魔法魔術講座 4

 極限魔法とやらを発動してのけた赤の王はすごいが、それはつまり、切り札を使わなければあの状況を打破できなかったということではないだろうか。それほどまでに、帝国軍というのは強いのだろうか。

 ほんの少しだけ不安そうな色を滲ませた少年だったが、しかしグレイはあっけなく彼の言葉を否定した。

「いや、それはちょっと違うな。確かに極限魔法は四大国の王しか使えない脅威的な魔法だが、実は更に上がある」

「更に上、ですか?」

「ああ、極限魔法を越え、真の最高威力と難易度を誇る、究極の魔法。……始まりの四大国の王のみが奇跡的に発動できるという、神性魔法だ」

「神性魔法……?」

 それこそ、耳に馴染みのない単語だった。しかし、少年が知らないのも無理はない。この魔法については、知っている者の方が少ないくらいだろう。

「神性魔法ばかりは、俺もほとんど知らない。何せ文献がほとんどない上、滅多に使われることがない魔法らしくてな。ここ千年以上使用された記録がねェんだ。だけど、その魔法が存在するのは確かだし、四大国の王に受け継がれてるのも確かだ。なにせ、うちの王様がそう言ってたからな」

 そう言ったグレイが更に説明を続けようと黒板を振り返ったそのとき、窓の開く音と共に、少し冷たい冬の風が部屋に吹き込んできた。何事かと振り返ったグレイと少年の目に映ったのは、

「そうは言うが、神性魔法などそうそう簡単に発動できるものではないからなぁ。実質、極限魔法が切り札だという認識で良いのではないだろうか」

 他でもない、赤の王国グランデルの国王、ロステアール・クレウ・グランダであった。

「テ、テメェ! どっから湧いた!」

 がたいの良い身体を器用に丸めて窓から入ってきた王に向かい、グレイの罵声が飛ぶ。

「こらこら、仮にも自国の王をそのように呼ぶものではない。なあキョウヤ?」

「は、はぁ……」

 正直少年の方もグレイと似たような心境だったりしたのだが、空気を読んで曖昧な返事をしておいた。

「しかし、到着早々このような堅苦しい勉強ばかりでは、疲れてしまうだろう。 大丈夫か?」

 そう言って頭を撫でてきた王に、少しだけ居心地の悪さを感じつつも、少年は大人しく頷いた。

「はい。グレイさんの教え方は、とても判りやすいので」

「お聞きになりましたかね国王陛下? お聞きになりましたら、さっさと執務に戻られるべきかと。国王陛下におかれましては、例によって例のごとく執務を抜け出してのご登場かと察せられます訳ですが、それでは今頃ロンター宰相閣下が血眼になっていらっしゃるのでは?」

「いやいや、キョウヤのことが気になって気になって、執務が手につかなくてな。これはいけないと思った私は、ほんの少しだけキョウヤの様子を見に行こうと思い至った次第だ。これも執務をこなし、国を良くするため。であれば、宰相たるレクシィがそれに異を唱えるなどあろう筈もない」

 そう言いながら、王がさり気なく少年の腰に手を回した。そして次の瞬間、王は少年が驚く暇もないほど素早く少年を抱き上げてしまった。

「おいこらポンコツ!」

 叫んだグレイは、恐らく王のその行動を予期していたのだろう。王が行動を起こす前から密かに組み上げていた魔術式を以て水の弾丸を王に向けて放ったが、それらは全て王の、風霊、のひとことで弾き飛ばされてしまった。

「~~っ! これだから魔法は嫌いなんだ! クソが!」

「はっはっは、相変わらず口が悪い子供だなぁ」

 楽しそうに笑いながら、少年を抱えたままの王が窓から身を躍らせる。

「仕事しろクソポンコツ野郎ーッ!」

 グレイの罵声を聞きながら、王と少年は重力に任せ自由落下していった。王は相変わらず楽しそうな笑い声を上げていたが、少年の方はそうはいかない。可哀相な少年は、全く慣れない浮遊感に、王の服にしがみつくことしかできずにいた。

 そんな二人を華麗に受け止めたのは、少年もすっかり見慣れてしまった炎の王獣である。

「ナイスキャッチだ、グレン」

 そう言った王に首筋を撫でられ、王獣は甘えたような鳴き声を上げた。

「え、えと、あの、貴方……?」

 事態を飲み込めずにいる少年が、困惑しきった顔のまま問うように見上げれば、炎を孕む瞳と、ばっちり目が合ってしまった。思考が蕩ける前に慌てて目を逸らしてから、少年が改めて疑問を口にする。

「あの、なんで、あそこに来たんですか? というか、……何処へ行くんですか?」

「お前と一緒に城下街でも散歩しようと思ってな。折角恋人が来ているのだ。デートのひとつやふたつしても、罰は当たるまいよ。だというのに、レクシィは仕事をしろ仕事をしろとうるさいし、グレイはお前を独り占めにするしで、もうこうなったらお前を攫って抜け出してしまえとなったのだ」

 何がどうなったらそうなるのか全く判らなかったが、取り敢えずこの王が無断で出奔したことだけは理解できた。そして、理解した瞬間、少年の顔がさっと青ざめる。

 当然だ。少年はごくごく普通の一般庶民なのである。そんな庶民が王と共に勝手に城を抜け出して遊びに行くなど、きっと大目玉を食らってしまうだろう。少年は怒られることが心底苦手だったので、そんな未来を想像して怖くなってしまったのだ。

「そう心配そうな顔をするものではないぞ。大丈夫だ。連中の怒りは全て私に向くのだから。お前を勝手に連れ出して飛び出したのは私なのだから、お前が怒られる筈がない。レクシィもグレイも、そんな理不尽な怒り方をするような愚か者ではないこと、お前も知っているだろう?」

 優しい声で宥められ、それもそうだと思った少年は少しだけ安心した。しかし、そこまで判っているのに何故この王はほいほいと城を抜け出そうとするのだろうか。

 そんなことを考えながら、ちらっと王を見た少年は、今さらながら王の姿がはっきりしていることに気づき、首を傾げた。

「……あの、そのままで城下に出て良いんですか? 今の貴方、王様だって簡単に判ってしまう気がするんですが……」

 赤銅の長髪に、美しい金色の瞳。そして何より、国王の肩書に恥じない立派な服。この出で立ちは、どこからどう見ても国王陛下その人である。

「うん? ああ、国内ではこれで構わんのだ。私が城下をうろつくことなど、民は皆慣れっこだからな」

 安心しろと言わんばかりにそう言った王だったが、それはそれでどうなんだろう、と少年は思った。

「さて、何か見たいものや欲しいものはあるか? 金なら持ってきたからな。私が買える範囲のもので良ければ、何でもプレゼントしよう」

 やたらと機嫌の良い王がそう言って笑い、そんな王の様子を喜ぶように、王獣が楽しそうに吠えた。

 そんな一人と一頭に挟まれた少年はやはり困ったような顔をしていたが、きっとこの王が離してくれないだろうことは知っていたので、少し迷った後、そっと王の胸に自分の体重を預けるのだった。

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