第3話 オレンジ色の世界を切り裂く声
「勇二、大丈夫なの?」
会長と別れた後、開口一番に君子は言った。
「これは、清の為だけじゃないんや。・・俺自身の為でもあるんや。」
ずっと見ないように蓋をしてきた過去。何度も死のうと思っていた。
死ぬ勇気・・・
なんかこの言葉には違和感があるけれど、勇二には死にきれるだけの勇気がなかった。
全て忘れて生きていこうとも思った。でも、忘れられるわけない。これから生き続ける為に避けて通れない道。
「落とし前つけなきゃいけないんだよ・・・」
勇二は、自分に言い聞かすように呟いた。3か月で7年のブランクを取り戻せるのか?漠然とした不安に押し潰されそうになる。
下手したら死ぬかもしれない・・・
でも、この命の瀬戸際に追いやられたようなギリギリ感。命を燃やして生きているという実感。
“死”を意識するからこそ強烈な“生”を感じる。
この感覚。リングに上がった事のあるボクサーにはわかる感覚。
清の葬儀の翌日。7年振りのロードワーク。7年という錆は、ここまで衰えさせるのかと思い知らされるくらいスタミナがなかった。
少し走っては両手を膝につく。
シャドーボクシングで動く。パンチの感覚は思ったほど衰えてなかった。何百、何千回と身体に覚え込ませたせいなのか。
あぁ、また帰ってきたか・・・
妥協すれば、いつでも終わらせる事ができる。果てしなき自分との闘い。でも、何故か気持ち良かった。故郷に帰ってきたような懐かしさ。
人間、目標が出来ると、普段、見慣れている景色、何もかもが違うように見えてくる。心地よい疲労感を感じていた勇二は、仕事帰りいつものコンビニの前を俯いて歩いていた。
「もう、やめてよーーーーーーーっ!」
オレンジ色の世界を切り裂くような悲痛な叫び。俯いていた顔を上げた。
数日前に見た光景。
あの少年の魂の叫び。いや、あの時に聞いた叫びと同じだったのかもしれない。勇二自身が変わったから、そう取れたのかもしれない。あの少年は、ずっと魂の叫びを上げ続けていたのかもしれない。
「あん時の自分を助けなきゃ・・・」
いつものように、どこからか聞こえる声ではなく、勇二自身が呟いていた。考えるよりも先に身体が動く。
「なんだ!オッサン!」
近付いてきた勇二に1人の少年が言った。気にせず歩みを進める。
「ボコボコにされてーのかよ!」
「あっ!コイツこないだビビって通りすぎたオッサンじゃねーかっ!」
「オッサン‼ビビッて足震えてんじゃねーのか‼」
素行の悪そうな少年たちが口々に言った。
「・・・やめてやれ。」
勇二は無表情に静かに少年たちに言った。
「オッサン!悪いこと言わねーから帰んな!」
「・・・やめてやれ。」
勇二は腹の底から絞り出すように言った。
「痛い目みてーのかよ、オッサン!」
1、2、3・・8人。勇二は、その中で1番強そうな奴を探した。
「おいっ!聞いてんのかよっ!帰れっつってんだよっ!」
1人の少年が勇二の胸ぐらを掴みにきた。
1歩、2歩。
近づいてくる少年。
間合い。
視線がぶつかる。
少年が正に勇二の胸ぐらを掴もうとした瞬間。
右足を引いて半身になる。少年はバランスを崩し転びそうになった。
「オッサン!ふざけやがって!このヤロー!」
自分自身がよろけた事にカッとなった少年は、いきなり右の拳を振り上げて殴りかかってきた。
その拳を掻い潜るようにダッキングしながら同時に右。
鳩尾に打ちつけられた少年は呻き声と共に倒れる。
手応えはありすぎるほど、ドンピシャリのタイミング。口から吐瀉物が溢れていた。
張り詰める空気。
「このヤロー!」
残りの少年たちが色めき立った。
壁を探す。駐車場の壁。背にした勇二。
昔、読んだ宮本武蔵の五輪の書に書いていた。
多人数と戦う時の兵法。障害物を背にすることで、後ろからの攻撃を防ぐことができる。
脳ミソに知識が引っ掛かっていた事に感謝した。
前蹴り。
パンチでやられた仲間を見て、怖くなったのか蹴ってきた少年。
左前にステップして回り込む。
死角に入られうろたえる少年。
左ジャブ
拳を握らず、ばらした指で目の辺りを打ち付ける。がら空きの腹に右のボディ。
下から2本の肋骨は胸骨にくっついてない浮遊肋骨。下手したらヒビが入るほど効いてしまう。
ドスっ!
またしても呻き声と共に倒れる少年。
うろたえる少年たち。
1番強そうな奴に歩みを進める勇二。射程圏に入り、フットワークを刻む。
「のヤローーーっ!」
殴り慣れているのか、中々様になっていた。
真剣にボクシングやれば、強くなるかもな・・
勇二は、久しぶりの実践でも冷静だった。殴り馴れていようが、所詮は素人。勇二には次の動きが手に取るように予測できた。
相手の右を見切って、左のジャブをバラ手で目に入れる。
一瞬、怯んで目をつぶったが、すぐに左を飛ばしてきた。
ウィービング。
回り込む。
回り込んだ反動を利用して、右のボディを強目に打ち込んだ。またしても呻き声を上げて倒れた少年。
「もう、イジメるのは止めてやれよ。」
勇二は、倒れ込んだ1番強そうな少年に言った。
周りの少年たちは、勇二の流れるような動きに圧倒されたのか、誰も言葉を発っせなかった。
「・・のヤローナメやがって!」
倒れ込んだ少年が、勇二に殴られた腹を抑えながら言った。流石に1番強そうなだけあって、まだやる気のようだった。
少年は右手を後ろポケットに入れた。取り出した物から何かが飛び出した。
銀色に光るそれは、オレンジ色の光を浴びて、鈍い光を放っていた。
「テメエ、ふざけやがって!殺してやるよ!」
倒れ込んだ少年の手にはナイフが握られていた。
その手は僅かに震えていた。
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