第35話 一緒に向かえる朝(隼人視点)

 自信がなくなるとか、もっと頑張らないと……とか言い出す晴日を見て、心臓が凍るように痛くなった。

 この子は、本当に何を言っているのか。

 動けずにいた俺を突き動かして、事務所に入らせて、自信をくれた。

 ずっと立ちたかった場所に戻れたのは、晴日がいたからだ。

 これ以上、何をするというのだ。

 

 お風呂上りの晴日の髪の毛を乾かして、ベッドまで軽々と運ぶ。

 こんなに小さくて大丈夫なのだろうか、抱いて壊してしまうのではないかと真剣に思う。

 でももう止めることなんて出来ない。

 俺は上着を脱ぎ捨てた。


 枕もとの小さなランプに照らされているオデコに優しくキスを落とす。

 晴日はキュッと目を閉じて、ゆっくり目を開けて、ほほ笑んだ。可愛い。

 この小さな耳も、薄い唇も、細い首も、掴んだらいつも折れてしまいそうで怖い肩も、全部愛してる。

 背中に手を回すと首に腕を巻き付けてきた。

 軽い、細い、小さい。

 俺は背中から腰を引き寄せるようにして抱き寄せて、何度も唇にキスをして、口内を奪う。


「……ん、あ……」


 小さく喘ぐ声が可愛くて我慢できなくて、本当に押しつぶしてしまいそうだと思う。

 俺は体重を晴日にかけないように気をつけながら、優しく抱き寄せた。

 晴日が俺の腕の傷に、おずおずと触れる。

 指先を這わせて、指先から優しく。

 顔は手間をかけて縫ってくれたが、腕の傷は速度優先だったので、今も深く傷が残っている。

 俺は常に長袖を着ているので、晴日がこれを見るのは初めてだと思う。

 晴日は俺の傷に、やさしく唇を落とした。

 触れるように、何度も。

 そして「ん」と顔のほうに移動してきて言った。


「これを見られるのは、私だけですか?」


 心臓が両手で掴まれるように痛い。

 愛しくて苦しい。


「そうだ、一生、誰にも見せない。ここにキスできるのは、晴日だけだ」

「嬉しいです」


 晴日は目を細めてほほ笑んだ。

 もう無理だった。俺は晴日を組み敷いて思いっきりキスをした。

 晴日の腰が跳ねて俺の背中に手を回す。

 離さない。










 目を覚ますと、晴日が横で眠っていた。

 体格差がありすぎて、眠っているときに潰してしまうのでは……と心配していたが、むしろここ数年の中で一番深く眠れた気がする。

 俺の腕の中で晴日が眠っている。

 昨夜抱いている時も思ったが、晴日はもう少ししっかりと食事をして太るべきなのではないだろうか。

 恐ろしく体が薄い。見ていると結構食べているのに、細くて薄くて心配だ。

 気持ち良さそうに眠っている寝顔が可愛くて、ずっと見ていた。

 ずっと見ていたが……そして軽くキスもしたが……忘れていたが晴日は眠ると起きない。

 そうだった、おんぶしても何をしても起きないのだった。

 俺は布団から抜け出して朝ごはんの準備を始めた。

 晴日を健康的に太らせたい。


 いつも作っている具沢山の味噌汁は、これからお肉も入れていこう。

 お店でも出しているが、家で作る時はとにかく何でも入れてしまう。

 大根、にんじん、玉ねぎ、長ネギ、さといも、ゴボウ、こんにゃく、油揚げ、エノキタケ、シメジ。

 出汁はいつも枯節を削って作っている。俺はこの作業が好きだ。

 シュ……シュ……と静かな音。そして何よりも味が濃い。

 豚汁を作り、卵焼きも付けようと思う。

 俺は魚を焼き、準備を終えた。


 布団に戻ると……まだ気持ち良さそうに眠っている。

 丸いオデコも、閉じられた目も、可愛い。

 俺は頬にキスする。

 ……起きない。

 なるほど。

 俺はエプロンを取り、背中側から布団にもぐりこみ、抱き寄せる。

 身体を動かされても……起きない。

 これはすごい。

 仕方ない、生存権を奪うしかない。

 俺は唇にキスをした。そして両頬を優しく引き寄せて、唇を割る。

 そして長くキスをした。

 ん……と動き始めて、ドン……と俺の肩を小さな拳が力なく叩いてくる。

 そしてついに、グイッと俺を遠ざけた。

 顔が真っ赤になっている。


「はっ……あっの……はっ!! 息が、できません!」

「おはよう、晴日」

 

 俺の胸元でやっと晴日が目覚めた。

 そして俺が服を着た状態、そして居間に食事が並んでいる状態を察知して「これまた寝てましたね、すいません……」と俺にしがみついてうな垂れた。

 可愛い、もう一度抱きたい。しかしもうご飯も出来ている。

 俺はもう一度だけキスをして、食事の準備に戻った。



「わあああ……すごい、朝ごはん、すっごく朝ごはんですね」

「食べようか」

「うれしいです。いただきます!」

「いただきます」


 晴日は俺が作った朝ごはんに目を輝かせた。

 そしてちゃぶ台の前にしっかりと正座して両手を合わせて目を閉じて、しっかりと「いただきます」と言って食べはじめた。

 ずっとひとりで適当に食べてきたから、こうして目の前に晴日がいて、笑顔で食べてくれることが嬉しくて仕方がない。

 晴日は「んん~~! お魚の皮がパリパリですーー!」と今日もシャケの皮を口に運んで目を細めた。

 ご飯粒ひとつ残さず食べ終えてごちそうさまでしたとお皿を片付けて「ふう……」と口を尖らせた。


「大好きな人に抱っこされて素敵に目覚めるはずが……我ながら眠りが深すぎます……もっとこう激しく起こしてください」

「いや……? わりと起こしたと思うが……?」

「次は……もっと激しく起こしちゃっていいですからね」


 どうやら自分が完全に爆睡していて、俺が抜け出して朝ごはんを作ったことが悲しかったようだ。

 俺は晴日を抱き寄せる。

 晴日はまだパジャマを着ているのだが、朝から可愛くて仕方ない。


「分かった。次は襲いかかって起こすことにする」

「ん……? はい……? うーん、でもそっちのがいいかな……?」


 俺は抱きしめた状態で、改めて話をすることにした。


「ここはすぐそこで商売をしてるから、基本的にみんな鍵を持っている。俺は舞台と声優の仕事に本腰を入れることにしたから、週に一度くらいしかお店には入れそうにない」

「……そうですか」

 晴日は分かりやすく落胆した。

 俺はオデコにキスを落とす。



「だから、近くにマンションを借りる。一緒に住んで欲しい。結婚しよう、晴日」

「ふへっ?!」



 晴日は予想外の言葉だったのか、ションボリとした顔をガバッと上げて目を開いた。

 俺は続ける。

「ここは、主に店に入ってくれる劇団の若いやつらに貸すつもりだ。今日だって……みんなに来るなというのが……やはり恥ずかしかった」

「あははは! そうですよね、だって定休日も毎朝美和子さん来てますよね」

 緊張が抜けたのか、ケラケラと笑う晴日のアゴを引き寄せてキスをする。

 むぐ……と黙った。

「結婚しようと俺は言ったのだが。返事は?」

「…………えっと……あの……私、結婚にはかなり不適合な人間だと思うんですよ。まず一度寝たら起きません」

「キスをすれば起きるだろう」

「……そのようですね」

 俺は晴日を抱き寄せる。

「あとは?」

「えっと……料理は得意じゃないです」

「俺は調理師免許を持っている」

「……そのようですね」

 俺は抱っこしたまま、立ち上がる。

 ひゃ……と小さな悲鳴を上げるが、気にせずベッドに運び、優しく下ろす。

「……あとは?」

「隼人さんのことをすごく好きで……ファンで……重いですよ……?」

 俺は唇にキスを落とす。

「……晴日は知らないんだな、晴日がいないともう無理なのは俺だ。真っ暗だったこの家を、俺を、照らしてくれたのは晴日だ。もう諦めてくれ。返事は?」

「……はい、隼人さんと結婚したいです。ずっと一緒がいいです。よろしくお願いします」

 晴日はにっこりとほほ笑んで、俺の首にしがみついてきた。

 

 良かった、伝えられて、良かった。

 受け入れられて、良かった。

 心臓が痛いほど脈を打っている。


 仕事をしたいから結婚はしたくないと断れれる可能性も考えていた。

 嫌だ、俺は晴日と結婚したい。今朝のようにずっと一緒に「いただきます」と言える関係になりたい。

 誰にも渡したくない。俺だけの晴日になってほしい。そう思っていた。

 俺はもう、ひとりじゃない。

 晴れた日差しに照らされて、二人になれた。

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