13.”デート”とラスト・ボス

「レイラちゃん……俺……ライスじゃなくてパンを頼んだんだけど……」

「ごめんなさい。いま、ライスを盛り付けてきます」


 近衛兵マックが来た次の日。また、その次の日。そして、その次の日。


 陽だまり亭で何度も繰り返されるレイラとお客さんとのやり取りであった。


 注文を間違えたり、皿を割ってしまったりと、いつものレイラらしくなかった。


「レイラちゃん、具合が悪いのか?」

「確かに顔は紅いようだけど、気分が悪いとかじゃなくて、どことなく惚けてるって感じだよな」

「心、此処にあらずって気がするわ」

「また、時計を眺めてる……」

「何かレイラちゃんにあったのか?」

「緋衣国との料理大会に出ることになったんだってさ」と、毎日陽だまり亭に来ていた常連客が言う。


 レイラの様子を母のアンナは生暖かく見守っていた。


「家名を名乗られなかったけれど、近衛兵ということは貴族なのかしらね。今日は楽しんでいらっしゃいね」と、レイラに意味深に話すのだ。


 父のヨエルは、レイラの様子を見ても何も言わない。早朝の、ニコルへの剣の鍛錬がいつもより厳しくなったというくらいの変化だ。

 

『もうすぐ、マック様が来る時間ね』

 

 レイラは時計ばかり気にしていた。今日が、マックとの約束の日。餃子を食べに出かける日である。接客と料理に集中しなきゃと思っているが、ついついマックのことを考えてしまうのだ。


「そういえば今日、なんかレイラちゃん、ミスは多いけど、なんか髪型とか気合い入ってね?」

「あぁ。ポニーテールはこの店に通って早二年。初めて見たぜ」


 陽だまり亭に男が入って来た。


「いらっしゃいませ……! マック様」


 時間通りであった。先日とは違い、フードを被っていない。マックの黒髪が風で踊っていた。近衛兵だけが許される白金の鎧。

 近衛兵に支給される皇帝の家紋付きの鎧。兄ロバートが支給されたものと同じである。

 

「やぁ、レイラ・ホーエンハイム嬢。まずは、君の作ったハンバーグが食べたい」


 マックは空いているテーブルに座った。


「はい。少々お待ちください」


 レイラはキッチンへと行き、心を込めてハンバーグを作る。もちろん、どのお客様に出すにしても、いつもレイラは心を込めて作っているが、心を込めて作る。


 父と弟がミンチにしたホーエンハイム産の豚肉と牛肉を、丹精に混ぜてハンバーグの下地となるパテを作っていく。パテを作ることに関しては、どうやら母のアンナよりもレイラの方が上手で、美味しいパテができる。

 不思議と、レイラがパテを作ると、食べた時にハンバーグの肉汁が溢れ出すのだ。



「お待たせしました……あれ? マック様?」


 ハンバーグ定食をマックのテーブルにまで運んで来たが、席にはマックの姿はいなかった。席を移動したのかとマックの姿を探すが、陽だまり亭の店内にその姿はなかった。


 レイラは鉄板の上でジュージューという音と肉の香り漂うハンバーグ定食を持ったまま固まってしまった。


「あの……レイラちゃん……外、外」


 常連客の一人が気まずそうにレイラにそっと小声で言った。


「外?」


 慌てて店外に飛び出すと、庭で父のヨエルとマックが剣を手に持ち言い争いをしている。


「ヨエル・ホーエンハイム男爵! 何度も言っているだろう! これは勅令である」


「戯れ言を。娘が緋衣国との料理対決に出ることは確かに拝命した。だが、お前が、娘と下町にデートに行くなどというようなことは当主として許可できない」


「料理対決の題目である餃子ジャオズの調査だ。皇帝の勅令の範囲内であろう?」


「未婚の愛娘を、婚約者でもないお前と二人っきりで行動させることなどできるか」


「詭弁家め。デートなのではなく、これは料理対決に必要なことだ」


「そもそも、貴族の娘が屋台で食べ歩きなどできるか! それに、貴殿が町に行って買って、持ってくればよいではないか。皇帝陛下の勅令を、誘惑の口実にするな」


「それは断じて違う! 餃子は出来たてが美味しいのだ! だから食べに行くのが筋だ」


「ほう? 貴殿こそ、詭弁を弄するな! そもそも、皇帝陛下が妃を選ばれていることを近衛兵であるマック殿はご存じないようだ。未だ、妃決定の報がない以上、我が娘は皇帝陛下の妃候補である。その妃候補を町に連れ出そうなど、皇帝陛下直属の近衛兵としてあるまじき哉!」


「くっ! もはや、これ以上は言葉は無用ということであろうな!」


「それこそ、望む所よ。娘と下町に行きたいのであれば、父を剣でねじ伏せてみせよ! それとも、その腰の剣は飾りか?」


 マックとヨエルが、剣を構えて今にも激突しそうである。二人の間に飛び込むことは危険である。


 レイラは止めに入ることが出来ず、剣を構える父とマックを見ていることしか出来ない。


 男爵家の娘であるレイラ・ホーエンハイム。たしかに、婚約者でもない男と、町に出かけるというのは、貴族として御法度である。

 貴族がお忍びで町に出かけるならまだしも、男性と二人で……は、貴族であれば誰でも眉をひそめるであろう。

 テレジア・アリスター侯爵などは、陽だまり亭に来てお茶を飲んだりしているが、陽だまり亭の立地は”貴族街”である。また、男爵家の娘であるレイラの家に、お茶を飲みに来ている。貴族の未婚の娘として後ろ指を指されるようなことはない。


 だが、男爵家の未婚の娘であるレイラが、しかもまだ一応、”皇帝の妃候補”である妙齢の女性が、男と、平民の街区へと出かけるというのは、アウトである。


 レイラも、そのようなことは、心の片隅で、意識で、理性では分かっていた。でも……マックと町に出かけたい。


『マック様と二人で一緒に、町を歩きたい』


 隣で寄り添って歩き、町の噴水を見たり、屋台を廻って食べ歩きしたり、劇を観たり、小物を買ったりしたい。

 家族以外で初めて……自分を”氷の魔女”としてではなく、”優しい手”と言ってくれた。


「お父様! 止めてください!」


 気付けばレイラはそう叫んでいた。


 だが、その声は、「やっちまえ、会長!」というようなお客の歓声に打ち消される。


 ヨエル・ホーエンハイム男爵。レイラの父にして、実は裏の顔がある。その裏の顔とは、”レイラちゃんファンクラブ”の創設者にして、会員ナンバーゼロゼロ一番にして、ファンクラブ会長である。

 ファンクラブは、平民で構成されており、貴族の会員はヨエルだけである。

 もともと、貴族法によって、貴族であるレイラと平民は結婚できない。

 ファンクラブの目的の一つが、貴族の変な虫がレイラちゃんにつかないように未然に防ぐことである。そして、ファンクラブのラスボスとして求婚する男に立ちはだかるのが父のヨエルなのである。もっとも、”氷の魔女”のレイラに近づく貴族の男は今までいなかったので、父ヨエルの出番はなかったのだが……。


「だからお父様は、この三日間、剣の鍛錬がやたらと厳しかったのか……」とレイラの弟のニコルが納得顔で呟いた。


「いざ!」


 ヨエルとマックは、お互いの距離を詰め、剣と剣がぶつかり合った。


 剣と剣がぶつかり合う音が、陽だまり亭の庭に響く。そして、歓声が響く。


「なかなかやるではないか!」とマックがヨエルの剣技を賞賛する。

「皇帝の身辺を守る近衛兵がこの程度か!」とヨエルはマックを煽る。


「ふっ。先ほど、お前は言ったであろう。”娘は、皇帝陛下のお妃候補である”と。そのお妃候補のお父上殿を傷つけるわけにはいかないであろう? 手加減というものだ」

「その余裕がいつまで続くかな!!!」


 剣と剣が交わり、火花が散る。閃光が走る。


「ちっ! やるな!」とマックが叫ぶ。


「なんの!! これしき!」とヨエルもまた応戦する。


 両者、互角である。


 ちなみに、ここで、ヨエル・ホーエンハイムの剣の技量について説明しておこう。それには、ロバート・ホーエンハイムの剣の技量について説明した方が早いであろう。

 男爵家という低い身分でありながら、ロバートは、王城の警備兵の職を手にした。これは、正真正銘、貴族のコネではなく、実力で獲得したものである。


 そして、ロバートに剣を教えたのは誰か?


 教えたのは、父ヨエルである。


 だが、普通の貴族は、父親自ら剣を教えるようなことはしないし、できない。

 金銭に余裕のある貴族は、貴族の嗜みである剣術にお金を払う。家庭教師を雇って師事させるのである。そして、高名な剣術家に多額の金を払って、”免許皆伝状”を貰い、それによって、警備兵などの職を得ていくのである。

 

 家庭教師を雇う余裕のない貴族はそのようなことはできないし、そもそも剣は飾りでしかない貴族が多いのである。


 だが、家庭教師を付けられていないロバートであるが、剣術の腕では凄まじかった。男爵家でありながら、近衛兵にまで昇進したロバートの剣の腕前は伊達ではないのである。ロバートと互角に戦えるものなど、近衛兵の数人と、そして皇帝くらいなものである。


 そして、ロバートの剣の師匠は、父ヨエルである。 


 父ヨエルが、ロバートに毎日の鍛錬として剣術を教えたのである。そして、その鍛錬の成果によって、ロバートは警備兵としての地位を得て、そしていまや近衛兵なのである。

 現に、弟のニコルは文官志望であるが、剣術の腕前だけでも、王宮警備兵、近衛兵としてやっていける水準であるのだ。


 つまり、ヨエル・ホーエンハイムは剣術の達人であるのだ。


 一刻ほど剣と剣がぶつかり合っていた。


「なかなかやるではないか! すまぬが、奥義を使わしてもらおう」とヨエルが言った。


 ロバートですら会得していない、ホーエンハイム家秘伝の剣技である。先々代が考案し、代々受け継がれてきたホーエンハイム流の奥義である。


「初見殺し! ”桃源郷”」


 ホーエンハイム領の開拓期。先々代が森の危険な生き物を民から守る為。また、ホーエンハイム家が爵位を得たことに嫉妬した貴族が送り込んだ賊に扮した刺客から領民を守るために編み出した秘剣である。


「なっ……」


 マックが地面へと倒れた。


「マック様! ニコル! タオルを冷やして持ってきて」


 レイラは倒れたマックを介抱する。レイラはマックの頭を自分の膝の上に載せ、ニコルが持って来たタオルで顔を拭く。


「ありがとう、レイラ……しかし、見事に負けてしまった……」


「お取り込みのところ悪いが、さっさとホーエンハイム家の敷地から出ていってもらおう」とヨエルは容赦なく言い放つ。

 

「お父様! それはあんまりです!」とマックの頭を胸元でギュッと抱きしめながらレイラは抗議するが、ヨエルはそれを受けつけない。愛娘のために父親とは時として非情にならなければならないのである。


「大丈夫だ。今日のところはひとまず退散しよう……」


 マックは剣を杖にしながら立ち上がり、よろよろと歩き出す。レイラはマックの背中を寂しげに見送ることしかできない。


 そんな中、一人の近衛兵が陽だまり亭の庭へと飛び込んで来た。兄ロバートである。庭の真ん中で、ロバートは叫ぶ。


「王都での騒乱は皇帝陛下の御心でないと知れ! これ以上は近衛兵として許容できない」


 近衛兵として、ロバートはその場を治めようとしたのである。


「お兄様、どうしてこちらへ?」


 レイラの疑問は的を得ていた。近衛兵は皇帝の警護が主な任務である。騒乱者の逮捕権限などは持っているが、本来のロバートの任務は王都の治安維持ではない。


「ある方を探して、王都を巡廻していたんだ。そしたら決闘騒ぎって聞いたから急いで駆けつけたんだ」


「騒ぎを起こしたのは……父上……いや、ヨエル・ホーエンハイム男爵と……」


 ロバートが父上をヨエル・ホーエンハイム男爵と呼び直したのは、近衛兵として身内であったても取り締まらなければならないからである。公正に対処しようとするロバートはしているのである。


「それと……その鎧は近衛兵……? って、えぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」


 ロバートはマックを見て、驚いた声を出し、そして、その後は固まり、池に泳ぐ鯉のように口をパクパクさせるだけとなってしまった。


「やぁ、ロバートじゃないか」とマックが笑いかけている。


「お城を抜け出されたと思ったら! それに、どうしてこんなところにマクド——『俺はマックだ。ロバート君、君と同じ近衛兵で働いている、先輩近衛兵のマックだ』


 ロバートの言葉をマックが遮る。


「いや、いや、いや。一体全体何を仰っているのですか、こう——『俺は、マックで君の優しい先輩だ。というか、の言葉に異論を唱えるか? ロバート?』


 マックは、先ほど戦いに負けたとは思えない爽やかな笑顔で言う。しかし、ロバートの顔は真っ青だ。心臓が止まってないかとレイラが心配になるほどである。


 どうやら、三秒くらい石像のように固まったあと、ロバートの意識は再起動したらしい。


「か、畏まりました、マック様」


「敬語は不要だ。マックで良いぞ、ロバート」


「分かった……。それで、これはなんの騒ぎだったのですか?」


 レイラの提案で、双方の事情をロバートが聞くことになった。


 父ヨエル、兄ロバート、そしてマックがテーブルに座り事情を話し始める。怪我がなかったとはいえ、決闘騒ぎがあったので事情聴取をロバートがするというような形だ。

 レイラは三人が飲む紅茶の準備をしつつ、テレジアから貰った伝書鳩を巣箱から放った。


 マックと餃子を食べにいけなかったことはレイラにとっても残念なことである。とても楽しみにしていた。

 しかし、どうやら父は今後も、マックと出かけることを許したりはしないだろう。この数日間、浮かれていた自分の気持ちが、沈んでいく。

 まるで泥の沼地に足を取られたように心が動かなくなる。


 せめて、親友のテレジアの恋は成就してほしい。実は、父とマックの対決の事情を聞くというのは、ロバートを陽だまり亭に足止めする口実である。


 伝書鳩は帰省本能に従って直ぐにアリスター侯爵家へと辿り着くだろう。そして、鳩に気付いたテレジアはすぐに馬車で駆けつけてくるはずである。


 レイラはテレジアのために、ゆっくり、ゆっくりと、紅茶を淹れるのである。親友の恋の応援をするために……。

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