第4章 「再起の産声」1




 俺は夢をみていた。

 いつもはそんなことはないのだけど、それが自分でも、『夢』だと自覚出来た。

 だって、あの子が笑っていたから、そして、それを見て俺も笑っていたから。

 いや、これは夢と言うよりもただの記憶だ。幸せだった頃の思い出。そして、思い出がゆえに、その結末も変えようがない。だから、あの日、あの時――悪夢へと変わる前にこの場所から抜け出そう。



 ゆっくりとまぶたを開けると、目の前には微笑む天使の笑顔があった。

「目が覚めましたか?」

 机に突っ伏して寝ていた俺を、陽子が両手で頬杖をついて見ていた。見渡すと、教室に俺と陽子の選択教科組だけだった。そう言えば、あの決死の告白の後、あまりにも疲れ果てて、朝の会議中に寝落ちしたんだっけ。

「うん。って、また寝顔を見られちゃったな。恥ずかしいよ」

「いえいえ。すごく穏やかな顔をしていましたよ」

 そう言って、屈託なく笑う。

「そうか……」

 小さくため息を吐き出すと、陽子は首をかしげてみせる。

「夢をみていたんだ。幸せだった頃の夢をね」

 自嘲気味に笑い、姿勢を正してそう口にすると、

「どんな夢、だったんですか?」

 陽子も居住まいを正し、「差し支えなければ」と付け加える。

「ああ」と、俺は一拍おいて答える。

「アイドルになるきっかけをくれた少女の夢、かな?」

 そして、俺はさっき見た夢について語り始めた。

「その少女は、幼馴染で、物心ついた時からずっと一緒にいて、いつも俺の後ろにくっついているような、あまり目立つような子じゃなかったんだ。

 だけど、このままずっと一緒にいわれるわけじゃない。俺が中学に進学するのを機に、二人が離れ離れになるのを意識した時、その子がとても不安そうな顔をしたんだ。

 だから、その子に俺がいなくても――一人になっても大丈夫。そう伝えるために、俺はアイドルのオーディションを受けるって大見得切って見せたんだ。なぜそれがアイドルだったかなんて思い出せないんだけど、とにかく無謀なことに挑戦することで、大丈夫だと証明したかったのかな? あまりに子供過ぎて、憧れ=アイドルだったのかもしれない。当時はグループアイドル全盛の頃だったしね。

 それから、俺はオーディションのために課題曲を練習しまくった。でもさ、それが本当に難しくてさ、まともに踊れないし、うまく歌えた気もしない。アイドルを目指す奴らがこんなのを普通にこなしているかと思うと、オーディションなんて受けずにすっぽかしてしまおうと思っていたんだ。別にアイドルになりたかったわけでもないしさ。

 そして、オーディションで上京する日の前日。すっかり俺の心は折れていた。だから、これで最後、けじめのつもりで課題曲をその子の前で披露したんだ。そしたら、その子は、すごいすごいって、大げさに、自分のことのように喜んでくれたんだ。まだ受かってもないのに、ライブも絶対行く。私がファン第一号だって、ずっと応援してるって。いつか私もアイドルになって、同じ舞台に立つんだって、今まで見たことない笑顔で言ったんだ。『崇矢君ならきっとトップアイドルになれるよ』って」

 俺は奥歯をギリギリと噛みしめる。

「そんなこと言われたら、もう頑張るしかないじゃないか……。もう一度、その笑顔を見たいって思っちゃうじゃないか……。

 そう、その子に言われるだけで、自分が本当にやれるんじゃないかって信じられたんだ。さっきまで絶対やめようって決めてたはずなのに、ホント、馬鹿だよな……。

 それがアイドルとしての喜びを知った瞬間だった。ただ、その子を喜ばせたくて、俺はアイドル界の頂点を目指したんだ。

 だけど、それが悪かった。他の誰よりも上手くなりたい、目立ちたい。トップを目指す過程で、目的が手段に変わってしまっていた。そして、いつの間にか俺は何のために頑張っていたのかを忘れてしまっていた。

 悲しいけど人は忘れる生き物なんだ。好きだったモノ、約束、誓いを、ゆっくりと時間をかけて確実に忘れていく。でも、それは当たり前のことだ。だけど、絶対に忘れちゃいけないものもきっとあったんだ。

 三年という短い期間だったけど、SKBとして走り続ける毎日の中、その子に会えないことで俺は大切な何かを失っていた。自分が何のためにここにいるのかを見失っていたんだ」

 膝の上に乗せた拳が震える。

「本当はとても寂しかった。多分、あの日、本当に不安な顔をしていたのは俺の方なんだ。だから、アイドルのオーディションを受けるなんて強がりを言って見せた。自ら大切なものから離れる決断をしてしまった。

 俺は、その子とずっといたかった。会いたくて仕方なかった。

 それが、俺の本当の願いだった。

 でも、もうそれは叶わない。俺が約束を破ってしまったから。夢を捨ててしまったから。同時に、その子の夢まで壊してしまったのだから……」

 それで俺の話は終わりだと告げる。叶わない夢の話だと笑って誤魔化す。

「それじゃあ、それから、その子には会えていないんですか?」

「会えたよ……。でも、会えたけど、会えなかった……」

 俺は両の手のひらを見つめ、

「その子は笑わなくなっていたんだ。SKBを辞めて実家に戻った日、バス停でバッタリ会ったんだけど、俺は何も言えなかった。その子も何も言ってはくれなかった。ただ無表情でたたずんでいた。彼女をそうしてしまったのは自分のせいだと思った。だから俺はそこから逃げ出したんだ」

 指を交差させ、固く握りしめる。

「怖かったんだ。夢を捨ててしまったことが、自分の夢を見誤ったことが……。でも、君が言ってくれたから、負けることは恥ずかしいことじゃない。困難から目を逸らし、立ち向かわずに逃げ出すことの方がずっと恥ずかしいことだって。だから俺は、もう出来ない理由を探すのは、辞めたよ。俺は自分だけじゃなくて、その子の夢も奪おうとしていたんだ。だから、もう迷わない。俺が前を向かなきゃ、その子も前に進めないんだ」

「木村さん……」

「俺はあの日間違いを犯した。SKBを辞めても、俺はアイドルであり続けるべきだったんだ……。ただ一人の夢みる少女のために……。だから、もう一度、目指してみるよ。あの子を笑顔に出来るアイドルってやつを……。いや、その子だけじゃない。俺を応援してくれた人たちを一人でも多く笑顔にしたい。それが、昨日答えられなかった宿題の答え。俺が目指すべきものなんだ」

 それを聞いて、陽子はA4のレポート用紙いっぱいに赤いサインペンで花丸を書いてみせる。

「いい解答です。花丸満点。素敵な『夢』ですね」

「ゆめ……」

 差し出された花丸を受け取り、抱きしめる。

「ああ……。もう二度と離さない……」

 そして、絶対に叶えてみせるよ。



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