第5章 「アイドルはやめらんない」4
次の日の朝、アイドル部一同は駅で待ち合わせをし、大会会場へ向かった。
あゆむに昨日の件を問いただそうとしたが、うまくかわされているような、暗に避けられているような感じだった。かと思えば、今までとは別の意味でぎこちない俺と涙歌を見て、嬉しそうに茶化してみせた。会場まで終始いつも以上に元気で緊張気味のメンバーを盛り上げようともしていたので、あゆむときちんと話をするのは大会の後にしようと心に決めた。
会場について気付いたのだが、地方とは言え、それなりに大きなイベントなようだ。名のあるプロダクションが協賛で開催しており、当然のように瀧口が所属しているプロダクションもそこに名を連ねていた。あまり良い印象は抱けないが、今回は別に勝者になる必要はない。みんなの力がどれだけ通用するのか? 自分たちの実力を知るきっかけになればいいと考えていた。
無事エントリーも済ませ、アイドル部と別れた俺は、一人、みんなが用意してくれた衣装に着替えた。かなり恥ずかしかったが、応援席にはもっと派手な応援衣装に身を包んだ奴らがひしめき合っていた。デビュー前のアイドルが出場しているはずだが、もうすでにファンの人たちが駆けつけていた。
やがて、会場全体の照明が落ちたかと思ったら、スポットライトを浴びながら、妙に司会者なれした芸人ぽいコンビが登壇し大会のスタートを告げた。
どこのグループもかなりパフォーマンスを仕上げてあるように見受けられる。二週間前のアイドル部なら多分笑いものにされただろう。瀧口はそれを見越して参加をさせたのだろう。でも、今の彼女たちなら、どのアイドルにも見劣りしない。いや、それどころか、グループとしては小さくまとまっていない、尖ったものをもっている分、一番目立つかもしれない。
それにしても、久しぶりの空気感だ。ライブならではの臨場感。スピーカーが震えるほどの振動。ドンドンドンというベース音が胸に響く。
会場は大いに盛り上がっていた。
ステージの上のアイドルたちは、決して上手だとは言えないまでも、一生懸命歌い踊っている。飛び散る汗が輝いて見える。観客席にいるファンたちの応援にも熱が入る。
一曲終えるごとににぎわう観衆。俺はその喧騒に包まれながら、どこか胸にぽっかりと空いた穴の存在に気が付いていた。
ただ観客席からステージを見上ることしか出来ない自分。そこは紛れもなくかつて憧れた場所だった。だけど、もうそこに立つことは出来ない。自分からその場所を手離したはずなのに、今はそれを少し寂しく思う。
アイドルとファンでどちらに優劣があるとは思わない。好きな者のために声援を送るファン。その期待に応えるアイドル。その二つの存在があってこそ、会場を熱くする。
でも、今の俺はそのどちらでもないような気がする。
気が付くと俺は席を立ち、観客席を離れていた。ゆっくりとこうべを垂れ、輝いているステージから目を逸らし、視線が地へと落ちていく。
と、不意に目の前が真っ暗になる。
「だ~れだ?」
「あゆむ……だろ?」
俺は無理な態勢で俺のまぶたを覆っているであろう少女に答えた。
「正解です。声で分かっちゃいました? もしかして、愛の――」
言いかけて、へへへ~と誤魔化して笑う。いつも茶化してしまうのに、今日はそんな気分にはなれなかった。
「匂いで分かったよ」
ええ! と驚いたような声を出し、「そんなに匂いますか?」とあゆむは、胸元や脇を嗅いだ。
「そうじゃないよ。いい匂いだ。頑張る人の汗の匂いだ」
あゆむはいつも不用意にくっついてくるので、憶えてしまった。努力の証と言ってもいい。
「って、そんなことより、ずっとうつむいているつもりですか? もっと胸を張ってください。初めての教え子たちの晴れ舞台です。きちんと目に焼き付けてくださいね」
「だけど俺は、自分自身であそこから逃げ出してしまったんだ。そんな俺に、ここにいる資格なんてないのさ……」
「夢に資格がいりますか? 木村さんが、もう一度手を伸ばせば、きっと夢は応えてくれます。だから、ここにいてもいいんです」
俺はここにいいのだろうか?
「そう言えばお前の方こそ、何でここにいる? もうすぐステージじゃないのか?」
「ええ……。でも、どうしても木村さんに返さないといけないものがあったから……。託されたバトンをお返しします」
そう言うと、あゆむは俺の手に何かを握りこませた。
「二人の仲が上手くいって良かったです。アタシの夢は叶えられました。だから、今度は木村さん自身が夢を叶える番です。みんな言っていましたよ。木村さんに助けられた。力を貰ったって。みんなを夢の舞台へと押し上げてくれたのは木村さんなんです。木村さんがみんなに渡したバトンは、最後には自分の元へ帰って来るものですよ」
「一体何を言っているんだ? 分かるように説明してくれないか?」
「木村崇矢さん……。あなたは、あのステージに立つべき人だと言っているんです」
「いきなり何を言い出すんだ? 冗談はよせよ。そんなこと出来るわけないじゃないか」
「そう言うと思って、昨日、これを買ってきたんです」
あゆむにうながされ、握りこんだ拳を開くと、そこには安産守りがあった。
「『案ずるより産むがやすし』ってね。木村さんなら出来ます! それに、みんなも了承してくれました」
「そんな馬鹿なこと……。だって、練習だってしていないんだ……。みんなの晴れの舞台を台無しにしてしまう」
「練習ならしたはずですよ。木村さんは、アタシの動きを完璧にマスターしていました」
俺はハッとした。
「お前、もしかして最初からそのために練習に付き合わせたのか……。どうして、そんなことを……。涙歌の隣にふさわしいアイドルになるのが夢じゃなかったのかよ?」
あゆむは首を左右に振り、
「アタシ、分かっちゃったんです。涙歌先輩の隣にふさわしい人が……」
穏やかな笑みを浮かべる。
「それに、最初からなんて、人聞きが悪いですね。そうじゃありませんよ。もしも、今日、木村さんと涙歌先輩が昨日のままの関係なら、アタシが全力で涙歌先輩を振り向かせてみせると決めていたでしょうね。でも、結果はそうじゃなかった。二人は立派にやり遂げてみせた……。いえ……。やっぱり最初からそう決めていたのかもしれません。アタシが好きになった二人ですから……」
「だから――」と言いかけて、あゆむは声を詰まらせる。
「だからお二人には幸せになって欲しかった」
震えた声が耳に痛い。
「一人を犠牲にして二人が笑顔になれるならそうすべきなんです。簡単な計算です。アタシ、頭よくないですけど、それくらい分かります」
「なんでそんなこと言うんだよ……。誰にだって、幸せになる権利がある。義務がある。俺はあゆむに沢山のものを貰った。だから、俺がお前を幸せにする。今する! だから、望みを言ってくれ」
かぶりを振り、「アタシは幸せですよ。大切な二人を幸せに出来たんですから」と呟き、「だけど」と続ける。
「本当に人を好きになるって、こんなにも苦しいものだったんですね」
こぼれ落ちる涙。
「アイドルに恋愛はご法度なんです。だから、アタシはアイドル失格……です」
違う。あゆむは一生懸命、みんなを笑顔にしようと頑張ってくれた。あゆむは、誰よりもアイドルだった。アイドルが、人を好きになることが禁止されているなら、そんなのはクソくらえだ。
「そんなこと、あるわけないじゃないか。俺にとって、あゆむは最高のアイドルだよ。だから、これからもそのままでいてくれよ。好きなものを好きだと言える、今のあゆむが俺は好きだ」
言ってから気付く。俺はなんと残酷なことを口にしているんだろうか……。だけど、あゆむは涙を拭うと笑ってみせた。
「ありがとうございます。凄くうれしいです……。だったら、信じさせてくれませんか。アタシの決断が間違えていなかったこと。木村さんが、みんなと一緒にあのステージで輝けるんだってことを……」
そんなこと言われたら、俺は証明するしかないじゃないか……。あゆむが信じたものが正しかったということを……。そして、受け取ったバトンをもう一度あゆむに返すために。
「もう時間がありませんよ。さあ、早く行ってください。みんなが待っています!」
俺はステージへと向かって一歩踏み出した。だが、そこで動きを止める。
「あゆむ……。俺、やっぱり……」
うつむき、目を閉じる。
と、背中に柔らかなぬくもりを感じた。
「だ~れだ? なんてね」
さっきとは違いまぶたは覆われていない。その代わりに、腰回りをギュッと握りしめられる。
「あなたは、自分が誰であるかを知っているはずです。生まれ変わった木村さんを見せてください。案ずるよりも産むがやすし、ですよ」
背中が小刻みに震えているのに気付き、胸がひどく締め付けられる。
「ああ……。そうだな……。だから、その瞬間を見逃したら許さないからな。瞬き禁止だぞ」
それがあゆむの願いなら俺はどんなことだって叶えてやるさ。虚勢だって張ってやる。
そうさ、俺は木村崇矢――アイドルなんだ!
俺はうつむいていた顔を上げた。
「これから先は、振り返ることなんて許されませんよ。前だけを向いて歩んでください。だって、これがアタシが望んだ――見たかった夢の続き、なんですから」
そっと背中を押される。
俺は奥歯を噛みしめ夢の舞台へと走り出した。
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