第13話 遠藤


藤木ジムに通い出して1ヶ月が経とうとしていた。7年のブランクで蓄積されていた錆は想像以上だった。


そりゃそうだと勇二は思った。


勇二は現役の頃、怪我の影響で半年間ブランクを作った事があった。ブランク開け、久し振りにスパーした時。ミリ単位の誤差でパンチを避けたつもりでも被弾してしまうくらい感覚が鈍ってしまう。


それくらいブランクというのは恐ろしい。


藤木ジムで最初、7年振りにスパーした時。現役の頃だったら絶対もらわないボディーで効いてしまった。


でも、あれから1ヶ月。


主にスパー中心の実戦練習に重点を置き、ズタボロになりながらも何とか現役の頃の感覚が戻ってきた勇二。


「ちわーーーすっ!」


「あ、勇二さん!こんちわーすっ!」


「おっ!勇二!こんちわ!」


ジム生や選手とも打ち解け、すっかり藤木ジムの一員となっていた。


あんなに孤独だった7年間。自分を見てくる皆が敵に見えた。でも、その敵に立ち向かう気力はなかった。



自分なんか生きている価値なんてない・・・



卑屈、劣等感・・・気がつくと自分という存在を殺し、無感情のまま、ただ息をしているだけ。そんな7年間だった。



それがどうだ。



こんな自分でも受け入れてくれ、暖かい言葉を掛けてくれる。


人間ってあったかいんだな・・


でも、あと60日。


勇二は修羅のリングに上がらなければならない。気持ちを引き締めた。


「勇二!ちょっと来てくれ!」


藤木会長に呼ばれた。


「はい、何でしょう?」


「実はな、お前に頼みがあるんだ。」


会長が勇二に顔を近づけ小声で言った。


「あそこにおる奴。あいつは遠藤といってな、アマチュアでインターハイによく出ていた選手なんだ。」


会長が指差した先にいた男。


見覚えがあった。


勇二が藤木ジムに来た時、唯1人挨拶をしなかった男。


「遠藤はな、アマチュアのキャリアがあるから、今度のお前の試合の前座でB級の6回戦でデビューするんや。でもな、ワシがいない時を見計らっては練習生をリングに上げて痛めつけているらしいんや。ちょっと、懲らしめてくれるか?」


勇二はやっぱりなと思った。


たかが挨拶、されど挨拶。挨拶をきちんとできる人間は謙虚さを備えた人間だと思う。できない人間は、偏見かもしれないけれど、傲慢不遜な人間が多いと勇二は常々思っていた。


勇二自身、練習生の頃、鼻が潰れても立ち向かう勇二の根性を認めてくれ先輩のプロ選手に可愛がられていた。そのお陰でプロになりたかったし、ボクシング自体を好きになっていった。


あの時、イジメられていたら、プロはおろかボクシング自体嫌いになっていたと思う。だから、勇二は自分が先輩のプロ選手にそうしてもらったように、不安そうにしている練習生には自分から声をかけてあげたりしていた。


藤木ジムでも変わらず練習生たちに優しくアドバイスしていた。


「おーい!遠藤、ちょっと来い!」


相変わらずふてぶてしい顔をしながら藤木会長のもとにやって来た。


「なんすか?会長。」


へ~会長にもそんな態度なんだと少し驚いた勇二。


「こいつはな、中井・・」


「中井勇二さんでしょ?7年前にゴンザレスから逃げた。」


「逃げた?」


勇二の表情が変わる。


「だってそうでしょ?直前で怖くなって、怪我を理由に逃げたんでしょ?」


遠藤は小馬鹿にしたような顔つきで言った。


そうだ、そうなんだよ。全ての人間にそう思われていると思っていたから7年間俺は逃げて逃げて逃げて死んだように生きていたんだ。


「遠藤!お前、言葉が過ぎる・・」


「会長、自分、お喋り別にしたくないんで、早くやりましょう。」


勇二は会長の言葉を遮り、静かに遠藤を見据えながら言った。


今からコイツに極上の恐怖を味わわせてやる。


勇二は静かに怒りを沸点に持っていった。


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