第23話  彼の依頼






「──────速度が落ちているぞ」


「わ、分かってんだよ……っ!」


「いいや分かっていない。速度を上げろと言っている」


「い゙ッ!?」




 今日の修業も走り込みだった。30kgの砂が入ったリュックを背負い、黒い死神である龍已と並走している。最初と比べれば確かに体力は付いてきたし、この走り込みの修業に慣れてきたというのもあるが、やはりキツいものはキツい。


 ぜぇぜぇと息を切らしながら走り、速度が落ちてくると声を掛けられる。一切息が乱れていない龍已から。速度が落ちていることは自覚している。しかし仕方ないのだ。既に10キロも走っているのだから。走り始めとほぼ同じ速度を維持していたがそろそろ限界だ。足の裏も痛いし脇腹も痛い。


 だが、そんな理由で減速は認められない。追い込んでこその修業である。妃伽は走ってい最中に尻を思い切り蹴り上げられた。足が地面から浮くくらいの強さだ。ばしんと良い音が響き、妃伽は痛みからくる苦しげな声を口から漏らした。容赦の無い蹴りは痛む足裏や脇腹よりももっと痛い。


 擦ることも赦されず、妃伽は目の端に涙を貯めながら必死に速度を上げた。減速すれば蹴られる。しかも回数が増えるごとに蹴りの威力も上がっていく。最後はきっとダルマ落としのようになるのだろう。モンスターを蹴り飛ばす威力がある師匠の蹴りを恐れ、必死になって走った。




「よし、休憩に入ろう」


「ひゅっ……げほっ、げほっ……うぇ……」


「たかだか15キロだぞ。お前の体力は未だ及第点だということを忘れるな」


「はぁ……はぁ……お、オス……っ!」




 両手両膝を付いて咳き込み、喉元まで来る何かを押し込めるのに必死だった。妃伽はどうにか出てきそうになったものを押し戻すと、どすりと座り込んだ。そして休憩終わりの帰りの走りに備えて脚のマッサージを開始した。ぐにぐにと揉み込んで血行を促進させる。こうしておかないと後が大変なのだ。


 修業が終われば虎徹の店のバイトがある。居眠りなんてできないし、筋肉痛は言い訳にならない。金を貰い、住む場所まで貸してもらっている立場からして中途半端なことはしたくないし、虎徹に申し訳なくてそんなことはできない。


 体力作りを主として今は修業をしている。基本中の基本である体力をつけないと戦闘にならないからだ。ましてや相手は野生で生き抜いているモンスターである。人間の体力と比較してはならないのはもちろんだが、だからと言って大きく開く差を縮める努力を怠っていい理由にはならない。


 1時間の休憩を貰い、妃伽は脚のマッサージを終えて息を整えた。まだ足は微妙に痛いが、この痛みにも慣れてきたというものだ。最初は片道10キロでも吐いたくらいだが、今では片道15キロである。短期間でこの進歩は素晴らしいものだ。妃伽には才能があると評す龍已の気持ちも分かるだろう。




「足元に警戒心が無さ過ぎだ。動きを封じようとするモンスターも居るんだぞ。武器を手放す、又は足をやられたら狩人は死んだも同然だと思え」


「うぐッ……」


「武器を使っていいと言っているんだ、積極的に使え。俺に気を遣う必要は無い。当たらないからな」


「クッソォッ!!」




 走ってエルメストに戻ってきたら、今度は虎徹の店の地下にあるトレーニング場で龍已との組み手に勤しむ。彼は素手で武器は一切使わない。対する妃伽は爆発するメリケンを使っている。打面に触れれば即爆発する仕組みになっているので人に向けるには危険すぎる代物なのだが、攻撃の一切は彼に届かない。


 全力で殴りに掛かっても躱される。それどころか腕を取られて背負い投げされるわ、足を引っ掛けられて転倒するわで全く歯が立たない。歯牙にも掛けられていないとはこの事だろう。時間が経てば経つほどボロボロになっていくのは妃伽だけだった。


 走り込みをしてすぐに近接戦のトレーニングに入っているので息が上がりやすい。肩で呼吸をしていると、情けないぞと言われてムキになる。が、それだけで師匠である黒い死神に手が届くはずもなく、いつものように叩きのめされた。自分が本当に強くなっているのか疑いたくなるほどの、清々しいまでの惨敗である。


 やはりラプノスを単独で斃せるようになったからと言って、劇的に何かが変わる訳でもないようだ。結局妃伽は龍已にこれでもかとやられ、調子に乗りそうな鼻を折られたのだった。この日の修業はこれで終わり、次は虎徹の店の手伝いである。



















「──────え?臨時休業?」


「そうなんだ。ごめんね?僕に大事な用事ができちゃってさ。ついさっき連絡がきたんだ」


「いや、そりゃ別に良いんだけどよ……じゃあ今日はバイト無しってことか?」


「そうなるかな。あ、僕もう行かないと……合鍵は渡しておくから出掛けるときは戸締まりしておいてね?それじゃあっ」




 パタパタと忙しそうに店を出ていった虎徹。どうやら本当に急用であり忙しいようだ。彼にしてはとても珍しいことになっている。時間に余裕を持って行動をしている彼だが、こんな日もあるのだろうと妃伽は思うことにした。しかし、これは困ったことになった。妃伽は修業が終わった後は完全にバイトのつもりだった。


 これから流した汗を流すとして、その後は何をしようか悩む。苦手な勉強をするも良し。師匠にコテンパンにされたのを反省して自主練するも良しだ。さて、どうしようかと悩んでいると、一緒に帰ってきた龍已がフードの中の自身の顎に手をやって何かを考えていた。


 いつも通りここで解散すると思っていた妃伽は、振り返って黒い死神の格好をしたままの龍已を見る。ほんの十数秒間何かを考えていた様子の彼は、俯かせていた顔を上げた。と言ってもフードで顔が隠れて見えないが。




「暇になったか」


「ん?おう。まァ、天切さんが居ねぇと料理出せねぇしな」


「……ついてくるか?」


「……?何に?」




「──────俺が今から行く依頼にだ」




「マジでッ!?」




 妃伽はつい大声を上げてしまった。過去の映像で龍已がモンスターと戦っている場面は見た。何度も見返した。だが彼が実際にモンスターと戦っているところは見た事が無かった。弟子になってから1ヶ月以上経つというのに、師匠の生の戦いを1度も目にしていない妃伽は、いつか見たいと思っていたところだった。


 依頼があると1人で向かい、妃伽はその間自習になる。それが今までの流れだった。流石に歴とした狩人の狩りに、狩人ではない弟子の自分が行くのはダメだろうと思って言えなかったことを、まさかまさかの師匠の方から提案してくれるとは思わなかった。


 期待に胸を膨らませ、ぐいっと龍已の方に近づく。身長に差があるので下から覗き込む形になるが、ほぼ0距離まで近寄った。妃伽の同年代と比べても大きい胸が彼の胸板に当たり形を変える。それに気づかないくらい今の彼女は期待していた。心なしか目が爛々と輝いているようにも見える。




「本当に本当か!?私を連れて行ってくれんのか!?師匠の依頼に!嘘とか口が滑ったからやっぱ無しとかねーよな!?んぐっ……」


「近い。……修業ばかりでも仕方ないだろう。それに、俺がモンスターを狩猟しているところを見せたことが無いと思ってな」


「見たことならある……と思ったけどねーよなぁ!?あはははははっ!」


「……?取り敢えずどうする。行くのか?」


「行く!!」


「分かった。では今から出発する。虎徹から預かっている合鍵で戸締まりをしておけ。バイクの用意をしに先に正門へ向かっているぞ」


「りょーかい!……やったっ。にししっ」




 嘘は許さないと言いたげに顔を近づける妃伽を手で押し返し、龍已虎徹の店から出て街の正門へ向かった。移動するための足であるバイクを用意しておくためだ。妃伽は彼の背中を見送り、店の戸締まりを開始した。浮き足だった様子は、やはり師匠の生の狩猟が見られることが楽しみだからだろう。


 基本、黒い死神である龍已の狩猟する姿を見れるのは、同じ戦いの場に出られる狩人をやっている者だけだ。妃伽は確かに下位のモンスターと戦えるだけの手段と強さは持っているが、正式な狩人ではないため1人で壁外に行って狩猟をすることは許可されない。死ぬ危険があるのと、実績が無いと判断されているからだ。


 狩人という称号は、単なる飾りではなく、謂わば免許だ。モンスターと命のやりとりをして狩猟することを赦された戦う者達の総称。なので、妃伽が龍已の戦闘を見学できるのは修業をしている最中に襲ってきたモンスターを狩猟する時か、受けた依頼に同行する時だけなのだ。


 修業している時は龍已ができるだけモンスターが居ないところを探り、そこを使って修業するのだが、襲ってきたとしても狙撃してしまうので戦闘らしい戦闘はない。故に、妃伽は今かなり楽しみにしていた。




「よしっ!ンじゃ行くかッ!」




 戸締まりが全部終わった事を確認すると、ポケットに合鍵を入れて走り出した。龍已の準備が終わっていなければどちらにせよ向かえないのだが、早く見たい心が先行して走っていた。朝から体力作りの修業をして疲れているはずだったのに、まるで疲労が感じられない。


 人の間を縫って移動し、正門へ向かう。勝手知ったる道を進んで目的の場所が近くなると、龍已の専属回収屋であるサポーターの倉持が居た。彼が龍已のバイクなどを預かり、必要な際に持ってきてくれるので会うのは当然だろう。先程連絡しただろうに、用意が早いなと思いながら挨拶をし、渡されるヘルメットを被った。




「黒の旦那とお弟子さんはこれからどこへ?回収要ります?」


「一応ついてこい。此処から北へ少し行ったところの村だ。目標は“パーレクス”だ」


「狩猟難易度上位寄りの下位じゃないっすか。……大丈夫なんです?いや、疑ってるわけじゃないんですがね!」


「大丈夫だろう。良い経験になるはずだ」


「いや、まあ……」


「……?どうしたんだよ?私は準備できてるぞっ!」


「そう焦るな。では倉持、いつも通り待機しておけ」


「はぁ……。了解です。黒の旦那が良いって言うなら従いましょ。お弟子さん、


「ん?」


「おい、行くぞ。掴まっていろ」


「おぉいッ!?いきなり急発進すんなよッ!?」




 エンジンを掛けてアクセルを回し、急発進した。けたたましい大型バイクのエンジン音とダイヤが地面を削る音が鳴り響く。背後から一般人などの視線を集めながらエルメストを出発した。


 妃伽は出発する前に倉持から掛けられた言葉を龍已の背中に抱きつきながら思い返していた。“頑張って”と態々声を掛けるほどのモンスターが相手なのだろうか?と。今回は龍已の狩猟の見学に行くのだ。別に自分が狩猟をする訳じゃない。少なくともそう思っている。


 基礎的なことを勉強している最中なので下位のモンスターの名前などは判るが、それ以外のモンスターとなると把握していないので、龍已の言っていた“パーレクス”というのがどんなモンスターなのか知らない。まあ現場についてその目で見るまでのお楽しみとしておくのもいいだろう。


 ちなみに、モンスターには下位と上位という区分がされている。比較的少ない人数と浅い経験の狩人でも狩猟できるようなモンスターのことを下位のランクに位置づけ、多くの人数や豊富な経験、事前の徹底した作戦などが必要とされてくるのが上位のランクに位置づけされているモンスターだ。


 難易度が違うだけにモンスターの強さも違う。ラプノスなどは下位に当たるが、以前龍已が狩猟したウルキラムは上位のモンスターだ。子供ながらにして幾人もの狩人を殺したその強さは、成体になればそれ相応の脅威となる。もちろん、死ぬ危険が大きいので支払われる報酬も高く設定される。


 下位と上位はあっても、中位というランクは無いので微妙なラインだと上位寄りの下位だとか、下位よりの上位という言い回しを使っている。


 狩人になったばかりの新人は下位のモンスターを対象とした狩猟にしか行くことができない。上位に行ける狩人がついて行く形ならば上位の依頼に行くことができるが、基本的には行くことができない。行けるようになるには、実績を積んで狩人協会から許可を与えてもらうしかない。




「あー、どんなモンスターと師匠がやり合うのか楽しみだぜ!」


「……そうだな。楽しみにしているといい」




 背中に抱きつきながら機嫌良さそうにしている妃伽に、ひっそりと言葉を返す龍已。その声は走行中の騒音によって掻き消されていた。彼女の耳には彼の言葉が入ってきていない。







 妃伽は知らず知らずの内に、次の段階へと入ろうとしていた。狩人をやる中で必要な光景を目にするために。








 ──────────────────



 巌斎妃伽


 体力作りをメインに現在も修業中。少しずつ走る距離を伸ばされているが、掛かる時間はそれ程変わっていない。そうなるように走らされているが、走れているのは確か。


 師匠である黒い死神の狩猟を見ることができるのでテンションが高い。まだ龍已という人間を理解しきっていない。彼は意味の無いことはしないし、割と歩くより走れをやる人間であるということを。





 黒圓龍已


 黒い死神と呼ばれる最強の狩人。妃伽の成長速度が早いので次の段階に進ませても良いかと考えている。2人で移動するので今回は大口径狙撃銃を持ってきていない。


 彼は特殊なので依頼が直接入る。名指しとも言う。ただし、受けるかどうかは本人次第。普通の依頼よりも難しいものや普通の狩人では手に負えないような狡猾なモンスターが相手になる。





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