6.舞踏会は踊る、されどレイラは踊らず
定刻となった。舞踏会がいよいよ始まる。
歴史ある王城の舞踏会場。見上げてしまうような高い天井には、シャンデリアがいつくもぶら下げられている。
香ばしい香りの料理の数々が並べられ、食欲を誘う匂いに会場が満たされていた。会場の一角には楽士たちがそれぞれの楽器を持って待機しており、すべての準備は整っていた。
思い思いの場所に散らばっていく貴族令嬢、五十名。
食事をさらに盛り付ける宮廷料理人が二十人。
トレーの上にグラスを所狭しと並べて待機しているウェイターも二十名。
ダンスを踊る役の男性陣も四十名が会場には待機していた。
兄であるロバートの姿を見つけ、レイラは心強いと思う。
『それにしても、この会場だけで、王都のホーエンハイム家の屋敷の敷地、二十個分以上ねね』
楽団を含めれば二百人に迫る人がいるという舞踏会場であるが、なおも会場の真ん中には三十組が広々とダンスを踊れるほどのスペースがある。
最後に皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアが登場し、貴族令嬢たちが色めき合う。
皇帝の短い挨拶の後、楽団の演奏が始まる。楽団が最初に演奏をするのは、来場客に今宵のダンスで使われる曲を知らせるためである。
どの曲も、テンポを少し落としたワルツであった。とても踊りやすい曲が選曲されているようだ。
その曲を聴いて、レイラは少しほっとする。
舞踏会慣れした令嬢達なら、もっとテンポが速い難しい曲でも難なく踊れ、少し物足りないかもしれない。
だが、ダンス慣れしていない令嬢などには、踊りやすい曲はとてもありがたい。皇帝の足を踏んずけたらということを想像するだけで顔面蒼白となってしまう。
それに、どの曲も、短くアレンジをされているようだ。原曲では、五分程度のダンス曲であるが、それが一分と少しというような長さとなっている。考えてみれば、皇帝が五十人と踊るのである。曲を短くしなければ、舞踏会がいつまで経っても終わらなくなってしまう。
楽団たちによる、今宵のダンス曲のお披露目が終わると、多くの令嬢達は、我先に皇帝と踊ろうと群がっていた。
レイラは壁の花となるべく、人がすくないところを探す。どうやら、他の令嬢たちは、皇帝陛下以外とも、積極的に踊るようにしているようだ。
たしかに、その方が舞踏会で目立つことができるだろう。
舞踏会は踊り、進みゆく。
レイラは、優雅に、そして音楽に乗りながら踊っている姿を眺める。一人、また一人と皇帝とのダンスを終えていく。
壁の花となったレイラにダンスを申し込む男がいた。
「レイラ、一曲、お相手願えるかな?」
兄のロバートであった。
「お兄様……」
「皇帝陛下といきなり踊るよりは、先に一曲くらい踊っておいた方が緊張しないだろう?」
「私はこのままここでやり過ごすつもりでしたのに」
「せっかくの舞踏会だし、一曲くらいは踊ろうよ。それに、端っこに黙って突っ立ているくらいなら、料理を食べた方がいい。宮廷料理人たちが腕によりをかけて作ったものだよ。陽だまり亭での新メニューの参考になるかもしれない。それに、みんな皇帝陛下に夢中で、あまり料理を食べる人も少なくて、作った料理人たちが気の毒でね。連日連夜徹夜なのに……」
「お兄様……狡いですわ」
ともに貧しいホーエンハイム男爵家で育った者同士である。レイラも、料理が無駄になる、と言われると、食材などがもったいなくて食べた方がよい気持ちになってくる。
そして、内心では、美味しそうな香り漂う料理の数々にレイラは心惹かれていたことも確かである。
「レイラ・ホーエンハイム嬢、私と踊っていただけますか?」
「よろこんで」とレイラはドレスのグローブを脱ぎ、それを胸元にしまう。男女ともに、グローブをつけてダンスを踊ることは貴族のルーツとしては御法度である。しかし、自分が”氷の魔女”であることを知っている兄ならば踊ることに問題はないとレイラは思う。
ロバートに手を引かれて、会場の真ん中へとゆっくりと進んで行く。
兄の言う通りだった。楽士たちが新たな曲を弾き始めると、緊張で心臓が高鳴る。上手に最初のステップを踏み出せるだろうかと心配になる。ダンスは、音楽の波に乗るまでが難しいのだ。
「大丈夫」とロバートはレイラの腰にしっかりと手を回し、肩を抱く。
音楽が始まり、それに合わせてレイラの肩をロバートが揺らす。二人の身体のリズムを合わせ、それを音楽に合わせるのが、リード役としての男性の役割である。
レイラは無事に、音楽の波に乗ることができた。あとは、身体がステップを覚えていて勝手に動いてくれる。
レイラより頭二つ分高い兄を見上げて、「お兄様、リードがお上手になられましたか?」と尋ねる気持ちの余裕も生まれた。
「まぁね。連日連夜、ダンスの達人たちと踊っているからね」とロバートは苦笑いをする。
リードが上手になった。裏を返せば、昔はロバートのリードは下手だったということである。兄は、皇帝身辺警備兼ダンス役として、毎日この舞踏会に参加しているのである。父の後を継いで男爵となるロバートでも、侯爵や伯爵令嬢とダンスを踊るというようなことはこの先、二度とないかもしれないのだ。
退屈な相手と踊るダンスは一分でも長いが、楽しい相手と踊るダンスは一分ではあまりに短い。
音楽がフィナーレを迎えて、レイラは兄ロバートとのダンスを終えた。
兄とのダンスで少し緊張の解けたレイラは、料理を小皿に盛り付けてもらい、会場の隅っこで食べる。緊張が解けてお腹が空いてしまった。
マリネも上品な味で纏められている。さすが、王城の料理人たちである。
付け合わせのピクルスは、母の自家製と互角の味である。ビネガーの加減が丁度良い。
ローストビーフも使っている肉の質が良い。どこの領地で育てられた牛であろうか。
陽だまり亭で働く者として味の分析に夢中になるレイラであった。
舞踏会は盛況である。いや、今宵も盛況である、と言うほうが正しいのであろう。
貴族の令嬢たちからすれば、皇帝に見初めらさえすれば、この大陸でもっとも強い軍隊を持ち、大陸でもっとも財を持ち、帝国でもっとも広い領土を持ち、臣民から崇められ、そしてやがては国母としての栄光を一身に集める存在になれるのだ。気合いが入らないレイラのような存在が希有であるのだ。
『もうすぐ舞踏会は終わりそうね。なんとかやり過ごせたわ』
レイラは皇帝と踊っていない。壁の花としてうまく存在感を消せた自信はある。さすがのマクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝といえど、四十九人と踊ったのか、五十人すべての女性と踊ったのか、いちいち記憶していないだろう……。
レイラはそう高を括っていた。
が……それは、レイラのほうが甘かった。
大陸一の領土と人口と経済力を誇る大帝国を、それも老獪な家臣や魑魅魍魎が住まう帝国をまとめ上げる存在。それが皇帝であるのである。
ふと、レイラは自分に視線が集まっていることに気付く。他の貴族令嬢たちが、料理人達が、ウェイター達が、そしてサクラ役の男性までもがレイラを見つめている。
舞踏会の会場の視線全てをレイラは一身に受けていた。
そして、男が一人、ゆっくりと近づいて来る。正装に身を包み、このダンス会場にて唯一帯剣を許される存在……そして、燃えるような赤い髪の持ち主。
ユニレグニカ帝国皇帝マクドナルド・ジョージ・ジュニアその人であった。
「レイラ・ホーエンハイム嬢、ご機嫌麗しゅう」
完璧な仕草で挨拶をする皇帝の姿があった。
『いま、私の名前を呼んだ! って、憶えているの? でも、そういえば、応接間でも私の名前を呼んでいた……まさか、全員の名前を暗記して、しかも誰と踊ったかも憶えている!? しかも、吹けば吹き飛ぶ貧乏男爵家の私のことまで!?』
「ご、ごきげん麗しゅう……」とレイラも挨拶を返す。驚きのあまり、腰を抜かさなかっただけ自分を誉めたい気分である。
「私と踊っていただけますか?」
皇帝はすでに他の四十九人の令嬢と踊り終わっていた。レイラが今晩の舞踏会の最後である。
『こ、断れるわけないじゃない!』
「よ、よろこんで」
レイラは覚悟を決めて、ドレス・グローブを外して胸元にしまうのである。
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