水屋にて

「それじゃあ、本日もはじめましょう。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 みんなで一斉に礼をする。先生、中井さん、綺羅さん、やっちゃん、そしてわたし。いつもの顔ぶれだ。

「綺羅さんは、今日も来られたんですね」

「雪の予報だったからね。今日は休みだよ」

 やっぱり、キャンプ部はゆるい部活のようだ。

「よかったですね」

 気のない受け答えをすると、先生ににらまれた。

「やっちゃん、どう? お道具そろえたら、ますますやる気になったでしょう?」

「はい! 今度はお茶碗と茶筅を買いに行きます。ね、さっちゃん先輩!」

 聞いてない。てか、付き合いきれない。

「いやよ」

「いいじゃないですかー」

 お菓子をあたえたせいか、べたべたとまとわりついてくる。シッシッ、と手ではらいながら、水屋に下がる。さっき買ったおやつを、お盆にのせた。

「さっちゃんはなにやるのー?」

 手持ちぶさたな綺羅さんが、水屋に顔を出した。

「今日は長尾にします。みなさんでどうぞ」

お盆を手わたせば、目をかがやかせた。

「さっすがさっちゃん。気が利くぜ」

 綺羅さんはルンルンとお菓子を持ち去る。お菓子に目がないところは、やっちゃんとそっくり。

 さて、水屋にひとりきり。道具をさわる前に頭をさげる。

「よろしくおねがいします……」

 今日も、茶道の神様がほほえみますように。

 掻器(かいげ)と水漉(みずこし)を持って、水がめの蓋をおろす。水面がゆれる。掻器(かいげ)を持って手を洗う。びっくりするほど冷たいが、目がさめてちょうどいい。

 今も昔も、水は貴重な資源だ。昔は、お茶の先生が朝早くに井戸からくんで、水がめに入れていたらしい。弟子は、それはもう大切に使ったはずだ。わたしもその心を受けつがなければならない。

最小限の水で、水指(みずさし)、水次やかんのなかへ入れる。建水(けんすい)、お茶碗、茶筅をすすいで、茶巾をたたむ。しっかりと手をふいて、茶杓をセット。飛び散った水を雑巾でふき取れば、おしまい。

 ふうと一息つけば、うしろから中井さんが様子をうかがっていた。

「慣れたものね。ほれぼれするわ」

「ありがとうございます」

「水も道具も大切にあつかっていて、見ていて気持ちいいわ。茶道歴が長いだけあるわね」

「中井さん、聞いてもいいですか?」

 きちんと中井さんのほうへ向きなおる。中井さんもその場に正座した。

「わたしが小さいとき、お茶会でお点前したいって言ったこと、覚えていますか?」

「もちろん、忘れてなんかいないわ。タエ子先生は喜んでおられたけど、寒河江先生はショックだったでしょうね。あのふたり、なにかと張り合うことが多かったから。

 あ、でもさっちゃんのせいで仲に亀裂が入ったわけじゃないのよ。もともとだから、気にしないで。タエ子先生はタエ子先生、寒河江先生は寒河江先生よ」

「わかってます」

 ふたりの仲が悪いのは、昔から知っている。心配しているのはそこではないのだ。

「あの時、中井さんはどう思いましたか? 腹が立ちませんでした?」

「そうねえ。純粋に、うれしかったわ。わたしはあんまり人前でするのが好きではないから。かわってもらえるならラッキー、ってそう思ったわ」

「本当に?」

「ほんとほんと。この前の半東も、いやでいやで仕方なかったんだから」

 中井さんの言葉が信じきれなくて、じっと見返した。本心は見えそうになかった。

「さっちゃんは、腹が立っているの?」

「そうです。あんなド素人に、役を取られたくありません。先生も山田さんのことを止めないし、何を考えているのかしら……」

「さっちゃんに予期せぬライバルが現れて、先生は面白がっているのでしょう。もちろん、わたしはさっちゃんを応援しているからね」

「応援もなにも、やっちゃんがお点前をするなんて考えられません」

「どうかしらね。さ、お稽古なさい」

 もやもやとした気持ちをかかえたまま、わたしはお道具を運ぶ。長尾を置きにでると、やっちゃんは割稽古にはげんでいた。おろしたての朱色の帛紗(ふくさ)をさばく練習をしている。

「こうして、真ん中で音をだすようにするの。これをちり打ちというのよ」

 先生がパンパンと、鳴らしてみせる。

 パン

「できました!」

 やっちゃんは先生にハイタッチをせがむ。応じる先生。

 パン

 くだらない。なるべくふたりを見ないようにして準備を進めた。

茶道口の前に座っても、気分は晴れない。 


 総礼


 お茶碗をもって、すっくと立ちあがる。仮置きして、置き合わせ。建水を持って、ふすまをしめる。建水を置いて、蓋置を取りだす。柄杓を引いて、ごあいさつ。

 頭を上げて、一息つく。まわりの様子をうかがう。

 綺羅さんは、お盆の上にのっているお菓子にくぎづけ。

 中井さんは、なにを考えているかわからない顔で、わたしを見ている。

 先生は帛紗をもてあそびながら、やっちゃんのほうを向いていた。

 そして、やっちゃんは、わくわくした目をわたしに向けていた。たのしみ。唇がそう動く。

 あわてて目をそらした。とんだプレッシャーだ。

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