第31話 聖女の謀り

 サーニャが王城を出ると、外にはブラックロータスが所有している箱馬車が停まっており、その脇には副ギルドマスターのテティーヌ・ブルーローズが控えていた。

 テティーヌはサーニャの姿を確認すると、足場となる台を置いて箱馬車のドアを開けた。


「サーニャ様、お疲れ様でした」


「本当に疲れたわ……」


 サーニャが乗車したあと、テティーヌもサーニャの隣に腰掛け、御者に出発するように告げる。

 ゆっくりと動き出す馬車に揺られながら、サーニャは桃銀の髪を押し付けるように、テティーヌの肩に預けた。


「軍務卿と財務卿のハゲも、聖女のババアもあの場で殺してしまおうかと思いました」


「…………もしかして、あの場にいたの?」


「はい、隠密スキルで」


「やめて。もしバレていたら確実にブラックロータスは終わっていたわよ」


「殺害は冗談ですが、それでもサーニャ様を1人であの腐りきった害虫の巣窟へ向かわせることなど出来ません」


「…………はぁ」


 自分の世話係であるエルフを咎める気力はなく、項垂れるようにテティーヌの膝に頭を預けた。

 小柄なホビットはテティーヌの膝を枕にし、馬車のシートにすっぽりと収まる。


「テティーヌ、お腹痛い……ポンポンして」


「はい。分かりました」


 サーニャは他人の目がなくなりようやく張りつめていた表情を緩め、年相応――いやそれ以上に甘えた声を出す。

 テティーヌもそれに答えるように、サーニャのぽっこりとした寸胴の腹部を優しく撫でる。


「あの場にいたなら知ってると思うけど、61層の階層主を倒さないといけなくなった」


「その様ですね」


「私に倒せるかな……?」


「……それは、分かりません」


 10年前、サーニャの父だけでなく、当時の副ギルドマスターであるテティーヌの父も第1次討伐戦に参加しており、そこで命を落としている。

 サーニャの父は階層主の攻撃から聖女の身代りに、テティーヌの父も撤退の際に聖女を地上へと送り届ける道中で死んでいる。


 聖女を守るためにブラックロータスの主要構成員が沢山死んだ。

 そして今回も、小聖女を守りながら戦えと言ってきたのだ。

 教会への恨みは限界だった。


 でも、それでも、サーニャはきっと、小聖女に身の危険が訪れれば、身を挺して守るだろう。

 誇りだった父がそうしたように。

 どれだけ教会が嫌いでも、父の名誉を傷つけないために、ゼノレイ家を守るために、ブラックロータスの仲間を守るために、自分は権力の犬になるだろう。


「死にたくないよ……パパ」


 サーニャは胎児のように丸まり、テティーヌの腹部で顔を隠す。

 青髪のエルフは、誰よりも強く、誰よりも優しく、誰よりも繊細な主を撫で続けるのであった。



■■■



 サーニャが王城を後にしたのと同時刻。

 教会のシンボルを掲げた豪奢な馬車に揺られながら、聖女ラファエラもホームグラウンドである大聖堂へと帰還していた。


「ミザハ、この世で最も美しい女が誰か答えてみなさい」


「聖女様でございます」


「そうよぉ……それは10年前も、10年後も変わることないわよねぇ」


「仰る通りです。黄金がその輝きを1000年くすませることがないように、星々が1万年の間形を変えることなく夜空を照らすように、聖女様の美しさもまた永遠に不滅なものであります」


 ラファエラの向かいに腰掛けるのはミザハ・ザクレイ枢機卿。


「でも宮殿内には、わたくしよりもマリアンヌの方が綺麗だと言う声がありますわぁ……どう見ても! どう考えても! わたくしの方が美しいのは明白だと言うのに! なんですの!? どいつもこいつもロリコンなんですのぉ!?」


 ラファエラは癇癪を起すように髪をかき乱して、悪女の如き形相に美貌を歪める。

 激しく表情を変化させると、目尻や口元にわずかながらシワが浮かび上がる思い出し、ラファエラは深呼吸して感情を落ち着かせた。


 ラファエラは歴代聖女に比べ晩産だったこともあり、長い間聖女として君臨していたせいで美への執着が非常に強くなっていた。

 自分がこの世で最も美しい存在であることを信じて疑わなかったラファエラは、年々自分の美貌が衰えていくのに反して、娘の美しさに磨きがかかっていくのを許せないでいた。


「この前もわざと警備をずさんにして世話係の1人にマリアンヌを唆せて脱走させ、冒険者の真似事をさせたまでは良かったものも、よもやあの小娘に送り込んだ刺客を片付けさせられるとは思いませんでしたわ」


「それに関しては運が悪かったと言わざるを得ません。まさかあの冒険者パーティが、協会からマークされブラックロータスに捕縛依頼が来ていたとはつゆ知らず」


 ラファエラはマリアンヌを産んだことを後悔しており、自分の娘を殺そうと計画していた。

 そして目の前にいる老人ミザハもラファエラの謀りに加担していた。

 もしマリアンヌの抹消に成功すれば、次期教皇に推薦すると唆されたのが理由である。


「なんにせよ次の階層主討伐作戦でマリアンヌには非業の死を遂げてもらいますわぁ。同時に、ブラックロータスの方々にも犠牲となっていただきますがねぇ」


 ラファエラは普段民衆には絶対に見せることのない、悪女めいた笑みを浮かべる。


「それにわたくし、あの小娘は元々癪に触っておりますの」


「サーニャ・ゼノレイ爵のことですか?」


「その通りよ。小娘には恨みはないのですが、父親には無様な姿を見られてしまい、消さざるを得ませんでしたが、小娘の顔を見ていると憎いイヴァンの顔がちらついて気に障りますの」


「は、はぁ……」


 10年前、ラファエラは先代のブラックロータスと共にダンジョンに潜り階層主と対峙した。

 戦線は崩壊、無数の死者が出て、玄室から死体を運ぶ余裕もなく逃げ惑う冒険者達。

 ラファエラは目の前に迫る巨大な魔物を前にして恐怖で身がくすみ、護衛である教会所属の聖騎士団にも見捨てられ、無様にも腰を抜かしポーションを垂れ流してしまった。


 そんなラファエラを階層主の攻撃から守ったのがイヴァンであった。

 イヴァンは階層主の攻撃をいなしながら、ラファエラに早く逃げるよう進言する。

 だがラファエラは自分が無様にもポーションを漏らしてしまった姿を見られた姿を恥じ、ラファエラは清潔魔法で漏尿の痕跡を消し、イヴァンを見捨てて玄室から1人で逃げ出したのだ。

 聖女とはいついかなる時も美しくなければならないという持論に従って……。


 その後落ち延びたブラックロータスの構成員がイヴァンの遺体を担いで帰還し、教会に蘇生の依頼を出したが、イヴァンに蘇生されると都合が悪い。

 ラファエラは自らイヴァンの蘇生を担当しわざと失敗し、イヴァンを灰へと還した。


 そのようなことがあり、ラファエラの歪んだ思考が因果を捻じ曲げ、イヴァンを命の恩人ではなく殺さなくてはいけない仇として扱うようになり、その娘であるサーニャもまた悪鬼の娘だと判断し毛嫌いして、昔から無理難題を突きつけ虐めていた。


「王宮の開発計画など知ったことではありませんわぁ。ブラックロータスがいなくとも冒険者など掃いて捨てる程おりますもの。マリアンヌもゼノレイ家もなくなり一石二鳥ですわ! おーっほっほっほ!!」


 マリアンヌが死んでもラファエラの老化が巻き戻る訳もなく、ブラックロータスが壊滅すればザーベルグの魔石供給量は2割も減少し財政に難が生じ、他国とのダンジョン攻略の差は広がっていくだろう。

 ラファエラの計画は何1つ有用性のないものであり、それに加担するミザハも教皇という権力の座にしか興味を持っておらず、その計画があまりにも無為であることに疑問を持っていない。


 教会に蔓延る癌が、王都が誇る人的資産を無残にも食い潰そうとしていた……。

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