディさんはしょんぼりと肩を落としたけれど、それも仕方がないかとすぐに気持ちを切り替えていた。


「この子の料理も気になるところだけど、ほぼ百パーセント新種の生き物の検査も、とてもやりがいがありそうだ。それじゃあ早速見せてもらう……前に、軽く自己紹介をしておくよ。ボクの名はサディ=カット。このデモナベスタガーデンの所長だ」

「あ、私はアイラといいます」

「うん、よろしくねアイラ」


 サディさんは挨拶をしながらニコリと微笑む。うっ、これは世の女性を虜にする魔性の笑みだ。この人、絶対モテモテだよ。そんな空気をまとっているもの。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」


 女性キラーであろうサディさんの眩い笑顔に目を焼かれつつ、私もしっかり挨拶を返した。


 さて、ここからが本題だ。病院嫌いのこの子には本当に悪いけれど、検査だけはしっかり受けてもらわないと。だけど、この検査で何かとんでもないものが見付かったりしたら、マロンはどうなってしまうのだろう。

 不安で不安で押し潰されそう、とまではいかないけれど、それでも緊張してしまう。私がカチコチに固まっていることに気が付いたのか、ジャル様が大丈夫ですよ、と気遣うように声を掛けてくれた。


「サディはこれでも魔力の扱いは抜群に上手いので、マロンちゃんに負担を掛けずに検査ができますよ。それに、何があってもアイラさんたちの不利益にならないように、私が責任を持ちますので」


 この言葉にいち早く反応したのは、声を掛けられた私ではなく、なぜかサディさんだった。


「わーい、やったー! 責任持たなくていいお仕事、ボク大好きー!」

「責任は私が持ちますが、あなたは真面目に仕事をしなさい」


 二人のやり取りを聞いて、私は肩の力が抜けていくのを感じる。真面目を絵に描いたようなジャル様の部下にしては、サディさんは少々ちゃらんぽらんな印象が拭えない。けれど、ガチガチにお堅いよりは、このくらいの空気感の方がちょうどいいのかもしれないと思えるのも事実だった。


 ジャル様に叱られたサディさんは肩を竦めると、それで! と私の方にずずいと綺麗なお顔を近付けてきた。


「その件の生き物をボクに見せておくれよ!」


 サディさんはまるで子供のように目をキラキラとさせている。その姿はなんだか可愛らしくて、一口に魔族といってもいろんな人がいるんだな、と改めて気付かされた。


「はい、分かりました」


 私は頷いて、袋の中にいるマロンに声を掛けながら外に出してやる。彼女は見慣れない部屋と人物に警戒心を露わにしながらも、どうにか私の腕の中に収まってくれた。尻尾めっちゃぽんぽこしてるけど。


「うわあ、ちっさい! え、この生き物はどんな体の構造をしているんだい!? 見た感じ毛並みも良さそうだし、ちょっと触ってみても!?」


 興奮気味に声を上げたサディさんが、勢いそのままにこちらに手を伸ばした。


 サディさんに悪気があったわけではないことは、もちろん分かっている。そう、彼は、猫という生き物に対する経験値が圧倒的に足りていなかっただけなのだ。


「ヌァーオ、フシャー!」


 マロンはほぼ初対面のサディさんをめちゃくちゃ威嚇すると、伸ばされていた手に素早くネコパンチを繰り出した。


 あっ! なんて言う間もなく。


 気付いたらサディさんはソファごと吹き飛ばされて、執務室の壁に叩き付けられていた。

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