第12話  生きるために






「──────あー……雨多い場所で助かったァ……」




 妃伽は枝と大きな葉を使って水を貯められる台を作った。手先が器用な方じゃないので、不格好なところがあるが完成は完成だ。弧を描く枝を繋げて縁を作り、柱用の枝に乗せておく。その円を模って大きな葉を並べていくのだ。そうすると大きな葉の先が中央に集まり、セットした水筒に落ちていくという感じだ。


 とても簡単に作ったものなので、変な衝撃を与えると崩れてしまう危険があるが、周りを手頃な石を積み重ねることで風除けとしているので多分大丈夫だろう。この際、雨の水を飲んでも大丈夫なのかというのは考えない。濾過ができる道具など無いからだ。


 無い知恵を絞って造り上げた、水補給できる装置を見てフフンと得意気になる。これで1番重要な雨が降らなかったら何の意味も無いのだが、どうやら雨は多い方らしい。雲行きが怪しくなったかと思えば雨が降って、少し水の確保が出来たので助かった。


 ちなみにだが、妃伽自身が雨を凌げるものも作っておいた。サッカーゴール状の枝で作った骨組みに、余った大きな葉を被せて水が落ちていくようにしたのだ。水筒に貯められる台の他にも、大きな葉を皿のようにして別の場所でも貯められるようにしている。大きな葉っぱ様々だと上機嫌だった。


 人間は水が無ければ生きていくことができない。食べ物が無くても空腹になるだけだが、脱水症状だけは避けねばならない。なので妃伽の行動は後々に彼女自身を多いに助けることになるだろう。現に飲んでしまって減った分の水を補給することが出来ているのだ。


 貯水装置と雨を凌げる場所を作って満足した妃伽。これならどうにかやっていける。そう思って壁登りに精を出していたのだが、雲行きが怪しくなった。穴に落とされて夜を明かしてから数えて2日目のこと。朝から晩まで投げ入れられた食事が与えられなくなった。一切である。


 朝飯が無いときは忘れたのか、それとも採ってくることが出来なかったのかと思ったが、良く考えればバイクに乗せていた果物がもう少しあっても良いはずだ。少なくとも1人分はあってもおかしくない。しかし朝食は無かった。昼に持ち越しかと思えば昼も無く、流石に腹が減ったので上に向かって叫んだが、一切反応が無かった。まさかとは思っていたが夜も無かった。




「私のこと忘れてんのかー?ったくよー。ゼッテー後で文句言ってやる。つか、ロッククライミングやり過ぎて腹減ったっつーの……」


「……?」


「……何でもねーよ」




 2日目は何も口にすること無く、ウサギと一緒に何も食べない日を送った。腹が減っても、必ず飯が食べられると思うなという教えのつもりなのか?と、何の反応も示さない黒い死神に首を傾げつつ、3日目を迎えた妃伽は、今度こそ何かしら来るだろうと待ち構えた。だが、朝食は無かった。


 待てども昼飯が来ない。夜飯も来ない。そのまま3日目が過ぎた。食べ物を口にしない2日目だ。その後も食べ物は来ないで、叫んでも反応が来ない。まさかモンスターにやられたのか?と思っていると、時々爆発のような発砲音が聞こえてくるのだ。大口径狙撃銃は持ってきていないはずなので、別の武器を持ってきていたのかと納得するが、居るなら反応しろよと悪態をついた。


 4日目、5日目、6日目、7日目、8日目……つまり断食の真似事をさせられて1週間が経ってしまった。妃伽はかなり限界だった。壁登りの為にロッククライミングをして体力を使った。水分が必要だが、同時に食事も必要だった。エネルギーを摂取しないと水だけでは倒れてしまう。もう聞き慣れてしまった自身の腹の音にすら反応するのが億劫で、壁に背を預けて座り込んでいる。


 頬がすこし窶れていることを自覚する。このままだと、空腹で体力が落ちて死ぬ。壁登りの話云々どころではない。こんな下らない死に方なんてまっぴらごめんだ。何故黒い死神がこうも食べ物を寄越してこないのかと考えるが、ふと……ずっと一緒に居て警戒心が解けて擦り寄ってくるウサギが目に入った。


 傷つけられた脚は治っておらず、動きに制限が掛かっているウサギ。座り込む妃伽の脚に鼻先をつけて大丈夫か?と心配しているようにも見える。ウサギだ。ウサギが穴に落とされて、手元に置いて生活してからずっと食べ物が投げ入れられなくなった。どういう意味なのか……と、今更思うほど頭は悪くないと思っているつもりだ。




「マジで……黒い死神……イイ性格……してんぜ……」


「……?」


「なァ……ウサギ……先に……謝っとくわ……悪いな」


「……?──────ッ!?」




 脚に擦り寄っていたウサギの頭を撫でて警戒心を抱かれないようにすると、首の後ろを掴んで持ち上げた。突然の妃伽の行動にウサギが暴れ始める。しかし持ち上げられてしまっているため、逃げ出すことなんて出来なかった。空腹で力が入らない筈なのに、と考えると不思議と力が入った。


 左手に掴まれながら、どうにか逃げようと体中を使って足掻くウサギも妃伽同様何も食べていないので空腹だ。すぐに動く力が無くなってしまう。疲労により動かなくなったウサギを見て、妃伽はジャージのズボンの後ろに差して持ち歩いていたナイフを右手で取った。あまり濡らさないようにしていたので刃に錆は見受けられない。


 太陽の光を浴びて銀色に輝く刃を持ち上げて狙いを定める。1週間を一緒に過ごしてきたウサギだったが、生きるためだと考えると以外とすんなりナイフを振り下ろせそうな気がする。やったことが無い筈なのに、何故かできるという謎の自信が湧き上がった。

 そして妃伽は、ウサギに向かって刃を突き立てた。ウサギの口から断末魔が聞こえてくる。痛い苦しいと訴え掛けてくる。でも妃伽はそんな声に対して何の感情も示さない無の表情で見ていた。助かるためなのだから、愛着が湧いていたウサギを殺してでも生き残る。彼女は生きるためならば狂うことができた。


 生きるか、手を下すかの判断に迫られたとき、妃伽は殆ど迷わずに生きることを選んだ。この先ウサギを殺さなくても、黒い死神が食料を投げ入れてくれる可能性は限りなく0だと感じたのだろう。事実、黒い死神は妃伽がウサギを殺して捌き、食べるまでは何も与えるつもりなんて無かった。


 生きて残る為なら殺して食らう。やりたくても出来るものは中々居ない初めての殺し。今までの人生で動物を殺すなんてことは無かったし、肉を捌く何てこともしたことが無い。なので生きている動物の捌き方なんて知るわけが無い。故に突き立てるナイフは適当だ。適当に突き立てて、食べない皮を力尽くで剥がした。


 皮を剥がして内臓を取り出し、葉の上に置いておく。何度もやって手慣れた焚き火を起こすと、肉を焼くための土台をさっさと枝を立てて作った。太めの枝を使って、皮を剥がしたウサギの肉を貫通するように刺した。肉焼きの枝の柱に乗せた。上ってくる焚き火の熱でウサギの肉を焼く。


 久し振りの食べ物。それこそ大好物の肉の焼ける匂いに、妃伽は知らず知らずの内に大量の唾液を流していた。空腹は最高のスパイスとは誰が言ったのか。食べるどころか匂いを嗅いだだけで美味そうだと感じられた。もう生でも良いんじゃないかという邪念さえ抱いてしまう空腹を携え、どうにか肉がこんがりと焼けるまで待つことに成功した。


 両端から出ている枝を両手で握って支え、中央のウサギの肉を見る。こんがりと焼けてきつね色に輝く。控えめな肉汁が滴っており、自然と目線が吸い寄せられてごくりと生唾を呑み込んだ。空腹がもう限界だ。食べないと死ぬ以前に、我慢なんて出来る筈がない。


 限界まで口を開けて肉に齧り付く。無理矢理食い千切ってやれば、大きな肉の塊が口いっぱいに広がった。味付けなんてしていない。塩すらも振らずに肉本来の味を噛み締めるしかない。でも、何という甘美な味のハーモニーだろうか。スパイスなんて要らないと力強く言ってしまえるくらい、満足のいく味だった。




「……っ。ぐっ……ずずっ……はぁ……ずずっ……うめぇ」




 ぽたり。ぽたり。涙が頬を伝って顎先から胡座をかく脚に落ちる。1週間振りの食事。肉は最高に美味しかった。血抜きもしていないから硬く、獣臭さ等もあるだろうに、そんな些細なことが気にならないくらい、妃伽は1週間一緒に生活したウサギの肉をこれでもかと頬張った。


 ガツガツと肉を食べ進める妃伽を、上から眺めるのは黒い死神だった。漸くウサギを殺したかと、呆れを含む溜め息を溢す。普通の感性ならば可哀想だとか何だとか良い子ちゃんな理由を並べて殺して食べることを避けようとするが、妃伽にそれは見られなかった。必要に迫られれば必ず取るべき行動を取る弟子であることが判明した。


 モンスターというのは、何も成体になった個体ばかりが相手ではない。中には敵を戸惑わせる為に小さい体のまま成体になる種類や、居るだけで被害が出る個体の子供を狩るときもあるのだ。たかだかウサギ程度で悲鳴を上げているようでは、この先のモンスター狩猟なんて夢のまた夢となる。


 別に全てのモンスターを何の感情も抱かないまま殺せと言っている訳ではない。必要であるから、命を奪うという行為を経験して、いざという時に躊躇わず実行できるようにしておけと、暗に言っているのだ。飯として出せばいくらか抵抗できずに出来るかと思ったのだが、1週間も我慢するとは思わず我慢強いと驚いたのは黒い死神の方だ。自分ならすぐさま捌いている。




「必要に迫られれば殺す覚悟は即座に決められる。刃物の扱いは粗雑だが、急所は捉えていた。躊躇いも感じられん。空腹の極限状態だったとはいえ、生きている者を殺すことができるだけ良しとするか。身体能力も高いな。壁を素手だけで中間以上は確実に登るようになった。体を動かす才能はあると見て良さそうだ。……数日は腹に物を入れて体力を回復させた後、始めるか」




 上から眺めながら、手帳に妃伽の情報を書き記していく。ダメだと判断して切り捨てるまでの弟子だとしても、弟子は弟子だ。本気で狩人にするために鍛練してやる。中途半端にはやらない主義の黒い死神だった。やるからには徹底的に。長く狩人をやって、モンスターと戦ってきたから自然と身についた徹底主義だ。


 ちなみにだが、妃伽が1週間近くウサギのことで踏み留まっている間に、今回の修行でやらせることを決めていた。と言っても、ずっとこの森で修行させても仕方ないので、残る項目は少ないのだが。黒い死神は涙を流しながら肉に齧り付く妃伽を見つつ、自身も同じく自分で処理したウサギの肉を齧った。


















 ウサギの命を自分の手で奪い、肉を食らってから4日が経った。1週間何も食わず、久し振りに食べた食事が肉だけというのも体調が悪くなる恐れがあったので、消化に良い果物を少し多めに投げ入れた黒い死神。空腹で肉は全部食べて、気絶するように眠った妃伽は、ゆっくりだが与えられた果物を食べた。


 朝昼晩と3食の果物を食べて体調を良好にすると、今度はまたウサギを投げ入れた。後ろ脚を傷つけて動けなくさせておいたウサギを、今度はどうするのかと思えば、妃伽は即座に捕まえて躊躇いも無く捌き始めた。黒い死神はそれを見て、ほう……と感心の声を漏らす。


 1度経験したからと言えど、今度は空腹が極まっていない時。つまり普段通りの状態の筈。それでも妃伽は即座に解体を始めた。多少は抵抗感があったりするかと思っていたのだが、思っていたよりも順応速度が早かった。これなら捌き方が解らないという理由でまごつく事があれど、命を奪うことは出来るようになったと判断して良い。




「想定していたよりも肝の据わった少女だな。少し舐めていたやも知れん。だが、所詮命を奪う相手は脚の負傷したウサギ。お前がこれから相手にするのは狩人の敵であるモンスターだ。そんな生易しい動物が相手だとは思うなよ」




 順調にいけば、あと数日で出してやってもいいというラインは超えるだろう。まあ、もしかしたら妃伽が壁を登りきる方が早いのかも知れないが。現在体調が良くなって体力が戻ってきた事を確認し、壁登りを再開した彼女は、反り返った壁を少し進めるようになっていた。


 手の力が必要になってくる場面なのだが、妃伽は身体能力が高く、握力も強いようだ。足を滑らせても、手の力だけで数秒浮いて耐えるという離れ業もしていた。ロッククライミングに慣れて、どうすれば効率良く登れるのかを判断できるようになったらしい。何より感心したのは、毎回登りやすいルートのみを使うのではなく、その日その日でルートを変えていることだ。


 最初こそ、穴に落とした黒い死神をぶん殴ってやるという気持ちだったが、自身に必要なことをこの穴の中で体験させているのだと察すると、自分から修行になるような行動を取り始めた。一緒に投げ入れてやった植物図鑑も、壁登りの休憩時間に読んで覚えようとしているようだ。


 使えるものは何でも使う。確かに力に対して貪欲だ。それに成長速度も早い。自分で学が無いと言って頭が良くないと示していたが、それは学ぶ機会が無かっただけで、地頭は悪くないのではないかと思える。


 これなら、少し修行計画を前倒しにして、1番の難関を与えてやっても良いかも知れないと考えて、黒い死神は森の中に姿を消した。そうして戻ってくる頃には、1.5メートル程のあるモンスターを連れて来た。黒い手袋を外した手で頭を鷲掴み、無理矢理連れて来る黒い死神の姿は異様だった。必死に足掻いていても、まったく動く素振りも見せない。




「巌斎妃伽。俺の初めての弟子。これが最期の関門だ。生きるか死ぬかは自分で決めろ」




 小型と言えどもモンスターであることに変わりは無く、黒い死神は何の躊躇いも無く、そのモンスターを穴に向かって放り投げた。何という剛力なのか、小石でも投げるような軽さで、1.5メートル程のモンスター1匹を弧を描いて投げる。そして少しの時間が経ってからどさりと鈍い音が響いた。


 モンスターの鳴き声が聞こえる。元気とは言えない鳴き声なので打ち所が悪くどこかしら負傷したようだ。まあそれぐらいがハンデになって良いだろうと思い、黒い死神は穴の中を覗き込む。これからどうなるのかを見届けるのだ。






 巌斎妃伽。黒い死神によって穴の中に落とされたモンスターと対面し、本当の殺し合いが始まった。彼女は果たして、初の命の奪い合いに勝ち残ることが出来るのだろうか。






 ──────────────────



 巌斎妃伽


 簡単で不格好だけど貯水装置を造り、その他にも水を貯めておける受け皿を造った。


 ウサギが来てから、食べ物が一切渡されることがなくなった事を考えて、生きているウサギを殺して捌いて食うまで、他のものは与えないという黒い死神の意図を察する。


 動物なんて殺したことないのに、空腹によるものなのか、あっさりと殺して食べた。味なんて感じている暇は無かったが、兎に角久しぶりに食べる肉は最高に美味しかったように思える。涙が溢れて止められなかった。





 黒い死神


 捌き方は何でも良いので、取り敢えず他の生物を殺すという感覚を持ってもらうつもりでウサギを投げ入れた。逃げられてばかりだと意味がないので、脚を切り付けたのは態と。


 一向に食べないので、食べるまで他のものは一切与えるつもりは無かった。それでも食べないなら、穴の中で餓え死にするのもまた選択肢だろうと思っていた。助ける気なんてない。それを選んだのは妃伽であり、忠告はしたし、狩人の生涯はこんな簡単なものではないから。




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