コーイチ

大和田光也

第1話

「コーイチはどこだ?」

 家族が集まっていた日曜の朝だった。松三は朝食を食べながら遠いところでも見つめるような 目つきをして尋ねた。

「エッ、またおかしなことを言って。ここにはコーイチなんて子はいませんよ。この子は有美ですよ。ここどころか、どこを探しても、親戚縁者の中にコーイチなんていう子はいませんよ、お じいちゃん」

 陽子は、また始まったというような顔をして、食パンを口の中でモグモグさせながら言った。

「いやいや、コーイチというのは人の名前ではない。ラジオの名前じゃ」

「アラッ、そうなんですか」

 陽子は義父である松三の話をまともに聞く気はなさそうに立ち上がって、朝食の片付けを始 めた。

「お父さん、コーイチというラジオはいつ買ったかなぁ?」

 利明は松三の顔を真剣に見ながら尋ねた。利明は同居している実父である松三の話は真剣に聞 いて受け答えをしていた。それに対して利明の妻である陽子は、

「お父さんは、認知性になりつつあるわ」

と言っていいかげんに聞き流すことが多かった。

「いや、最近買ったものではない。店じまいするときに一台だけ取っておいたものだ。昔のラジ オは品物がよかったから長持ちで、今でも十分使えるはずなのじゃが・・・」

 確かに松三は戦後、復員してきてからラジオの修理業を始めた。ちょうどラジオが普及し始めたころだったので、仕事がたくさん入り、やがて狭いながらもラジオの修理販売をする小さな店を構えていたのだった。しかし、それはかれこれ、五十年以上も前の話だ。

「お父さん、あの宇都宮ラジオ店をやっていたころの品物などは、もう、とっくにつぶれて、無くなっているよ」

 利明は父親の話が、明らかにありえない事である、ということがはっきりするまでは真剣にや りとりした。

「いや、あのころのラジオは五十年くらい経ってもまだ聞こえるはずだ」

「今の時代に、あのころ売っていたラジオがあるわけはないけれど、そのコーイチとかいうラジ オがお父さんは欲しいのかな?」

「ああ、もう一度、聞きたい」

「そうか。困ったなあ。お父さんにラジオくらい、いくらでも買ってあげるが、五十年も前のラ ジオなんて、今時、売ってるわけはないよ」

 利明は困ってしまった。

「コーイチってどんな字を書くの、おじいちゃん。今でも売ってるかどうか、インターネットで 調べてあげるから」

 有美が顔はテレビの方に向けたまま、面白くなさそうに言った。有美は利明の長女で、三年前 に結婚して同居している。同居するために親子で金を出し合って、今住んでいる三階建ての家 を買ったのだった。

 ただ、夫は長期の単身赴任の仕事で、一月に一回帰ってくればいい方だ った。

 赤ちゃんの誕生を一家で楽しみにしていたが、一向にその気配はなかった。子供ができるまで はと、有美もずっと勤めを続けている。

「おうそうか、有美ちゃんが探してくれるか。字は高いという漢字に数字の一番を書くんじゃ」

「エッ、それじゃ高校一年生のこと?」

 今度は松三の顔をしっかりと見つめて言った。

「ああそうじゃ。字は同じじゃ。高一ラジオと言うんじゃ」

「それじゃ、インターネットで調べてあげる」

 有美は食卓から立ち上がって、三階の自分たちの部屋に上がっていった。この家は中古の住宅 を買ったのだが、三世代が暮らせるように各階にトイレと炊事場を増設してから入居した。だか ら適当に空間も隔てられて、今のところ大きな喧嘩もせずに仲良く暮らしている。

 家族の中でパソコンでインターネットなどが利用できるのは、若い有美夫婦しかいない。

 しばらくしてから、プリントアウトした用紙を持って有美が降りてきた。

「本当にあったわ、お父さん。おじいちゃんは認知症なんかじゃないわ。こんな大昔の名前を覚 えているんだから。高一ラジオというのは高周波一段増幅式ラジオというのね。何のことか全く わからないけれどさ。このラジオを売っているネット商店を調べたけれど、もちろん五十年も前 の品物は売っていません。でも、オークションの方で出品されているのを見つけたわよ」

 有美がプリントを松三の前に差し出した。それには木製の古いラジオの写真が印刷されていた 。

「おお、これだ。なんと懐かしいことか」

 松三の目つきが遠くを見る目つきから、捜していたものを目の前にしているような生き生きとした目になった。

「これが欲しい。いくら金を出してもいいからこれを買ってくれないか、有美ちゃん」

「いいわよ。そんなに高くならないと思うわ。ちょうど今日、出品したところで、四千五百円の 値段をつけているわ。期間は一週間だからちょうど来週の日曜日がオークションの終了日になる から、その時に落札してあげるわ。でも、まあ、ちょっと手間がかかるなあ・・・」

「わかったわかった。有美ちゃんにはちゃんと手数料として一万円あげるよ」 「エッ、そんなに気をつかってくれなくてもいいのに。おじいちゃんはやっぱりいい人ですね」

 有美はニコニコしながら出かけて行った。

 松三は翌日から一週間の間、有美が仕事から帰ってくるのを待ち受けて、オークションに出品 されている高一ラジオがまだあるかどうかを確認してもらっていた。どうやら松三はラジオが誰か他の者に先に買い取ってしまわれるかもしれないと心配しているようだった。

 日曜日の落札日になったが、それほど高額にもならずに、八千五百円で有美が入札したのが最 高額となって落札した。これを見て松三は子供のように喜んで、品物を早く手にしたくてたまら ない様子だった。

「おじいちゃん、出品者の住所が解ったけれど、すぐ近くに住んでいる人ですよ。引き取りに行 ってもいいかどうか聞いてみようか」

「ああ、ぜひともそうしてくれ。一分でも早く欲しい」

 何度か有美が相手とメールのやりとりをして、夕方に相手の自宅に取りに行くことで話がつ いた。

 夕方になってから、利明は車に松三を乗せて、有美からもらった住所の所へ行った。車で十分 ほどだった。利明の家と同じような狭い三階建の一戸建の家だった。チャイムを鳴らすと、ドア が開いて、出てきたのは利明と同年配と思える小づくりな顔の婦人だった。

 玄関に入ると下駄箱の上にオークションで出品されていた高一ラジオがきれいに磨かれて置か れていた。

「亡くなった父が大事にしていたものだったので、これまで、押入れの奥にしまっていましたが、孫もできて部屋が手狭になってきましたので、同居している娘に売りに出してもらったんです。こんなものは売れないのではないか、と言っていたのですが、よく買っていただきました。ありがとうございます」

「ちょうど私の父もこのラジオを欲しがっていたので、よかったです」

 松三は二人の会話は耳に入らないように、ひたすら下駄箱の上のラジオに見入っていた。さらには、古ぼけた木製のダイヤルを回したり、次には裏ブタまで外して中を見てた。やがて、しきりに頭を振りながら考えているようだった。

「お父さん、そんなことは家に帰ってからやろうか」

 利明に言われて顔を上げた松三は、今度は見えにくいものを何とかはっきり見えるようにする かのように、目をしばたたかせて婦人の顔を見始めた。

 それがいかにも無遠慮だったので、利明は、

「さあ、お父さん、早くラジオを聞きたいのだろう。家に帰ろう」

と言った。ところが松三はいっこうに動こうともせず、

「ホーッ」

といって随分、何かに感心している様子である。そして天を仰ぐようなしぐさをした。

「あんた、梶原初年兵の娘さんじゃないかねぇ?」

 松三が突然、大きな声で言った。

「エーッ!」

 あまりにも唐突なことでびっくりしたのか、その婦人も次の言葉が出なかった。

 しばらく して、

「そうですけど、どうしてそれが分かるのですか」

「このラジオは、ワシが風呂を使わせてもらうお礼に、梶原初年兵にあげたものじゃ。それで 分かった・・・ホラッ、ワシじゃ。土浦でよくお風呂をもらいにいった軍曹の宇都宮じゃ」

 土浦というのは松三の故郷だった。

「マァーッ、言われてみたら確かに・・・本当に、宇都宮のおっちゃんですねぇ。ワァーッ、懐 かしい」

 その婦人もこの上なく驚いた表情で大きな声を上げた。

「あんたは双子の娘さんのうちのどちらかだなあ」

「エー、そうです。私は妹の方で、姉はまだ土浦で結婚もせずにあの家に住んでいます」

「これが、あの当時、一緒に風呂に連れて行った、あんたと同い年の息子の利明じゃ」

「エーッ!」

 二人ともあっけに取られた様子で、言葉も出なかったが、利明の顔がポットと赤らんだ。

「とにかく、狭いところですが上がってください。この家は娘夫婦のものなのですが、主人が亡くなってからは一緒に住んでいるのです。一階が私の部屋ですので遠慮せずに上がってください」

 松三も利明も風呂を使わせてもらっていたころの感覚が思い出されたようで、遠慮なく部屋の中に入った。

 話が弾み、娘夫婦と一緒に夕食まで世話になった。

「ぜひとも、一度、梶原初年兵のお墓参りに行かせてもらいたい」

と言って辞して、松三がラジオを大事そうに抱えて自宅に帰ってきたのは午後九時を過ぎていた。

 高一ラジオが来てからは、松三の生活は一変した。朝から晩までラジオを触り始めた。目をキラキラと輝かせ、顔は生き生きとなって、まるで小学生の子供が自分の好きなことをしているような様子だった。

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