【初めてのデート(後編)】
面白かったねーと感想を言い合いながら映画館を出ると、強い日差しが真上から降ってきた。時間を確認すると、すでに昼まぎわだった。
「お腹空いてきた?」
「あっ、そろそろ昼だもんね。空いてきたかも」
「じゃあ、取り敢えず飯にしよっか。一度行ってみたいカレー屋さんが、近くのショッピングモールにあってね」
「カレーか……行ってみたい」
私たちがまだ幼かったころ、蓮が家に来て夕食を一緒に食べたことがあった。私の母親のカレーは、子どもにはちょっと辛口かもだけど本当に絶品なので、美味しい美味しいと彼が何度もおかわりしてたっけ。
再びバスに乗って向かったのは、アメリカ東北部の街並みをイメージした建物が並ぶ、アウトレットショッピング・モールだ。様々な有名ブランドショップが入った建物は二階建て。外壁は白基調の清潔感溢れるもので、店内もたくさんの人で賑わっていた。
蓮の案内でカレー屋さんに向かうと幸い待ちの客はなく、すぐ席に案内された。店は奥側が一面ガラス張りになっている。自然光をたっぷり取り入れているぶん、照明は落ち着いた色合いだ。
私はローストビーフのカレー。彼は、キーマカレーのセットを頼んだ。
三つ編みに眼鏡か。なんか真面目そう、と注文を取り去っていくウェイトレスさんに勝手な感想を抱いていると、「俺、水持ってくるわ」と蓮が席を立つ。
「あ、ごめんね。気が利かなくて」
「いやいや、いいってことよ」
水はセルフサービスだったのか。全然気がつかなかった。中身成人の私がこうしてただ座っているなんて、なんだか恥ずかしい。
「美味しい……」
「でしょ?」
「もしかして、この店に来るためのバス路線も、事前に調べてくれてたの?」
映画館に向かう時も、ショッピングモールに向かう時も、彼はバス時刻を正確に把握していた。
「うん。だって、誘ったの俺からなんだしさ、当日になってあたふたすんのカッコ悪いでしょ? 俺ってさ、事前に準備万端整えてから勝負に挑むタイプなの」
「勝負って」
「大袈裟」と笑ってみせると、「なんだよ」と彼は口を尖らした。
バスの件といい水の件といい、やり方がいちいちスマートだ。
蓮にしろ、景にしろ、性格は自由奔放だ。私が理屈っぽくて、融通の利かない性格だから、緩いスタンスの人に心惹かれるのかもしれない。
だが景は、悪い意味で勝手気まま。そういう幼い部分が可愛いって思うこともあるけれど、物忘れが激しいから約束だってよくすっぽかす。
一方で蓮は、そんなことはなかった。自由人だけど約束を破ったことはない。とはいえ、ここまで几帳面なのは想定外だったけど。二度目の世界だからこそ、見えてくるものがあるんだろうか。外見のみならず中身もしっかりしているから、彼はモテるのかもしれない。
そういえば、景の奴はいっさいデートプランを考えない人だった。週末出かける場所にしろ、バスや電車の時間帯にしろ、調べるのはいつも私の役目。ご飯だって適当に目についた店に入ることが多く、主にラーメンとかマックだ。たまには美味しいもの食べたいと進言しても、堅苦しい雰囲気は苦手なんだよね、の一点張り。なかなか首を縦に振らない。
むしろそういった無計画さをライフワークにしているというか、楽しんでいる風でもあった。
彼が楽しそうにしているのはいいのだが……たまには私に合わせて欲しい。
「あれ、もしかして美味しくない?」
案外長いこと、ぼーっとしていたらしい。心配そうに声をかけられてしまった。
「ううん、まさか! 凄く美味しい。こんなカレー、私も作れたらいいなって、そんなことを考えてたの」
ルーが濃い口に見えるから辛いかな、と思ったが案外そうでもない。口あたりのよい甘さと深いコクの中に、軽めのスパイスも利いている。こんなカレーを作ってみせたら、景の奴が喜びそうだ。
……ってなんだろう。さっきから景のことばかり考えている。二人の性格が思いの外違うためか、ついつい比べてしまう。
集中。いま私は、蓮とデートしてるんだから。
「へー。霧島って、料理なんてできるの?」
蓮の返しを聞いて、自分が失言したと気がついた。
「あっ……いや……まさか。ほらッ、うちのお母さんってカレー得意じゃない? だからさ、私も将来こういうの作ってみたいなーって」
将来か。ついこの間までそこにいたわ、と境遇の複雑さに苦笑が漏れる。
「ああそっか。霧島の母さんって、カレー上手だもんな」
今回ばかりは、母親の得意料理がカレーで良かったと内心で謝辞を述べる。
それにしても。デートプランを事前に組むなどしっかり者の彼だが、やっぱりそこは中学生。周囲の目を気にして時々そわそわする。こちらを見て、ふい、と逸らした頬はほんのり色づいている。ともすると、今の教え子みたいなんだよな、と頬を緩ませた。
「この後どうしよっか」と相談すると、「ちょっくら買い物に付き合ってもらってもいいかな?」と小声で彼が口にした。
「もちろん、いいけど」
そう軽く答えたが、彼はなんだかそわそわしている。
「あ、いや、俺の妹がもうすぐ誕生日なんだよね。そんで、なんかプレゼントあげたいんだけど、リップクリームとかどうだろって思って。……おかしいかな?」
「ああ、そういう」
そういえばいたっけなあ、と思い出す。蓮の妹は、私の記憶が確かならば、いま小学六年生。そろそろ色気づいてくる頃合いだ。ネックレスやピアスはまだ早いと思うし、「うん。それでいいんじゃないかな」と同意すると、そかそか、と彼は満足気に頷いた。
兄妹仲がよいらしく、お互いに誕生日プレゼントを贈り合う習慣があるのだという。
そういや私、景にプレゼント貰ったことあったっけ? としばし考え、流石に皆無じゃないよな、と思い至る。いくらなんでも私酷すぎか。
食後のホットコーヒーを飲み干してから店を出た。館内を歩きまわってコスメショップを探していると、きょろきょろしながら蓮が訊ねてくる。
「化粧品のブランドで、なんかコレっていうオススメある? 俺あんまそういうの詳しくなくってさあ?」
「私も中学生なんだけど」
言ってから、これも失言だったかな、と思う。
パッと頭に浮かんだのは、人気モデルをCMに起用している国内再王手の化粧品メーカー。名前を挙げてみると、「聞いたことある」と何度も彼は頷いた。
若い女性客で賑わっているお店を見つけて入った。私からあれこれ聞いて買う物がある程度固まってたのか、さして悩むことなく彼は数本のリップクリームを手に取ると、レジに並んだ。
メーカーは私がオススメしたもの。色は赤とピンク。蓮の妹の趣味に合うかな? と一瞬不安になるが、無難なチョイスだし大丈夫だろう。
待っている間が手持ち無沙汰で、あたりをぐるっと見渡した。高校生の客が多いが、今の自分と同じくらいのカップルもいた。
女子高生が三人纏まっているグループの一人と目が合って、気まずくなり顔を背けた。
私たちも、カップルみたいに見えるのだろうか。それとも、中学生だからただの友達に見えるのだろうか。
前者だったら嬉しいな、と甘美な妄想をしながら、真紅のルージュを手に取った。この色を差すには、今の私は幼すぎるか。この色はむしろ――。
「どうしたの?」
「あっ、わっ! いや、この色、大人っぽいなあって」
突然の声に驚くと、いつの間に会計が終わったのか蓮が隣に立っていて、声が裏返ったことを笑われた。
「あれ? そういう色が好みなの?」
「いや、まさか。ははッ。私にはちょっと早いんじゃないかな。こういうのはどっちかというと、菫のほうが似合うかも」
ごまかそうとして、咄嗟に菫の名前を出したことをちょっと後悔。彼女は唇がふっくらしてるから、確かに似合うと思う。でも、このタイミングで恋敵の名前を出さなくてもいいのに。
「森川は女の子っぽいもんなあ」
蓮の声に、『意外に女の子らしいね』と言われたことを思い出した。
菫は女の子っぽくて、私は違うって意味なんだろうか、とひねくれた考えが頭に浮かび、醜い嫉妬だと嫌気が差した。
何に苛々しているんだ中身二十一歳。
「うふふ、だね。菫は性格が優しいし表情も柔らかいから、ほんと、女の子らしいと思う」
「霧島と森川は、ちょっとタイプが違うけど、小学校の時からずっと仲いいもんなあ」
「うん」
なんて、同意した私の声が白々しく響いた。
小学校からずっと一緒で、何をするにも手を取り合っていた私たち。そんな彼女と、いま険悪なムードになっているんだと知ったら、彼はどんな顔をするのだろう。
緩やかに罪悪感がこみあげて、今度は別の意味で胸が痛んだ。
私の気持ちは言えていないが、偽のアドレスを教えるのは止めた。最悪の未来はきっと回避できた。でも、そこから先のことは何も知らない。この先どんな変化がおとずれるのか、予測もつかない。
そもそも私と菫は、この先も親友でいられるのだろうか。今、こんな状況なのに? それに、菫が転校する事実とその先の悲惨な人生は、何も変わらないんじゃないか。わからない未来のことに考えが及ぶと、じわじわと、足元からせり上がってくるみたいに不安が全身を蝕み始める。
私の頑張り、きっとまだ足りない――と項垂れたそのとき、蓮が私に何かを差し出した。
視界を遮ったそれは、小さな紙包。
「へ?」と間抜けな声が出て、弾かれるみたいに顔を上げると、「それ、霧島にやるよ」と蓮が言う。
「これって?」
「今日つき合わせて悪かったからさ。そのお礼」
照れくさそうに顔を背けた彼から包みを受け取ると、紙袋の口は小さなハートのシールで封がされていた。彼の手には、同じ包みがもうひとつ。二つ買っていたのは見ていたけれど、てっきりどちらも妹のものだとばかり。
「なんで」と野暮な質問を返すと、「いや、お礼って言うかさ」と白状するように彼が言った。
「霧島、再来週誕生日でしょ? だから、ちょっと早いかもしんないけれど、これ、プレゼントみたいなもん」
私の誕生日。そう、そうなんだけど。
「覚えてくれてたの?」
「当たり前じゃん。何年の付き合いだと思ってんだ」
さも当然とばかりに言ってのける蓮の優しさに、一瞬すがりそうになる。
「でさ」
「うん?」
「いや、なんでもね。開けてみて」
相変わらずそっぽを向いたまま、素っ気なく彼が言う。その仕草は未来の蓮と寸分違わぬようで、なんだか微笑ましい。
丁寧に封を開けてみると、中から出てきたのはピンク色のリップクリームだ。私が彼の妹にお勧めしたものと、微妙に色合いが違うちょっと濃いめのピンク。
「ピンク」
「霧島、ピンクが好きだと言っていたから、桜のイメージに近い色がいいかなって思ったんだ。あっ、それとね、桜の花言葉を調べたら『精神の美』ってあったから、気持ちが強い霧島にピッタリだなって」
もしかして、好きな色を聞いてきたのってこれのため? 映画というのもそもそも彼の方便で、こっちが本命の用事だった? とそこまで考えてから、自惚れるな、と自分を叱咤した。誕生日だからで特別な意味はない。
「花言葉なんて、よく知ってたね」
「さっき調べた」
携帯電話をひらひらさせて、得意そうに彼が笑う。
それにしても、気持ちが強いだなんてとんだ思い違い。私は、自分の醜い嫉妬心で、親友の人生を台無しにした人間なんだ。
「あ、ありがとね。これ、大事に使うから」
二人の間に心地よい沈黙が横たわり、ごまかすように私と彼は、他愛のない話題で盛り上がった。来月ある臨海学校の話。今日寝坊したこと。私の妹が好きな男の子の話。私の本心が、溢れ出してこないように。心の奥底に、しまい込むように。
その日の夜。風呂上りにドライヤーで髪を乾かしていると、携帯に着信があった。ディスプレイに表示されている名前は『森川菫』。なぜだろう、少し胸騒ぎがした。
「もしもし」
『もしもし――』
右手にドライヤー。左手に携帯電話という二刀流で応じたが、ドライヤーの音が五月蠅くてよく聞こえない。
「ごめん、横着するもんじゃないね。……あ、なんでもない独り言。で、どうしたの?」
ドライヤーを止めて両手でしっかり携帯を持つと、『あのね』と今度はしっかり菫の声が聞こえた。でも、気のせいだろうか。彼女の声はいまひとつ覇気がない。ボタンをひとつだけかけ違えているような、微細な違和感が心を過る。
『この間ね、三嶋君にメールして、来月の花火大会一緒に行こうよって誘ってみたの』
お、意外にも積極的だった。ほんの数日で行動に移すなんて、菫もやるもんだ。なんだか、教え子の恋愛相談に乗っている気分。
「うん、それで?」
『結論から言うと、オッケーしてもらった』
それは嬉しい報告のはずなのに、電話口の声はやはりどこか沈んでいる。
「そっか。良かったじゃん。浴衣とか着てさ、目いっぱいおめかしして行くといいよ。菫は柔らかいイメージがあるから、何色の浴衣がいいかなあ――」
『七瀬ちゃん』
何かがおかしい、と感じつつ応対している最中、トーンの低い菫の声が、会話をぶつ切りにした。
「う、うん?」
『誕生日プレゼント、ちゃんと貰えた?』
どうして、菫がそれを知っているの? 体中の血がいっぺんに引いた。
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