校門圧死事件

大和田光也

第1話

(当小説はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません)


 痩せて背の高い教頭の内田が憎々し気に頬をひきつらせて職員室に戻ってきた。そして力石のそばの椅子にドスンと座った。

「また、やられている。先日、三十万かけて修繕したところだというのに。どうも、異常な性格の生徒がいるねぇ。力石君、どうしたものだろう」

 頑丈な身体つきをした力石は無念そうに腕組みをして立ち上がった。

「とにかく、現場を見てきます」

 職員室前の廊下の突き当たりに職員用のトイレがある。力石は初めに男性用の便器を調べた。和式の大便用の底がこなごなに割られて抜けている。三器あったが、全部同じようになっている。次に女性の方を見るとまったく同様になっている。

「畜生、これでは使い物にならない。水を流せば階下に漏れる。誰がいったいこんな事をしたのだ、一度ならず二度までも。必ず捕まえて弁償させてやる」

 彼はトイレのドアを力任せに蹴り上げた。

「犯人の予想はほぼついている。二年生のD組の哲弘の連中に違いない。あいつ等以外にこんな卑劣なことをする奴は本校の生徒にはいないはずだ」

 吐き捨てるように力石は壁に向かって怒鳴った。

 翌日から彼は毎日、昼休みになる直前に、哲弘の居るクラスにいちばん近いトイレに行き、大便用の中に隠れた。そして昼休みが終わって生徒が利用しなくなってから気付かれないように出た。生徒がもっとも無防備に会話をするのはトイレであることを彼は知っていた。本音の情報を収集するのに最も適した場所だった。

 三日目だった。午前中の授業の終わりのチャイムが鳴ると、ドヤドヤと何人かのグループが入って来た。それぞれが勝手にしゃべっている中に、間違いなく哲弘の声が交じっていた。

「オイッ、また、やってやったぞ。あんなもの、何回でもつぶしてやる。センコーの奴、この二、三日オロオロしている。センコーを困らせるのにはなかなかいい方法だろう。それにしてもアホなセンコーばかりだ」

 哲弘独特の人を小馬鹿にしたようなものの言い方である。

「それはいい。くだらない、服装と頭髪検査ばかりやっているセンコーにいい教師などいない。この学校の教師はアホばかりだ」

 相づちを打つ通明の軽薄な調子の声も聞こえる。二人共、同じクラスで力石も授業を担当していた。哲弘が、何かと問題を起こすグループの中心者で、中年太りのような体形をしていた。道昭は小柄でやせていたが、いつも哲弘にくっついている調子のりだった。

 力石はドアを激しく開けて飛び出した。

「コラッ、哲弘!やはりお前がやったのだな。許さんぞ」

 血相を変えた力石の顔を見て、居合わせた数人が驚いて逃げようとした。ところが哲弘はそれを制した。それから、両手をポケットに突っ込み、反り身になって、敵意の目で力石を睨んでいる。

「逃げることはない。俺たちは何もしていない」

「何をとぼけている。今、職員の便所を潰したと言っただろう。今日こそは、はっきりと聞いたぞ」

 一瞬たじろいだ様子を哲弘は見せたが、すぐに不服そうに眉根に皴を寄せて、口を尖らせた。

「いったい、このおっさん、俺たちに何の言い掛かりをつけているのだ。訳の分からないことを叫んでいる。なあ、みんな」

 哲弘が大げさに周囲の者の顔を見回すと、誰もが同調する。

「やかましい。ごちゃごちゃ、言わずに生徒指導の部屋に来い」

 力石が制服の上から哲弘の肩を鷲掴みにして出口の方へ引きずるようにすると、哲弘はよろけて倒れかけた。それを倒れさせまいと引き上げた時、制服の縫い目が大きくほころびた。

「アッ、服が破れた。おやじに言いつけて弁償させてやる。お前が引っ張るから破れたのだぞ」

 哲弘の抗議には耳を貸さずに力石は引きずるようにして歩いた。生徒指導室に入ってからも哲弘はふんぞり返っている。

「正直に言ったらどうだ、いや、お前はすでに自分で潰したと言ったのだから、それを素直に認めろ」

 念を押すように力石が言うが、哲弘はますます横柄な素振りを見せる。

「さっきから何を言っているのだ。俺は便器なんか潰してない。だいいち、俺は今初めてそのことを知ったのに」

「ふざけるな。お前は、何回でも潰してやる、とはっきりと言ったではないか」

「アホか」

「この野郎、先生に向かってアホとは何ごとだ」

 力石はガツンと哲弘の頭を殴った。哲弘は少しも動揺を見せない。

「アホだからアホと言って、どこが悪い。あれは、黒板消しクリーナーの中に水につけたトイレットペーパーを詰め込んで潰した話だ」

「口から出まかせな嘘をつくな。それじゃ、どこのクリーナーだ。そこに案内してみろ」

 哲弘は少々気怠そうに、それでも反抗的な様子を作って立ち上がった。それからゆっくりと歩き始めた。力石は少し離れて後ろから付いて行った。廊下を進んで行くうちに、午後の授業は始まっているのに、哲弘といっしょにトイレに居た連中が彼の周囲に集まって来た。授業も受けずに生徒指導室の外で待っていたのだ。そして何かボソボソと話をしていた。力石が注意をしょうと思って手を振り上げかけた時、哲弘がニヤリと唇を歪ませた。

「このクリーナーだ、俺が言っているのは」

 指差したクリーナーのそばに寄って力石は蓋を開けてみた。何もない。

「このクリーナーの掃除は俺がやったぜ。誰か便所紙を詰めていた。臭かったぞ。使用済みとちがうか」

 通明がひょうきんに言った。力石は顔をこわばらせた。

「お前ら今、打合せをしたな。コラッ、通明、ほんとうの事を言え。そうしないと承知しないぞ」

「なんというセンコーだ。掃除した者を怒るのか」

 必要以上な大声で通明が言う。力石は次の言葉が出なくなった。他の連中を追い払って、二人が再び生徒指導室に戻ってからは、哲弘は薄笑いを浮かべるほど自信に満ちた態度になり、逆に力石は苦々しく口を曲げている。

「どちらにしろ、六時間目の授業に出す訳にはいかない。反省文をこれから書け」

「どちらにしろ、とはどういう意味だ。俺が便器とは関係ないのは、はっきりしたじゃないか。証人は何人でもいる。いっしょに居た誰にでも聞いてみろ」

「うるさい。黙ってクリーナーの反省文を書け」

 勝者の寛容で哲弘は素直に鉛筆を取った。

 一日の授業の終りのチャイムが鳴った。学校の建物全体が急に蘇(よみがえ)ったようにざわついた。

「無実の者に疑いを掛けておいて、謝りもしない。このままでは

絶対に済まさないぞ。おやじに言いつけてやる」

 生徒指導室を出る時、哲弘が中年のような物言いで、うそぶいた。力石は無念の思いに頬をピクピクとさせていた。

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