ブルースターアイリス 番外編

Usagi

第1話 赤いきつねと緑のたぬき

 ある穏やかな日、山での修行を終え家に帰ると、ジジイと桜が昼食を作っていた。

 桜の足元では、小狼が桜が落ちないように前足で台を押さえている。器用な狼だ。


「ハクおかえり。見て!うどん作ってる!」


「おぉ、手真っ白だな」


 俺に向かって小さな両手を見せる桜。

 今日の昼食は、煮揚げがあるところからしてきつねうどんのようだ。

 小腹がすいたので一枚煮揚げを口に入れた。


「美味いな」


「全部食べたらいかんよ」


「わかってるわかってる」


 のどかな光景だなとジジイと桜がうどんを作っているのを見守る。

 今日の煮揚げ本当に美味いな。

 うどんを作るのが楽しいのか、今にも踊り出しそうなぐらいニコニコしている桜に、常時仏頂面なジジイの表情も柔らかい。

 こうして見りゃ心優しい爺さんに見えんのにな。

 そうなことを考えていれば、桜が俺を呼んだ。


「ハク」


「ん?」


「油揚げは?」


「そこにあるだろ」


「ないよ」


「え?」


「ない」


 桜のいつもとは違った鋭い視線を受けながら煮揚げが置いてあった皿を見る。

 先ほどまであった煮揚げが一枚残らずなくなっていた。

 桜の気持ちを代弁するように小狼が俺を威嚇している。

 俺そんな食ったか???

 ジジイと桜と小狼に責めるような視線を向けられたまま家の中に沈黙が流れる。


「…………俺じゃない」


「貴様以外に誰がおるんじゃ」


「アドルフォ」


「あやつは山で走り回っとる」


 俺以外に食いそうなのはあの野生児のアドルフォぐらい。そのアドルフォがいないのなら、俺が気付かぬうちに全部食べてしまったのかもしれない。

 空いていた腹が少し満たされている自覚はあるが……。

 チラリと桜を見れば、先ほどまで楽しそうにうどんを作っていたのに今じゃ俺を鋭い眼差しで真っ直ぐ見つめている。


 「ハルトネッヒさんのきつね……」


 どうやらジジイの煮揚げが食べられるのを楽しみにしていたらしい。

 怒っているというより少しがっかりした顔で拗ねている。


「あー……別に、なくても」


「きつねがなきゃきつねうどんは始まらない」


「ハイ」


 とても凛々しい顔で言われた。

 5歳児とは思えぬ凛々しさだ。

 そんなにきつねうどん食いたかったのか。悪かったよ。気付いたらなくなってたんだよ。


「買ってこい。"飛べ"」


 そんなこんなで俺はジジイの言霊により火の国へと飛ばされた。



「そんなわけで、俺は娘の笑顔を取り戻すために油揚げを買って帰らなきゃいけない。あるか」


「兄ちゃんにゃ悪いが、ねぇな」


「あるよな?」


「ねぇんだなぁ、それが」


「あるって言え」


「凄むんじゃねぇ。ねぇもんはねぇんだ」


 火の国について早々、行きつけの八百屋のおやっさんの元へと向かうも、油揚げはなかった。


「油揚げぐらい置いとけよ……!!」


「ここはお前さん専用の店じゃねぇってんだ。食っちまった自分に後悔するしかねぇな」


「もうしてんだよ……! 舐めんじゃねぇぞ……!」


「そーかいそーかい。ま、頑張って探すこったな。市場は今日も賑わってらぁ。どっかにゃ置いてあんだろ。こりゃ餞別だ。ハルトネッヒさんに渡してくれよ」


 そう言い俺に何かが入った袋を渡すおやっさん。中を見て見れば餅が入っていた。

 俺が今欲しいのは油揚げだが、貰えるもんは貰っとく。

 おやっさんと別れ市場を探し歩く。


「なぁ油揚げあるか?」


「油揚げ? さっき全部売り切れちまったよ」


「またかよ!」


 油揚げがあるかと聞いて答えは、「置いてない」か「売り切れた」かの二つだ。

 置いていないのは仕方がないが、置いてあったであろう店では行く店行く店で同じことを言われる。今ので5回目だ。

 誰だ。今日という日に限って俺の前に油揚げを買い占めている奴は。


「油揚げどこに売ってんだよ」


「兄ちゃん、油揚げ探してんのかい」


「あ?あぁ、あるか?」


「あるよ」


「あるのか⁈ 店にあるの全部くれ!!」


「おぉ、どんだけ油揚げ欲しかったんだい。10枚でいいかい」


「おう!」


 油揚げそのものを見つけることすらできないことに頭を抱えていれば、魚屋のおっちゃんに声をかけられた。

 魚屋なのになんで売ってんだとは思ったが今はどうでもいい。

 ついに巡り会えた油揚げ。これで桜も機嫌を直して笑ってくれるだろう。


「まいど!」


「ありがとな!」


「どうもー、油揚げあるかい?」


「! 大将さん! 悪いな、今ちょうど売り切れちまったんだ。あの兄ちゃんが買ってってよ」


「あ? げっ」


 背後で行われている会話が耳に入り振り返れば、そこにいたのは火の大陸陸軍のトップである女大将、夏嶺依シァリョウイ

 片手に大量の袋を持ちながら立っていた。


「誰が買い占めたのかと思ったら君か。その油揚げちょっと分けてくれないかい?」


「断る。つかその大量の袋なんだよ。大将が直々に買い出しにでも出てんのか?」


「これ? 全部油揚げだけど」


「買い占めてたのお前か! そんなに持ってんならもういらねぇだろ!」


「あと10枚足らなくてさ。ほら、陸軍ウチは人数が多いだろ?今日は稲荷寿司が食べたいと思ったんだけど、ナートにそんなに食べたいなら人数分自分で買ってこいって言われてさ。あと10枚買わないと稲荷寿司が食べられないんだよ」


「中将にパシられてんのかよ。そういうことなら頑張って探せ。じゃあな」


 そういい嶺依に背を向け歩き出そうとすれば手を掴まれそうになり、避けた。


「君、10枚持ってるよね?」


「俺はこの油揚げに今後の人生がかかってんだよ」


「奇遇だね。私も今日の夕飯がかかってる」


「俺の今後の人生とお前の夕飯なら俺の方が重いだろ!」


「君の人生なんて軽いもんだろ?」


「笑顔で失礼なこと言ってんじゃねぇよ」


「お前さんたち死闘でも始めそうな勢いだが、よしてくれよ……?」


 俺と嶺依の間に張り詰めた空気が流れる。

 おっちゃんが俺たちを交互に見て不思議そうな顔をしているが、そんなのは無視だ。


「わかった。じゃあこうしよう。じゃんけんだ」


「はぁ?」


「じゃんけんで負けたら潔く諦めるよ」


 なぜ俺が妥協する羽目になっているのかはわからないが、それで諦めてくれるならもうなんでもいい。

 俺は早く帰らなきゃいけない。


「ったくしょうがねぇな」


「じゃあ恨みっこはなしだよ」


「あぁ」


 そう嶺依が言った直後俺の意識が飛んだ。


「兄ちゃん、兄ちゃん!」


「!」


「大丈夫かい」


 おっちゃんに声をかけられハッと意識が戻る。慌てて手元を見るも油揚げの袋がない。


「俺の油揚げは⁈」


「さっきじゃんけんで負けちまったから大将さんが持ってっただろ」


「あいつ……!!異能力使ってんじゃねぇよ……!!」


 俺は嶺依に洗脳をかけられじゃんけんで負け、そのまま油揚げも持っていかれたらしい。油断していた。

 油揚げ……俺の油揚げ……!!


「ハクさん」


 油揚げを持っていかれたことに打ちひしがれていれば声をかけられた。

 声のした方を向けば、そこにいたのは先日ピアサ狩りの時に助けた八百屋の娘。


「よかったら、これどうぞ。2枚しかないから足りないとは思うんだけど」


 そういい俺に油揚げが入った袋を渡す。全部持ってかれた今は、2枚だけでも嬉しい。


「いいのか?」


「はい。この間助けていただいたので。小さなお礼ではありますが」


「ありがとうな」


 この優しさをあの油揚げ強奪大将にも見習って欲しい。

 その後も店を何件か周り油揚げを探したが、火の国で手に入れられたのはその2枚だけだった。

 ジジイには悪いが桜とアドルフォ、ちびっこ二人の分だけでもあれば許されるだろうか。

 このまま家に帰らない方が怒られそうだ。日が暮れ始めたこともあり、俺は諦めて家へと帰った。



 開口一番謝ると決めて玄関を開け家に上がると、桜が小走りで俺の元までやってきた。その後ろを小狼がついてくる。


「悪い、桜。2枚だけしかーー」


「赤いきつねと緑のたぬきどっちがいい?」


「え?」


「赤いきつねと、緑のたぬき」


 赤いきつねと緑のたぬき??なんのことかはわからないが何やら少し楽しそうだ。


「……青い、きつね」


「青?青はないんやけど、うどんと蕎麦どっちがいい?」


「蕎麦?」


「貴様が帰ってくるのが遅いから蕎麦も作ったんじゃ」


 居間で新聞を読んでいたじじいが立ち上がり台所に向かいながらそう言った。

 俺が帰って来るのを待っていてくれたようだ。

 ジジイの言う通り、うどんと蕎麦、それから揚げる前のかき揚げが置いてある。


「2枚しかないなら貴様は蕎麦じゃ。これはわしと桜で食べる」


「あぁ……いや、アドルフォにやれよ」


「あやつはもうかき揚げを食っておる」


「うへぇ!」


 桜とジジイに気を取られていたから気づかなかったが、ガツガツ凄い勢いでアドルフォはすでにそばを食っていた。

 3日ほど飯を食っていなかったような勢いだが昨日も同じように食っていた。むしろ毎日あのペースで食ってる。


「じゃあハクは緑のたぬき」


「それなんだ?」


「向こうの世界でかき揚げそばのことそう言ったりするんよ」


 それは知らなかった。

 かき揚げそばが何がどうなって緑のたぬきになるのかは謎だが、そう呼ぶらしい。


「これ何?」


「ん?あぁ、餅だ。八百屋のおやっさんに貰った」


 俺が持っていて袋を覗き込んで見ている桜に餅を取り出し渡す。


「お餅!ハルトネッヒさん、きつねうどんにお餅入れたら美味しいですかね」


「入れるか」


「お餅きつねうどん!」


 ジジイと嬉しそうに話す桜の顔を見て思った。

 おやっさんありがとう。キレて悪かったな。

 あの鋭い眼差しで射抜かれた時はどうなることかと思ったが、どうやら丸く収まりそうだ。


「突っ立っとらんで手伝わんか」


「へいへい」


 桜の笑顔に安心していればジジイに仏頂面で言われた。

 ジジイと桜はうどんとそばを茹で、俺はかき揚げを揚げる。

 全て揚げ終わったあと皿を見ればそこには何もなかった。

 アドルフォと一悶着あり、俺は一人そばのみになった。


 4人と一匹、家族のように食卓を囲む。

 煮揚げもかき揚げもなかったが、焦りを感じていたのが嘘のように心安らぐ時間を過ごしたのだった。



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ブルースターアイリス 番外編 Usagi @unohanayukito

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