15.斜陽
陽だまり亭の晩営業の前。屋敷の菜園で野菜を摘んでいたレイラはふと、夕陽を眺めた。もう半分は王都の城壁に隠れてしまっている。
レイラの影法師も長い。
マック様は、日没までに来てくださるのでしょうか。
日没が約束の期限である。
王国からやってきた吟遊詩人の歌を思い出す。
王国の暴君として名高い王、ディオニソスは、暗殺者の願いを聞いた。妹の結婚式を挙げてまた王都に戻ってくる。三日後の日没までに必ず。
三日目の日没までに男が戻らなかったら、親友のセリヌンティウスを代わりに処刑するという条件だ。
暴君ディオニソスは、暗殺者は戻ってこないと高を括っていた。
レイラはこの話の結末を知らない。
吟遊詩人が話の続きに、投げ銭を要求したからだ。
レイラはそのとき、お金を持っていなかったのだ。吟遊詩人ももちろん商売だから、銭を投げなかったら吟じてはくれない。
その男は果たして戻ってきたのでしょうか? 戻らなかったのかもしれない。
戻って来て、暴君に二人とも処刑されたのかもしれない。
セリヌンティウスは、親友が戻ってこないかもしれないと、疑ったり、不安になったりしなかったのでしょうか?
レイラは採れたての野菜を井戸で洗いながら考える。レイラの手は、井戸水と同じくらい冷え切っていた。
分かっている。皇帝が、貴族二人が街に出かけるために護衛を貸し出すなど、そんなことはありえない。自分でも分かっている。
マック様は日没までに、皇帝の許可状を持ってくることはないだろう。
だけど、心の何処かで期待してしまうのだ。
今回は、緋衣国との料理対決の調査、餃子を調べるためだ。特例扱いになるかも知れない。いや……それは、虫が良すぎるのかもしれない。
自分の手を優しい手と言ってくれたマック様。テレジアとロバート、マック様。そして私。四人で街に遊びに行けたらどんなに楽しいだろう。
身分を隠して、下町を散策する。そう考えただけでワクワクする。
マック様と一緒に歩く。そう考えただけでドキドキする。
人参の泥をひとつ、またひとつと洗う度に、太陽は傾き、レイラの影は長くなる。
もうすぐ、日が沈む。
レイラは野菜を洗い終わった。桶を逆さにして井戸蓋の上に置いた。
ふと、遠くから馬の蹄の音が聞こえる。
その音はどんどん近づいていく。大きくなっていく。
「ホーエンハイム男爵! ホーエンハイム男爵はご在宅か!」
聞き覚えのある声だ。マックの声だ。
裏庭から表玄関へと、野菜籠を抱えたままレイラは走る。
屋敷の中にいた父にも声が聞こえたのだろう。ヨエルはすでに玄関に出てマックを出迎えていた。
ヨエルが羊皮紙を広げていた。
『緋衣国との催しが終わるまでの期間、ロバート・ホーエンハイム近衛兵を、テレジア・アリスターの護衛として任命する。マック近衛兵を、レイラ・ホーエンハイムの護衛として任命する』
ちゃんと玉璽が捺してある。間違いなく本物である。ヨエル・ホーエンハイム男爵は「約束は守ろう。レイラ、その野菜は私が切っておこう」と言って、野菜籠を受け取り、屋敷の中へと消えて行く。
「レイラ、遅くなった。会議が長引き、どうしても抜け出せなかったんだ。私は、間に合っただろうか」
「えぇ。まだ、夕陽は沈んでおりませんわ」
レイラの両眼に溜まった涙が、夕陽で輝いていた。差し出されたハンカチで涙を拭いていると、レイラはマックの両腕に包まれた。
二人は長い間、そのままだった。
いつのまにか夕陽は、明日、朝陽として登るために、地平線へと沈んでいた。
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