第3章 「あの日、あの時、あの少年」8
――ずっと応援してるからね。
今も耳に残る言葉。
心臓が大きく跳ねる。こみ上げる甘酸っぱい想い。鬱そうとしていた胸に爽やかな風が通り抜けるのを感じる。
あの子は、いつも笑っていた。そして、俺もそれを見て笑っていた。こんな時間がずっと続いて欲しいと思った。何よりもあの子に、もっと笑っていて欲しかった。
そう、あの時の少年は、目的を、希望を、生きがいを――夢をもって生きていた。
そして、俺は約束した。立派なアイドルになると。
「どうして忘れていたんだろう……」
俺は数百、数千、沢山の想いを胸に抱きしめた。知らなかった。こんなにも、俺を支えてくれている人間がいることを。自分がこんなにも素晴らしい道を歩んでいたのだと思い知らされた。
なのに、それを知らずに自分に絶望し、日々をただ意思なく、無気力に過ごしてきた。
こんなに沢山の人が自分を応援してくれているなんて、本当に、知らなかったんだ……。だから、許して欲しいなんて……。もう誰にも言うことは出来ない……。
久しぶりに会ったあの子は、笑わなくなっていた。結局、俺の歌もダンスも、誰の心にも届くことはなかった。
奥歯を噛みしめる。握りしめられた拳。手のひらに爪が食い込む。
テレビの中、小さくまばらだった拍手が、重なり合いやがて大きな喝采になり、響く。少年たちは、アンコール最後の曲を終え、観客たちに笑顔で手を振って舞台を去っていく。エンドロールの後、ブラックアウトした液晶の向こう側、夢をなくした、ただの男が悲しげな目をしてこちらを見ていた。俺は、それが耐えられなくて、目をつぶった。
静寂の中に広がるのは、ただの闇だけ。それが、これからの自分が歩む道のようで、閉じたまぶたの端が熱くなる。
――夢を叶えよう!
『うつむかないで。さあ、顔を上げて!』
思わず顔を上げる。
無垢で、あどけない笑顔を浮かべて少年が、俺だけを見つめている。
半開きのパッケージには、『限定DVD(木村崇矢バージョンメッセージ付き)』とプリントされてあった。
このDVDは特典映像が収録されていて、メンバー全員のバージョンがあり、DVDの本編は一緒で、最後にメンバー一人のメッセージが収録されているというものだ。当時、誰のバージョンが一番多く売れたかというランキングで順位付けされ、その時も俺は瀧口にはかなわなかった。
画面の中の少年は、台本通りの、誰に向けたでもなメッセージを読み上げていた。
『夢はいつか叶うから。諦めないで。君ならきっと出来るよ!』
ありふれた台詞。誰にでも通用する無難な言葉。誰のバージョンでも、基本の台本は同じだ。
『僕はいつでもここで君を応援しているよ。だから、夢を叶えよう!』
だけど、それが他の誰でもない、自分自身の胸に突き刺さる。
時と場所を越えて、この少年は、ここからずっとエールを送っていたんだ……。陽子が言うように、過去の自分が背中を押していた。
アイドルは何も傷つけていない。あの子を傷つけたのは、他の誰でもない――俺――だったのか。
目の前の、もう返事を書くことの出来ない手紙の束にまぎれて、沸々と沸き上がる想い。
本当に、もう、俺の歌もダンスも、誰の心にも届かないのか……?
俺はまだ、約束を果たせていない。あの子の想いに応えていない。
ここにある全ての人の願いを叶えることが出来ないとしても、せめて手の届く人たちのために何かやれることがあるんじゃないのか?
まだ、あの子たちが、俺を必要としていてくれるのなら……。
俺を応援してくれるのなら……。
俺はまだアイドルでいてもいいのだろうか……。
『僕の夢はまだ叶っていません。だから、これからも頑張り続けていきます。だから、いっぱいいっぱい応援してください。そして、君も、一緒に夢を叶えよう!』
そうだ。俺は、まだ夢のただ中にいる。いまだ、夢の途中。そして、今こそそれを叶える時。
でも、自分に何が出来るんだろうか? どこまで出来るんだろうか? 沢山の不安が頭の中によぎる。だけど、今は考える時間すら惜しかった。
俺はとるものも取り合えず、夜の闇へと駆け出した。
*
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