黄昏
kabira
黄昏
少し前まで歩くだけで汗が額に滲み、煩わしさを感じていたが、気づけばそれも忘れるくらいに涼しくなった。
最近は夏の終わりを感じたかと思えば、涼しいと感じる季節は一瞬で、すぐにコートに身を包む羽目になるからたまったもんじゃない。
そんなつまらない事を考えながら、いつの間にか刹那の季節となってしまった秋の訪れを一身に感じ、俺、
どこか学生気分が抜けないまま、気づけば社会人も3年目。
地元に残る旧友を横目に上京してきたはいいものの、なんの事はない。
日々の業務に追われて、残業の毎日で平日は仕事が終われば帰って寝るだけ。休日も仕事の疲れをとる事に精一杯で遊ぶなんてもってのほかで、結局自宅と職場を往復する毎日だ。
仕事にしても、夢を叶えられると張り切って東京に出てきたものの、理想なんて儚いものだと思い知らされた。
決して大きいとは言えないが、目標だった会社に入社出来た。
だが、現実はなんて事はない。
尊敬も出来ない上司や先輩にこき使われ、大きな仕事どころか未だに仕様のない雑用で身をすり減らすばかりだ。
「こんな事なら、俺も地元に残れば良かったかな」
気がつけばそんな声が漏れていた。
そういえば、地元に残ったあいつはどうしているのだろう。
俺の地元は少し移動すれば小さな繁華街があるような、まあ都会とも田舎とも言えないよくある町だった。
俺と
俺はずっと自分の親の仕事が好きではなかった。
スーツを着て仕事に行くクラスメイトの親をよく羨ましいと思ったものだ。
あいつも、商店街での仕事など田舎くさいとよく愚痴を漏らしていた。
だから自分達は将来上京して大成するんだ、なんて語り合っていた。
今思えば世間を知らない子供の他愛もない夢だったが、当時の俺は本気で信じていた。
だが、いざ就職活動となるとあいつは地元に残ると言い出した。
どうやら親の身体が良くないらしく、店を継ぐ事になったらしい。
「ごめんな、一緒に行けなくて」
「いいよ、仕方ないしな」
「頑張れよ、お前ならきっと向こうでもやっていけるよ」
その言葉を聞いて押さえていた感情が溢れ出した。
「ああ、そうだな。お前と違って俺はこんな狭苦しい世界から飛び立つんだからな。偉そうに言うなよ」
「なんだよそれ。仕方ないだろ!家庭の事情なんだからさ」
「ああ、わかってるよ。そうやって自分が出来ない理由探してろよ」
「おい、言っていいことと悪いことがあるだろ。今のは聞き過ごせないぞ。謝れよ」
「お前に謝って何の得があるんだよ、馬鹿馬鹿しい。まあ、精々達者でな」
「……ああ、わかったよ。じゃあな」
怒りと哀れみを携えたあいつの表情が未だに忘れられない。
なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
ずっと同じ夢を追いかけていると思っていたあいつから出た言葉が、酷く他人行儀に聞こえて堪えきれなかったのだ。
お互いにとってお互いが無くてはならない存在だと信じていたのに、その糸がこんなにも脆く千切れてしまうものなのだと初めて知った。
「なんでこんな事思い出すかな」
きっと、そう。少し、少しだけ疲れているのだ。
この無機質が溢れている街に。
そう、今はただ、少しだけ──。
いつもはもう家についていてもいい時間だが、今日は何故か足取りが重い。
せっかくだしどこか寄り道でもするか、なんて考えていたその時、唐突に携帯が鳴り響く。
俺はその場でしばらく硬直した。
こんなフィクションのようなタイミングがあるのだろうかと皮肉めいた笑みさえ浮かんでくる。
「よう久しぶり。元気か?」
「あ、ああ。久しぶりだな。どうした?」
「久しぶりなのに無愛想なのは変わらないんだな。まあいいや」
「なんだよ、それ」
「実はさ、この前久しぶりに地元の奴らで集まって飲んだんだよ。お前も呼ばれてたんだろ?なんで来なかったんだよ」
そういえばそんな話が来ていた気がする。
仕事に追われてそんな余裕がなかったこともあるが、何よりあれだけ啖呵を切ったものの何一つ成し遂げれていない自分を見せるのが恥ずかしくて到底行く気になどなれなかったのだ。
「社会人になってからこっちにも戻ってきてないみたいだし、偶には戻ってこいよな。お前がどう思っているか分からないけど、ここがお前の故郷には変わりないんだからさ」
「…ああ、そうだな」
「まあ、またやろうって話になってるからさ。また連絡するよ。話したい事も沢山あるんだ」
「わかった」
暫くの沈黙が続く。伝えるべき言葉があるはずなのに、選ぶ言葉が頭の中で渦巻いて決められない。
向こうも察したのか、息を吸う音が電話越しに伝わる。
「じゃあ……」
「あ、あのさ、久しぶりに声、聞けてよかったよ」
咄嗟に出たらしくない自分の言葉に対し、血液が逆流するのを感じる。
「お、なんだ。珍しく素直じゃん」
「う、うるさいな。いいだろ別に」
「はは、なんだか変わってなくて安心したよ。
じゃあまたな」
「……ああ、じゃあまた」
そう言ったところで電話が切れた。
余韻もなくすぐに電話を切る所は相変わらずだな。
……喧嘩をしても、そんなことなど無かったように話してくるところも相変わらずだ。
故郷に変わりはない、か。
当時は進歩も変化もなくただ廃れていくあの町でのんびりと笑う人達に嫌気がさしていたはずなのに、今はその顔がたまならく懐かしい。
自分にも居場所がある、そう思うとなんだか心がむずがゆいように感じた。
「あ、そうだ」
目の前のコンビニを見てあいつとの思い出が蘇る。
当時は本当にくだらない話をしていた。
それこそ、赤いきつね派か緑のたぬき派か。なんて話も。
あいつは緑は自分のイメージカラーだ、なんて言ってずっと譲らなかったな。
丁度近くの公園にベンチがある。
折角だしここで食べて帰るか。
服を通り抜ける寒くも何処か懐かしい風を感じながら麺をすする。
「熱っ」
あながちあいつの主張も間違ってないな、なんて思いながら気づけば残りのスープまで飲み干していた。
日進月歩で進むこの世の中、常に変化を求められる。だけど、そんな世の中だからこそ、この赤いきつねと緑のたぬきの味のように変わらないものがあったっていいのかも知れない。
身体に籠る温かさと少しの寒さが心地良い。
また明日からなんて事のない毎日が始まる。
それでも、帰り道の歩幅は昨日までの俺より少し大きくなっていた。
終
黄昏 kabira @naoyaa_y1
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