カウント・ダウン

ケン・チーロ

カウント・ダウン

 カウントダウン                  



 ――キャンドルを暗くして スローな曲が掛かると 

 ――君が彼の背中に手をまわし躍るのを壁で見ていたよ


 気づけばスピーカーから、また恋するカレンが聞こえて来る。よく覚えてはいないが、少なくても十回はこの歌を聞いた気がする。

 ぼんやりそう思いながら俺は山から牌を自摸つもり、親指の腹で盲牌もうぱいする。ザラリとした感触、字牌ではない、縦に並んだ溝。索子そうずの、恐らく六索ろーそーだろう。俺には不要な牌。ちらっと河を見ると二枚出ている。俺は手首を返し、そのまま六索を河に捨てた。

「十巡目か」俺と同じ事を思ったのか、右手上家かみちゃのマサルが呟く。

「は? 河見ろよ、五巡目だろ」左手下家しもちゃのリバが返す。

「歌だよ。恋するカレン、十回は聞いている気がする」

「ややこしい事言うなよ」リバは自模った牌を見ずにそのまま河に捨てた。

「ポン」聞き惚れるほどのバリトンボイスで、俺の対面の悟志が鳴いた。

 俺たち四人は地元国立大学の工学部に通うニ回生だが、大学にも行かず、一人暮らししている悟志の家で朝から晩まで麻雀を打ち、貴重な人生の時間を無駄に浪費するという贅沢を味わっていた。

 リバが切った牌はちゅん初牌しょんぱいだった。悟志は中を拾い、五索うーそーを捨てる。

 索子が安い場になりそうだった。

「仕掛け早いな」俺は呟きながら、もう一度河を見る。

 字牌が、とん一枚、西しゃー二枚だけ。俺の手元にははくが一枚。

 まさかとは思うが用心しようと思った。

「やはり大瀧詠一は良いな」マサルが自摸り、それを手の中に入れ二萬りゃんまんを捨てる。

「これストリーミング? 」リバが聞く。

「いや、悟志が栄町のCDショップで拾ったって。シュガーベイブもあるぞ」

 俺は手を伸ばし、牌を取って盲牌する。今度も溝を感じる。また索子だ。

「栄町まで行ったの? 大変だったろ」俺は悟志を見たが、悟志は顔色ひとつ変えず無言で頷いた。俺はそのまま自摸切りした。

「チー」とリバが言って俺が捨てた八索ぱーそーを取った。

嵌張かんちゃんを鳴くか。全帯ちゃんただろ 」リバは俺の探りを無視して四萬すーまんを捨てる。

 リバが何も答えない時は大抵その通りの手だ。本当にリバは分かり易い。

 だがマサルと悟志は厄介だ。マサルは表情や言葉と全く逆の事を平気する。

 切る牌を間違えた、と言いながら高い手で上がったり、逆に高い手の雰囲気を醸し出していたのに不聴のーてんだったり、とにかく手の内が読めない。

 悟志は全くのポーカーフェイスで表情ひとつ変えず、淡々と手を作り上がっていく。今も無表情で、煙の出ていない電子タバコを咥えている。

 この四人の中で強さの順位をつけるなら、悟志、それと同じくらいでマサル、俺、そしてリバだろう。

 場は淡々と進んだ。俺たちは牌を自摸り、考え、牌を選び、捨てる。

 十巡を過ぎた頃ようやく俺も手が揃ってきて一向聴いーしゃんてんまで来た。一萬いーまん七筒ちーぴんを自模ればリーチが掛けられる。

 俺は念を込め、自摸る。来い来い来い。

 ――お?

 盲牌で丸い溝を感じる。これはもしやとチラっと見ると、来たぞ七筒。

 逸る気持ちを抑え、それを手牌に入れ、白を切ろうとした時俺の手が自然と止まった。

 落ち着いて河を見る。字牌は東南西北とんなんしゃーぺーが二枚ずつ。白発中はくはつちゅんの三元牌はリバが切って悟志が鳴いた中だけ。白は一枚も出ていない。

 心の中でひとつ舌打ちして、頭の九筒きゅーぴんを崩した。山に手を伸ばしていたリバの手が一瞬止まった。そして誤魔化すように手首を廻しながら山から牌を自摸った。

 ――もう聴牌てんぱっているな。

 やはりリバは分かり易い。そのリバは自摸った牌を一旦手牌の上に置き、動きが止まった。チラッと河を見る。そして動かない。

 終盤に差し掛かり、全員手が揃って来ている。慎重になるのは当然だ。

「勝負だ、勝負」マサルがリバを急かす。

「……うるせぇ」図星のリバは渋面になる。

 悟志が欠伸ひとつして、脇に置いてあったペットボトルのコーラを口にした。

「俺にもくれ」手を伸し、悟志からコーラを受け取り一口飲む。少し炭酸は抜けているが、喉が焼ける感覚で眠気が少し収まる。

「よっしゃ、勝負じゃ」リバが白を河に捨てた。

「ロン」即座にバリトンボイスが響く。

小三元混しょうさんげん一色ほんいつ ドラ一」

 パタリと悟志が手牌を倒した。萬子の混一色と発の暗刻あんこ、そして白の単騎待ち。

 やはり危なかったと一息つく。

「げぇぇぇぇええ」断末魔の蛙の鳴き声がリバの喉から飛び出す。

「親だれだっけ? 」

 俺とマサルは悟志を指さした。悟志は頷く。

「親っぱね 一万八千」

「飛んだぁあああ」リバは乱暴にガシャっと手牌を崩した。

「はい、リバ君最下位決定。買い出しよろしく」マサルが氷雨のような冷たい一言を放った。


「コーラ、あったらヒートスティック。フレーバーはなんでもいい」

「メロンパン、ポテチ、アンパン」

「メロンパンとアンパンふたつか? 」

「んーメロンパンだけでいい」

「おにぎりってあんのかな? 」俺が聞いた。

「今時そんな貴重品ある訳ないだろ」

「どこに買い出しにいくんだ? 」悟志が聞いた。

「桜新町の高砂屋かな。あそこ品揃えあるから」

「まだ開いていたっけ? 」

「ちょっと待てよ」リバがスマホを取り出し画面をタップする。

「閉店情報はないな。いちおー営業中ってあるぜ」

「カウントダウン近いのに頑張っているな」

 マサルが欠伸をして両手を天に伸ばし、うーんと背伸びする。

 俺もスマホを見て時刻と日付を確認する。カウントダウンまでは充分時間がある。

「スマホ使うなよ」悟志が怪訝な顔をする。俺に向けた言葉かと思ったが、悟志はリバを見ていた。

「通知切っているから煩くねぇよ。それにニュースサイトは見えねぇし」

 俺も同じだ。鳴り続ける通知音は聞きたくもない。

「おい、お前はなんだよ」リバが俺に聞いた。

「コーラも飽きたからコーヒー。あれば無糖で。なければウーロンでもいいや」

「食い物は? 」

 俺は首を振った。

「カップラとか水とかあったら持ってくるか? 」

 リバが部屋の主の悟志に聞いたが、悟志は首を振った。

「まだストックはある」

 俺はさして広くない部屋の奥を見た。本来そこは西向きの窓があるが、その窓を塞ぐように段ボール箱が積まれていた。

 じゃあ行ってくるわ、とリバが立ち上がった。

「バイクか? 」悟志の問いにリバは頷いた。

「まだガソリン残っているからな。買い物して往復して丁度いいくらいだと思う」

「いいのか? 」

「残してもしょうがないだろ」

「何かあったら連絡くれ。俺の車はまだガソリン満タンだ」

 ういっす、とリバが答える。

「カウントダウン近いから早く帰ってこいよ」マサルが言う。

「余裕だぜ」リバはニヤっと笑った。

「無理するなよ」俺が言った。

 手の平をヒラヒラさせリバは部屋から出て行く。暫くしてエンジン音が窓の外から聞こえ、そして遠ざかって行った。

「曲、変えていいか? 」俺はオーディオの前に立っていた。悟志は頷く。俺はスピーカーの上に重ねられているCDケースを手に取った。マサルの言っていたシュガーベイブのCDだ。他には大貫妙子もあった。俺はシュガーベイブを選び、ケースを開ける。リピートで掛かっている大瀧詠一を止めてイジェクトし、虹色に輝く円盤をトレイに載せた。

 再生ボタンを押す。

 

 ――七色の黄昏降りて来て 

 ――風はなんだか涼しげ

 ――土曜日の夜はにぎやか 


「色褪せんなあ」床に寝転がってマンガを読んでいたマサルの発言に、俺は全く持って同意する。このポップな音楽が俺たちが生まれるずっと前にあったとは驚きだ。

「よくこんなのが残っていたな、栄町は今どんな感じだ? 」

「ひとっ子ひとりいなかった。食い物屋があった頃はまだ人が歩いていたけどな」

 悟志は壁にもたれ、電子タバコを咥えながらぼんやり天井を見上げていた。

「やはり人は食物に集まるねぇ」マサルは欠伸を噛み殺しながら言う。

「他に開いている店、あった? 」

 悟志は首を振った。俺は、そうかと呟いた。

「そういやさ、リバって何でリバって渾名なんだ」さっきまで横になってマンガを読んでいたマサルが、マンガを枕にして床に大の字に寝ていた。

 俺と悟志とリバは地元高校の同級生だが、マサルは隣の県から来ていた。リバと渾名が付いたのは高校の時だから、マサルが知る訳もなかった。だから純日本人の顔立ちの男がリバとカタカナ名前で呼ばれていたので、マサルは『里羽』か『理場』と書く珍名奇名だろうと思い込んでいた。

「寝るのか? 」

「横になっているだけ。だから何でリバって呼ばれているんだよ」

「それ前にも話したぞ、忘れているだろ」

「そうか? あぁあれか、授業中にいきなり大声で『リバーサイド』って叫んだ」

「微妙に違う」

「いや、まったく違うだろ」悟志が否定した。

「いいか、これが最後だから心して聞けよ」

 マサルは首だけ動かして俺を見た。一応真剣な表情だ。

「あれは今を遡る事十数年前」

「つい最近だろうが」悟志がバリトンで突っ込みを入れる。

「あれは俺がまだ柔肌の熱き血潮に触れていない頃」

「まるで柔肌を知っている口ぶりだな」

「初告白するがな、そんなのは高校卒業と同時に経験済みだ」

「それは本当に初耳だ。英語で言うとファーストイヤー」

「いいから早く聞かせろよ」じらされているマサルが割って入った。

 マサルがリバの渾名の由来を覚えられないのは、その前に必ず入る俺と悟志のくだらない掛け合いがあるからだろう。そういえば前にも、こうやってボケ合戦をした覚えがある。

 自分達の成長のなさに俺はケラっと笑って話を元に戻した。

「高校の時、外国人の先生がする英語の授業があっただろ」

「あああったな、ALTだろ」

「なんじゃそりゃ」俺と悟志が同時に聞いた。

「こっちじゃALTって言わなかったか? 外国語指導助手って俺たちは習ったけどな」

「まあそのALTで女の教師が来たんだよ。名前なんだっけか? 」

「リンダ・ハウスマン」悟志が即答する。

「良く覚えているなぁ」俺は感心した。

「金髪美人だと期待していたら普通の黒髪おばさんが来たからよく覚えている」

「どんな覚え方だ、まあそのリンダ先生が授業中に質問したんだよ。『あなたの一番好きな慣用句はなんですか。それを英語で言ってください』って」

「お、シンプルだがそれを英語でと考えると中々難しいな」

「だろ、日本語で浮かんでもそれを咄嗟に英語で話せってハードル高くてな、全員黙ったのさ。そしたらリンダ先生がいきなりリバを指名してな」

「あん時のリバ、むちゃくちゃ緊張してたな」悟志が珍しくニヤっと笑った。

「だな、いきなり立ち上がって『好きな言葉はリバティです』って大声で叫んだのよ」

「慣用句でもなんでもねぇし、しかも日本語で叫ぶんだぜ」

 ゲラゲラとマサルは床で寝たまま笑っていた。俺も思い出し笑う。

「もう教室は大爆笑よ。それからあいつの渾名がリバになった」

 へぇっと軽く笑いながら言ったマサルに、こいつまた忘れるなと思ったが、まあどっちにしろこれが最後だから俺は気にしない事にした。

「それがきっかけで俺たち遊ぶようになったんだよな」

「そうだったか? 」悟志が聞いて来た。

「最初にリバって呼びんでイジリ始めたの悟志だぜ、忘れたか」

 悟志は苦笑いの表情を浮かべ、煙の出ない電子タバコを口にした。

「忘れたよ、そんな昔の事」


 ――今日はなんだか

 ――遠い君の声が聞こえるような気がする

 ――今日はなんだか

 ――少しはましな 朝の香りがするからさ


 俺たちは暫く何も話さず、若い頃の山下達郎の歌を聞いていた。

「このアイドル、今何しているんだろうな」

 まだ床に寝そべっているマサルが沈黙を破った。マサルはマンガの巻頭ページを飾る水着姿のグラドルを見ていた。わざとらしく口角を上げた笑顔の女の子が着けている赤い水着は、こぼれそうな豊満な胸を申し訳ない程度に隠していた。

「いつのマンガだ、それ」俺が聞くと、マサルはマンガを裏返し背表紙を見た。

「三年前だ、これ。どうりで読んだ事あると思ったわ」

「そのグラドル、確かIT社長と結婚しただろ」

「ああそうだ。確か男がニ十歳年上でしかも不倫の噂あったな」

「大炎上して速攻テレビから消えたけど、今となってはそれが良かったかもな」

「なんでだよ? 」

「旦那が金持ちだから今頃南の島で二人きりなんじゃね? 」

「そういや、金持ち連中がどんどん南の島に行っているって噂があったな」

 そう言った後、マサルは大きく欠伸をした。

「どこ行っても同じだろ、どうせ」悟志が欠伸を噛み殺しながら言った。

「ま、確かにそうだな」欠伸の連鎖は俺をも襲い、俺も大きく口を開け欠伸した。早くリバの買ってくるコーヒーが飲みたいと思った。

「マサル、実家に帰ったか? 」徐に悟志が聞いて来た。

 マサルは両足を軽く上げ、すぐに振り下ろしその反動で上半身を持ち上げ起きた。

「いや、帰ってない」マサルは首を振った。

「足がないなら、俺の車貸すぞ」

 マサルの実家は高速を使っても半日は掛かる場所にある。

「妹から連絡があった。無理して帰って来るなってさ」

 そうか、と悟志は呟いた。

「俺の事よりお前はどうなんだ? 家にいなくていいのか」

 マサルは俺を見た。

「俺の家が複雑なの知っているだろ。今更家族で過ごそうって白々しいし、あっちも何も言ってこないからな。まあそういう事だ」

 俺は答えたが、悟志はまたぼんやりと天井を見上げたままの姿勢に戻っていた。

 マサルはそれ以上何も聞かなかった。

 バイクの音が戻って来た。そして暫くして外からドタバタと足音がしてドアが開いた。「生きて帰って来たぞぉ」

 間延びした声と共にリバが現れた。手にはパンパンに膨らんだビニール袋を持っていた。それは明らかに俺たちが頼んだ以上の品物が入っていた。

「もう閉めるからって店の親父が沢山くれたぜ。儲け儲け」

「そんなに貰ってきてどうすんだよ」悟志は呆れていた。

「何だ、文句か? 」

「買い置きあるって言ったろ」

「いいじゃねぇか、何が起こるか分からないだろ」

 リバはガサガサとビニール袋に手を入れ、缶コーヒーを取ると俺に放り投げた。咄嗟に掴んだ缶コーヒーはひんやりしていた。それからリバは悟志にヒートスティックを、マサルにメロンパンを配り、自分用にコーラ一本取ると、残りを段ボールの所に持って行った。

 暫く俺たちは無言でそれらを口にし、シュガーベイブを聞いた。CDはまたリピートで最初からの曲が始まったが、誰も文句を言わなかった。

 一息付いた頃、場替えしようとリバが言った。

「下家が悟志なのがいやだ」

 何でだよ、と全員からツッコミが入る。

「何切っても鳴かれそうで、プレッシャーなんだよ」

「それを考えて切るのが麻雀だろ」マサルが正論を言う。

「とにかく、場替えしよう」

 リバは既に雀卓に戻っていて、散らばっている牌の中から東南西北白の五枚を掴むと、裏返して混ぜ始めた。

 俺たちも、ノソノソと雀卓に集まりさっきの場所に座った。

「超能力者の俺が預言してやろう。貴様はまた悟志の上家になる」俺がぼそりと呟いた。

「な訳あるか。俺はその予言を破って見せる」

 リバは一枚の牌を取るとパシっと勢いよく裏返した。南だ。

 次に俺が牌を取り裏返す。白。これで俺の場所が東の席になり、南を引いたリバはそのまま動かない。俺はもう一枚裏返した。北、これで俺とリバは対面になる。

 悟志とマサルがお互いに目配せした。マサルが頷き手を伸ばす。その動きを俺たちは注視する。マサルが東を引けば、必然悟志は西になり、マサルは悟志の上家になる。

 マサルはゆっくりと盲牌をしてニヤリと笑った。

「予言は成就された」裏返した牌は東だった。

「なんだよ、もおぉぉ」

 リバの嘆きを聞き流しながら、俺とマサルは席を変わった。

 俺たちはジャラジャラと牌を混ぜ、全部裏返し大体十七牌集め自分の前に並べ、更に十七牌集めそれを先に並べた牌の上に乗せ、山を作る。

 さっきの局で最後に上がった悟志がサイコロ二つ振る。六と三で合計九。

 自九じくなのでもう一度振る。六と一。合計七で対面のマサルが起家ちーちゃとなった。マサルが東、時計回りでリバが南、悟志が西で俺が北。

 順番が決まった。マサルがサイコロを取って振った。また六と一。悟志が右手から七つ目の牌の所で山を分ける。マサルが左に残った山に手を伸ばし、四つ牌を取る。その間に悟志はドラ牌を表示した。一筒いーぴんが現れたからドラはニ筒りゃんぴん

 俺たちは無言で順番に山から牌を取り、手前に置き理牌りーぱいする。

 場所は変わったが、俺の手の悪さは変わらない。

 ドラがなければ暗刻も順子しゅんつもない。東の対子といつがあるがこれを頭にしても東場とんば平和ぴんふにならない。東のみの安い手で上がるかと、始まってばかりなのに俺は志の低い目標を立てた。

 場は淡々と進む。六巡しても誰も鳴かず、自摸って切っての繰り返し。

「桜新町、どうだった? 」マサルが聞いた。

「意外と人が歩いていたぞ。爺さん婆さんだけだったけど」

「若い奴等ってどこ行っているんだろうな」俺は切りながら言った。

「恋人と一緒なんだろ」マサルが自摸って、盲牌してそのまま切った。

「羨ましいのぉ」リバは自摸った牌を横にしてカチリと自分の牌の上に置いて、腕組みした。

「そうか? 」悟志がふーっと甘い煙を吐く。

「一緒に居てどうする? 却って辛いだけだぞ」

「そうか? それこそ擦り切れるほどエッチして気を紛らわせられるじゃねぇか」

「どこ擦切らすんだよ」マサルが笑っていた。

「少なくても男四人でずっと麻雀している俺たちよりましだろ」そう言ってリバは手の中から一枚取ると、牌を横にして河に置いた。

「リーチ」そう言って千点棒を卓に置いた。

「だからどっちも変わらんだろ。そしてその二筒、チー」

「がぁぁ一発消すなよ、絶対ワザとだよな悟志」

「ドラだ、鳴くのは常識だ」

 チキショーと小声でぶつぶつ呟いているリバを無視して、俺たちは淡々と安全牌を捨てていった。リバのリーチの後全員動きはなく、東一局はリバだけが聴牌のまま流局になった。

 流れ一本場でリバが親になり、東二局はまた静かに始まった。たまには良いのが来てくれと祈りながら、牌を並べると既に三向聴さんしゃんてん。久々の良手を気取られまいと、欠伸するふりをしながら俺は不要牌を河に捨てた。

「そーいやリバは家に帰らないのか? 」五巡目を過ぎた頃、マサルがリバに聞いた。

「帰ったけどさ、なんつーか気が滅入るんだよ。親父もお袋も、あれをやっておけばよかったとか、後悔の話しかしないんだぜ。だったらここで麻雀していた方がよっぽどマシだ」

 まったくその通り、俺は小さく呟く。

「お前はどうなんだ? 」リバはマサルに聞き返した。

「妹が帰って来なくていいってさ。それに道も無事通れるか分からないしな」

 そうか、と珍しくリバが神妙に呟き、でも寂しいよな、と続けた。

「帰っていいぜ、リバ」悟志が言う。

「そうじゃなくて、やっぱ最後くらい彼女といたいだろ」

「また同じ事を」マサルが呆れた。

「あー彼女欲しかったなぁ」

「この中で彼女が居たのお前だけか」悟志が俺を見た。リバは驚き俺を見る。

「高校卒業と同時に童貞も卒業したらしいぞ」

 悟志はニヤリと笑い、リバは牌を自摸りながら俺を睨む。

「ああそれか、白状するがそれは嘘だ、ごめん」

「なんだ、嘘かよ」リバは自模った牌をそのまま切った。

「もうひとつごめん。リバ、それロン」

 リバがグェっと声を出す。

三色さんしきドラドラ。満貫」

「鬼か、お前は」そう言いながらリバは後ろに倒れていった。

 その局はその上がりが決め手になり俺がトップ、リバが最下位で終えた。またリバが場替えをしたいとゴネたのでそうしたが、また悟志がリバの下家になった。

 その後も俺たちは麻雀を打ち続けた。

 どれだけの時間打ったのだろう、その間シュガーベイブは何度もリピート再生され続け、俺たちは朝なのか夜なのか分からず。眠気も時間の感覚がなくなっていた。


 ――雨は手のひらにいっぱいさ

 ――そうさ僕の心の中までも

 ――行くあてもない街で

 ――空はどこも同じ


 その時、ブッとスピーカーにノイズが入り、電気が消えた。

 暗闇の中俺たちの動きも止まる。

 俺たちは息をひそめ身動きしないでいた。やがてブーンと音がして明かりが戻った。

 再び点いた照明の青白い光の下、リバ、悟志、マサルの表情は硬かった。

「……カウントダウン、の時間か? 」マサルが静かに言った。

「いや、まだだと思うが」リバは素早くスマホを操作していた。

「ネットには何も上がってないな」

 俺たちは深い溜息を吐いた。

「でも今更ながら凄いよな。未だにネットや電気は使えるし水は出る。コンビニにはモノが運ばれてくるんだぜ」

「それを維持管理している人たちがいるって事だからな」

「勤勉な日本人らしいな」

「いや、海外でも同じってネットにあったぜ」

「何だかんだ言ったって、本来人間って優しい生物なんだな」

「孟子は当たっていたって訳だ」

「なんだそりゃ? 」

「性善説。道徳で習っただろ」

「道徳の時間は寝る時間だろ」

 俺たちはぎこちなく笑った。

 当たり前にネットが使え、ライフラインがある普通の日常。

 だがもう暫くするとそんな日常は終わる。それも一瞬で。

 それでも多くの人々はそれまでの日常を続け、社会システムを維持している。蛇口を捻れば水が出て、トイレの下水は流れ、スイッチを押せば明かりが点く。物流も辛うじて機能していて、略奪が起きない程度には食料が店に並ぶ。

 世界が終わるのが絶対の事実だと分かった時に、自暴自棄になり自ら終わりを早めた者や無法な振舞いをする奴は、やはり一定数湧いて出たが、それも気が付けば自然といなくなっていた。孟子先生よろしく、人は本来知的で善なる生物なのだと感極まったように話す学者がいたが、それを見ながらそんな上品な話じゃねぇよと俺は冷めた言葉を吐いていた。

 俺たちは生きるのを諦めてしまっただけだ。欲望のまま暴れようが、銃口を頭にくっつけて引き金を引こうが、泣いてすごそうが、疲れるだけだ。

 唯一の救いは、一瞬でこの星の生命体全てが、例外なく平等に消滅する。

 それだけを信じ、俺たちだけではなく多くの人が最後のその時まで、薄皮に包まれているような平和で何気ない普通の日常を続けるのを選んだに過ぎない。

 だから俺たちはやらずに後悔した事を並べたてず、なくなった未来や夢を嘆く真似はしないで、普段通り大学に行かず、カップラとコーラとポテチをコンビニや商店で手に入れ、マサルの部屋に入り浸り、麻雀をやり続けている。

 どうせ消えて無くなるなら、気心の知れたこいつらと好きな麻雀をしながら最後を迎えた方が、気が楽だ。そしてそれは他の三人も同じだろう。

 俺は音楽が止まっている事に気づいた。

「少しだけラジオ聞いていいか? 」

 俺が周りを見渡すとそれまで笑っていたリバは下を向き、マサルは俺から目をそらした。そして悟志と目が合う。悟志は天井に煙を吐いて、頷いた。

 立ち上がりオーディオへ向かい、ラジオのボタンを押した。

 ザーッとホワイトノイズが聞こえる。俺はチューニングダイヤルをゆっくり回す。


『……返します。繰り返します。この放送を聞いている皆さん。

 最新の予測でカウントダウンが早まる可能性が生まれました。

 どうか大切な人の傍にいてください。そして支えあってください。

 人の尊厳を忘れず、人として最後を迎える事を心がけてください。繰り返し……』


 俺はラジオのスイッチを切った。イジェクトボタンを押し、シュガーベイブのアルバムを取り出す。

 スピーカーの上にあった大瀧詠一を選び、トレイにセットしてランダムボタンを押した。


 ――悲しみの裏側に何があるの

 ――涙さえも凍り付く白い氷原

 ――誰でも心に冬をかくしていると言うけど

 ――あなた以上冷ややかな人はいない


 さらばシベリア鉄道が始まった。

 俺が卓に戻ると、何事もなかったかのように麻雀が始まった。

「大切な人の傍にいてくださいってさ」マサルが言う。

「大切な人だぞ、お前らは」リバが半笑いで言いながら自摸って切った。

「俺は愛しているぜ。そしてリーチ」悟志がバリトンボイスと共に千点棒を卓に投げ入れた。

「俺も愛しているからこれを通してくれ」俺は自摸ってきた牌を河に捨てた。

「お前は大切だし愛しているから、通し」

「当たり牌じゃないからだろ」俺たちは笑った。

 悟志は和了あがらず、場は流れた。マサルの親も流れ、リバに親が回ってきた。

「東ラスか。トップは誰だ? 」俺が聴いた。

 リバが手を挙げる。そういえば停電前に珍しく満貫まんがんを上がっていた事を思い出した。

「このまま最後まで逃げ切ってやるぜ」そういいながらジャラジャラと牌を混ぜ、チャッチャと山を作っていった。

 リバがサイコロを振り、それぞれが山から牌を取って理牌する。ドラは四筒すーぴん

 理牌し終わった手を見る。中々悪くない。ドラはないがリーチ掛けて自模れば跳満までの可能性がある。だが起家のリバが動かない。腕を組み、眉間に皺を寄せ今まで見た事のない表情で手牌を睨んでいる。


 ――疑う事を覚えて人は生きていくなら

 ――不意に愛の意味を知る

 ――伝えておくれ 十二月の旅人よ

 ――いつ いつまでも待っていると


 さらばシベリア鉄道が終わりに近づく。まだリバが動かない。

「おい、どうした? 」悟志が声を掛けた。

「あ、うん。いやあ、ごめん」そしてうーんと唸る。

天和てんほーか? 」マサルが茶化す。

 うん、とリバが呟いた後、牌を掴むとそっと卓に置き、四筒を横にした。

「リーチ! 」そして千点棒を放り投げる。

「ダブリーかよ」

「ドラ切って? 」

安牌あんぱいないぞ、おい」

 俺たちは慌てたが、リバは黙って自分の手をじっと見ていた。

 おいおいおいおい、と悟志が恐る恐る四筒を出す。リバはそれをチラッと見ただけで何も言わない。次にマサルが息を殺したようにゆっくりとまた四筒を卓に置く。リバはそれにも反応しない。

 次は俺だ。安牌は四筒だけ。だが俺の手にはない。じっくりと手牌を見るが明らかに要らないのは五筒と東だけ。これだけが浮いている。字牌の東を捨てるか。

 いや、ここは何を切っても危ない。ならドラそばでもど真ん中を切って勝負だ。

 五筒に手を掛けた時、カチカチと牌が鳴り始めた。

 牌が、いや卓が、部屋全体が小刻みに揺れている。

 胡坐を掻いて座っている床の下から重く低い音が聞こえ、徐々に大きくなっていく。

 三人を見ると、悟志は電子タバコをギリリと強く噛み、マサルは青ざめた顔をしていた。そしてリバは顔を歪め、しょんべんを漏らしたかのような情けない表情になっていた。

 俺はチクショウと小声で悪態を吐いて五筒を捨てたが、リバは動かなかった。


 ――伝えて……二月……人よ

 ゴオオオオオオオオオオオオオ

 ――いつい……つまで……待っている

    ウオオオオオオオオオオオォォォ


 ダンプが真横を通過する様な重低音が部屋に満ちていき、シベリア鉄道も聞こえない。

「なんでだよ、もおぉ」リバの泣き声もその音にかき消される。

 ブッと明かりが消え一瞬暗闇になったが、窓の前に置かれていた段ボールが崩れ、外からぼんやりとしたオレンジ色の光が部屋の中に差しこんで来た。

「早く自模れ、リバ」悟志が大声を出す。

「早くしろ」マサルも叫ぶ。

 窓からのオレンジ色の光がどんどん強くなっていく。

「最後だぞ」俺も叫んだ。

 今にも泣きだしそうなリバが手を伸ばし、カチカチと震えている山から牌を自模る。

 その時、オレンジ色に染まったリバの泣き顔が真剣な表情に変わった。

 リバは大きな動作で腕を振り上げ、牌を勢いよく卓に叩きつけた。

 白だ。リバが叫ぶ。

「自摸っ

            


                                       

                                           

                              終

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カウント・ダウン ケン・チーロ @beat07

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