田舎娘は、にゃんこをプレゼンする

 ざりざりとした何かが私の顔面を舐め回している。それが地味に痛くて、私は懐かしい夢の世界から戻って来た。


「ゥルルニャアン」


 私が目覚めたことに気付いたのか、茶色の毛玉……もとい、愛猫のマロンが甘え声を出す。久しく聞いていなかった鳴き声に、顔面の筋肉が弛緩していくのを自覚した。


 ああ、私の願いごとはようやく叶ったんだな。


 たぶん、今の私の表情はだらしなく緩みきっていることだろう。それは仕方がないことだ。猫を前にした全人類たぶんこうなる。可愛いは正義。

 固い地面に横たわっていたせいか体が痛い。しかしそんなことは愛するマロンの前では些事だ。背負ったままの籠が邪魔で動きにくかったけれど、意地でさっさと起き上がる。ベキベキという、人体が発してはいけない音が鳴ったような気がしたが、たぶん気のせいだ。


「マロン!」


 体の痛みから目を背けながら愛猫の名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに私の足に擦り寄ってくる。もうほとんど頭突きと言っていいすりすりも懐かしいもので、なんだか涙が出そうだった。

 私はマロンを抱き上げると、久し振りの柔らかな体を撫でくり回す。前世ではツルツルとしたまるで絹のような触り心地だった茶色い毛は、今はゴワゴワしていた。この感じ、どうやらずっと外にいたようだ。


「マロン、おうちに帰ったら体を洗おうね」

「ミャッ!?」

「こら、嫌がらないの! ほっといたら皮膚病になっちゃうかもしれないじゃない!」


 それに、このままでは私がこの子を吸えない。マロンの背中やお腹に顔を埋めて深呼吸するという至福の時間を取り戻すためにも、彼女を綺麗にしなければ。


「ほら、マロンはブラッシング好きだったでしょ? 体を洗ったらやってあげるから」

「ゥミュー……」


 お風呂は嫌だがブラッシングはして欲しい、とでも思っているのだろう。マロンはうにゃうにゃと気の抜けるような声で鳴いていた。


 さて、今日の所はもう帰ろう。食料が何一つ採取できなかったのは痛手だが、夜の森に居座る方が危険だ。神獣だっているかもしれないのに。


 そこまで考えて、私はハッとした。ようやく再開できたマロンを飼う気満々だったけれど、お父さんが許してくれるだろうか。だってこの世界、猫がいないんだもの。


 基本的に魔獣も神獣も大型だから、小さいマロンはその二種とは違う生き物だと思われるだろう。そうなると、人族の国に生息している動物か何かだと考えられるかもしれない。


「というか、そう言い張るしかないよねぇ……」


 実際のところ、動物も基本的に小型種はいないのだと人づてに聞いたことがある。そのため愛玩動物という概念が希薄なんだとか。物好きな金持ちがペットとして大人しい種を飼うことはあるらしいけれど、もちろん一般的なことではない。


 愛玩動物という概念なら、むしろ魔王国の方が浸透しているだろう。だって魔獣は魔族に従順だ。テティラビーなんかは見た目もどことなく前世で言うところのウサギを彷彿とさせるし、もふもふで愛らしいので貴族のご婦人やご令嬢に人気が高いとも聞く。まあでも、私は食べるんですけどね。


 今日の夕食はテティラビーの干し肉スープにしようかなぁ、などと呑気に考えながらマロンの顎をくすぐると、彼女はゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす。このゴロゴロ音も本当に久し振りに聞いた。ああ、なんでこんなにも愛おしいのだろう。

 私はマロンを撫で撫でしながら森の出口へと歩き出そうとした。すると、またガサガサという音が聞こえてきたので足がすくんでしまう。まさか魔獣か、もしくは神獣か。


 マロンが私の腕から飛び降りて、音の聞こえてきた方向にシャーシャーと勇ましく威嚇する。マロンと一緒に注意深く観察した先に立っていたのは、なんとお父さんだった。


「アイラ! 無事だったか!」

「え、お父さん?」


 お父さんは私を見て、ホッと安心したように息をつく。


「全然帰ってこないから心配したぞ」

「あ……ごめんなさい」

「謝らなくていい。森がおかしいのは分かっていたんだから、お父さんがお前を止めるべきだったんだ」


 お父さんは言いながら私の元に一歩近付いて、ようやくマロンの存在に気が付いたらしい。初めて見るであろう魔獣でも神獣でもない動物らしき生き物を見て、お父さんは大いに困惑していた。


「あ、アイラ、それはなんだ……?」


 それ、とお父さんが震える手で指したのはもちろんマロンだ。マロンは私がお父さんに対して警戒していないことが分かったようで、今は威嚇していない。だけどまだ興奮はしているらしく、尻尾はボンと膨らんでいた。


 そういえば、尻尾が膨らんでいる状態のことを「ぽんぽこ」なんて言っていたなぁ。狸の尻尾みたいだからって。なんて、本当にどうでもいいことを考えていると、「あー」とか「うー」とか言葉になっていないお父さんの声が聞こえてきた。


 いけないいけない、マロンのことをお父さんにちゃんと説明しないと。だけど、なんて言えばいいだろうか。最終目標はこの子をうちで飼うことなので、マロンが危ない生き物じゃないってことを分かってもらわなければならない。


 ようやく尻尾がスマートになったマロンを私は抱き上げ、ほら! とお父さんに見せた。ここからは私の実力が試される。そう、猫ちゃんという生き物の可愛さをお父さんにプレゼンするのだ!


「この子は、ええと……その、危険な子じゃないよ! こんなに小さくて可愛い!」

「う、うむ……確かにこんなに小さな生き物は見たことがないが……しかし、なんなんだ? 魔獣や神獣でもなさそうだし」


 魔王国に住んでいる人間なら当然抱く疑問だろう。そんなことは想定済みなので、私は予め用意していたそれっぽい説明をお父さんに伝えた。


「たぶんだけど、人族の国にいる動物ってやつじゃないかな?」

「動物? これが?」


 私の説明に納得がいっていないのか、お父さんはマロンをまじまじと見つめる。マロンは少々居心地が悪そうにしながらも、私とお父さんが親しげに話をしていることを理解したのか、ふにゃん、と小さな鳴き声を漏らした。


「……確かに、ずいぶんと大人しいな」

「でしょう?」


 お父さんに説明しながらも、私はマロンを撫で続けていた。彼女は気持ちよさそうに目を細め、私の手のひらに頭を押しつけてくる。


「はぁ、可愛い」


 どこが可愛いのかと問われたら、それこそ全部だと答える自身がある。猫といえばツンデレだという世の中の風潮にあって、マロンはツンがほとんど存在しないデレデレの甘えん坊にゃんこだ。友人から猫界のレアキャラと評されたこともある。

 そんなマロンだが、なんだかんだ賢い子だ。なんて言ったって、この子は自分が可愛いことを理解している。理解しているからこそ、とてもあざと可愛い鳴き声を上げたり、動作をしたり、表情を浮かべたりするのだ。


「ゥルニャァン?」


 そう、こんなふうに可愛い声で鳴いて、くりくりのまあるい黄色のお目々を甘えたい対象に向け、こてんと首を傾げてみせる。

「ウッ」


 この愛嬌振りまき攻撃にお父さんが呻き声を漏らしながら胸を押さえた。分かる。私もきっとそうなる。


「た、確かに、アイラの言う通り可愛いな」


 お父さんは言いながら、おっかなびっくりマロンに手を伸ばす。そして私の手つきを真似て、マロンの頭を撫でてあげた。


「柔らかいな……」

「でしょう? とてもモフモフしてて気持ちいいの」


 初めてにしては上手にマロンを撫でているお父さんだったが、マロンが喉を鳴らしたのでバッと手を離した。


「な、なんかゴロゴロって音が聞こえるぞ。手にも振動がっ」

「ああ、それはこの子が喉を鳴らしてるんだよ。気持ち良かったり嬉しかったりするとゴロゴロいうみたい。顎の下とか撫でてあげると、特にゴロゴロいうよ」


 私もさっき知ったんですよ、という体で話す。お父さんは無事に信じてくれたらしく、今度はマロンの顎を指先で撫でた。

 ゴロゴロゴロ、と抱っこしている私にもその振動が伝わってくる。ああ、本当に気持ちいいみたいだ。マロンは幸せそうに目を細めていた。

 そんなマロンを見つめるお父さんだが、頬が緩みまくっており少しだらしない。たぶん、さっきまで私も同じような表情を浮かべていたはずだ。誰にも見られなくて良かった。


 ……じゃ、なかった。もしかしたら、今ならお父さんにこの子を飼うことを許してもらえるのでは?


 私は何度か深呼吸して、意を決して口を開いた。


「お父さん、あの……この子、うちで飼っちゃだめ?」

「かう……? それは、ええと」


 あ、これは『飼う』という意味がよく分かってないな。


 すぐに察した私は、お父さんに『飼う』という言葉の意味を教えた。


「飼うっていうのは、飼育するってことだよ。ほら、貴族様が時々テティラビーとかを飼ってペットにしてるって聞くじゃない」

「ああ、その『飼う』か! だが、そんなことができるのか?」

「できると思うよ。ほら、この子、甘えん坊だし大人しいよ」

「確かに、その通りだとは思うが……」


 私の説明で『飼う』ということをお父さんは理解できたらしいけれど、我が家に迎え入れることは渋る。うーん、もう一押し必要だろうか。

 どうやってお父さんを説得しようかと悩んでいると、マロンがのそりと顔を上げた。そのままお父さんをまっすぐに見つめると、たった一言。


「ニャン!」


 と、元気良く笑うように鳴いた。

 これにはお父さんも見事にノックアウト。

 こうして無事に、マロンは我が家に迎え入れられることになった。


 後で分かったことだけど、お父さんはマロンに対して、赤ん坊に抱くような愛おしさを感じたのだという。

 その話を聞いて思い出したのだが、人間が猫を可愛いと感じるのは、顔のパーツ配置が赤ちゃんの特徴と同じだかららしい。

 ちなみに猫過激派の私の考えは逆で、猫の顔パーツ配置と同じだから人間の赤ちゃんも可愛いと感じるのだと思っている。猫好きの人ならばきっと同意してくれることだろう。

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