田舎娘は、騎士と出会う

「私は……ガルといいます。この辺りに生息していないはずの魔獣が現れたという話がゲパルドの騎士団の方まで届いたので、確認をするために私が派遣されました」


 魔族の男性……ガルさんは、とても丁寧な物腰でこの森を訪ねた理由を説明してくれたのだが、それを聞いて驚いた。まさかゲパルドの騎士様だなんて。


 ゲパルドといえば、誰もが知っている魔王国の首都だ。そこの騎士様ということは、つまり彼は、この国の超エリート集団である魔王国騎士団に所属しているのだろう。ちなみに、基本的に魔族イコール貴族だ。

 そんなエリートのはずのガルさんだが、私の目線の高さに合わせて屈んでくれるという気遣いを自然にしてくれた。私の身長は百六十インテいかない程度だから、二エルトもありそうな彼が屈むのはたぶん辛いはずだけど、体がまったくブレていないのはさすが騎士といったところか。


 私がそんなことで感心していると、ガルさんは軽く周りを見回した。何かを警戒しているみたいに見えるけど、もしかして件の魔獣を探しているのだろうか。そんな警戒しなくてもいいのに。だってその魔獣、冬ごもり前に退治できちゃってるから。


「あの……騎士様」


 すでに解決済みのことでガルさんの気を揉ませるのも申し訳なくて、私は勇気を出して声を掛ける。それに対して、ガルさんは微笑んで口を開いた。


「ガルで構いませんよ」


 とても優しい声色だ。その声を聞いただけで、ガルさんが気が長くて大らかな人が多い魔族の中でも、特に穏やかな気質なのだということが分かる。だからだろうか、彼の見た目から感じる圧迫感は、いつの間にかなくなっていた。


「ええと、それでは……ガルさん」

「はい、なんでしょう」

「その、見慣れない魔獣の件なんですけど……冬ごもり前に村の人族で退治してますし、その後も現れてないですよ」

「……なるほど」


 ガルさんはがっくりと項垂れ、はは、と乾いた声を漏らした。


「……本当に、すみません。この土地の領主にはもっと危機感を持つようにと言っておきます」

「そんな、大丈夫ですよ。なんにもなかったですし」

「そういうわけにはいきません。今回の問題を放置していて、もし住民の方に危害が及んでいたら取り返しのつかないことになっていたんですよ。これは職務の怠慢です」


 毅然と言い放ったガルさんは一瞬だけ鋭い目をしたものの、すぐに表情を和らげる。そして軽く頭を下げた。


「お嬢さん、お話しくださりありがとうございました。引き止めてすみません」

「いいえ、こちらこそ、わざわざこちらまでご足労いただいて……」


 私もすぐさま頭を下げる。前世日本人だった頃の血が騒いだ私と、ものすごく腰の低いガルさんという組み合わせがそうさせたのか、うっかりお辞儀合戦が始まってしまった。

 そんな不毛な戦いとも呼べない戦いを止めたのは、抱っこひもに包まれていたマロンの可愛い鳴き声だった。


「ミャウ」

「ん? 今の声は……」

「あ、マロン」


 ひょこ、と抱っこひもから顔を出したマロンが、もう一度にゃあ、と一鳴きする。ああもう、相変わらず最高に可愛い。……じゃなくて!


 ガルさんが驚いたように目を見開いている。そりゃそうだろう。だってこの世界、猫がいないんだもの。


「あの、お嬢さん、そちらの生き物は……?」

「こ、この子は」


 しまった、マロンのことはテスの村の人たちしか知らないんだった。領主様にも報告していないし、ガルさんになんて説明しよう。


 私は一人でわたわたと慌ててしまう。だけどマロンはそんなことなどお構いなしに、ガルさんに愛嬌を振りまき始めた。うちの子は初対面の相手にも臆さない奇跡のにゃんこなのである。


「ニャーン」

「え、えっ」


 ガルさんが本気で困惑している。マロンがどういった生き物なのか分からなくてどうしたらいいのか迷っているんだろう。

 二エルトもありそうな大男が小さな猫相手に狼狽える姿は少し滑稽だ。しかし、そんなことを考えるなんてガルさんに失礼だと思い、お詫びの気持ちを込めて私は彼に助け船を出した。


「頭を撫でて欲しいって言ってるんですよ」

「頭を撫でる?」

「ほら、こうしてあげるんです」


 ガルさんにお手本を見せるようにマロンの頭を撫でる。マロンはいつも通り気持ち良さそうに目を細めた。更にはこれもまたいつも通りゴロゴロと喉を鳴らして、もっと撫でてと言わんばかりに私の手のひらに頭を押しつけてくる。まったく、調子のいいやつめ。


「この子、こんな感じでとても懐っこいので、ぜひ撫でてあげてください」


 私とマロンのふれあいをポカンとした表情で見つめていたガルさんに、さあ、とマロンを抱き上げて差し出す。ガルさんは、その体格に見合った大きな手を恐る恐るマロンへと伸ばした。

 ガルさんの指先がマロンの耳に触れる。マロンが反射的に耳をピコピコと動かしたのを見て、ガルさんは大きな体をビクリと震わせた。


「ふふ、恐くありませんよ」

「そ、そう言われましても、このような小さな……動物、でしょうか。見るのは初めてで」


 彼は言いつつも、マロンの頭にそっと手を乗せ、慣れない手つきで撫で始めた。マロンはというと、ようやくきたかと言わんばかりにガルさんの手に頭を押しつけている。

 しばらく撫でていたガルさんだったが、どうやらもうコツを掴んだらしい。彼のあまりのテクニシャンぶりに、マロンがデロデロに溶け始めていた。


 その姿にギョッとしたのは、もちろんガルさんだ。彼は、猫好き界隈に広がる『猫は液体説』を知らないから、無理もない反応だろう。

 私は溶けてしまったマロンを抱っこし直して、ガルさんに「安心してください」と笑い掛けた。


「この子、ものすごく体が柔らかいんですよ。だから、こんな状態でも何も悪いことはないので、気にしないでください」

「そうなのですね。しかし、これは……柔らかな……」


 ガルさんは先ほどまでマロンを撫でていた自分の手を見つめ、小さく呟いている。たぶんだけど、にゃんこの魅惑のボディにメロメロになってしまったのだろう。とても良く分かる。

 マロンも満足したらしく、にゃん、と一声鳴いて私にくっ付いてきた。


「ふふ、マロンも嬉しかったみたいです」


 私の言葉を聞いて、ガルさんは安心したように息をついた。ちょっぴり緊張していたようだ。それもそうか。こんな小さな生き物、この世界では赤ちゃんくらいでしかお目に掛かれないし。


 あ、赤ちゃんといえば、魔獣の赤ちゃんは結構可愛い。だけど、まーすぐ大きくなるんだ。

 テティラビーはもふもふ毛玉だったのが凶暴な毛玉に進化するし、ベルギアルも赤ちゃんの頃のサイズのままだったらぜひともペットにしてみたいと思えるのに、こっちもやべえパワー持ちの大型魔獣になってしまう。


 魔獣を家畜化したくても彼らは自然進化した存在じゃないから、品種改良とかできないんだって。だからミルクとか卵とか、この世界では高級品の部類なんだよね。そのへんは魔王様謹製の、魔獣を隷属させる魔道具がないと生産できないからだとか。


 そんな高級品を田舎にも融通してくれるうちの領主様、のんびり屋だけどやっぱりいい人だよなぁ、なんて考えていた私の耳に、あの、というガルさんの困ったような声が届いた。いけない、いけない。騎士様が目の前にいるのに別のことを考えるなんて。

 私は慌てて「はいっ!」と返事をした。


「どうしました?」

「ああ、すみません。そちらの……あなたがマロンと呼んでいる動物なのですが、よければゲパルドの方で検査をさせてはいただけませんか?」

「え、検査ですか?」


 どうして検査が必要なんだろう。もしその検査で、マロンがとっても強いことがバレてしまったら、この子はどうなってしまうんだろう。

 そんな不安を抱いてガルさんの様子を窺っていると、彼は私を安心させるように穏やかな声で理由を説明してくれた。


「マロンちゃんはあなたにとても懐いているようですし、私も特段害意というものを感じておりません。ですが、やはり見たことのない生物ですので、万が一何かがあってはいけません」


 なので、こちらで検査をさせて欲しい、とガルさんは真摯な目で私とマロンを見つめた。

 こんなふうに男の人に見つめられることなんて、生まれてこのかた、それこそ前世に遡ってもなかったように思う。だから、正直に言って恥ずかしい。ガルさん、都会の人のオーラに溢れてる上に普通にカッコイイんだもん。


 ああでも、ガルさんみたいな男の人の口から「マロンちゃん」なんて言葉が飛び出したのは、結構意外で可愛いかったかも。

 なんて現実逃避をしても、きっと彼の申し出を断ることなんてできないのだろう。いくら魔族は大らかな人が多いからと言って、それが身分差を考慮しなくていいということにはならないからだ。


 私は小さく溜め息をついて、こくりと頷いた。


「……分かりました」

「了承いただけてよかったです。……お嬢さん、可愛がっているマロンちゃんを検査することに不安はあるでしょう。私もあなた方の不利益にならないように尽力しますので、どうか安心してください」


 ガルさんは不安を感じている私の目を見て、優しく微笑んでくれる。


 ああだめだ、やっぱりちょっと恥ずかしい。

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