そうだ、スーパーカブに乗って出かけよう!

だるっぱ

すばらしき日々

第1話 チェーンが外れた

 最近、僕が通勤に使っているスーパーカブが、走るたびにカシャンカシャンとうるさい音をまき散らすようになった。伸びてしまったチェーンが回転する度に周りにぶつかっている音だ。チェーンの緩みはチェーンアジャスターを調整することで張り具合を調整することができる。走っている時には家に帰ったら調整しようと思っているのだが、自宅にバイクを停めた時点で完全にそのことを忘れている僕がいたりする。昔から忘れっぽい事は自覚しているけれど、最近は「年かな?」と思ってみたり。


 毎朝、四時を回ると職場である大阪府中央卸売市場に向かうために黄色と白でカラーリングされたこのスーパーカブに乗って家を飛び出す。まだ空は暗くて朝というよりも夜だ。皆が寝静まった街で動いているものといえば配送のトラックと新聞配達のバイクくらいなもので交通量は少ない。たかだか五十ccの僕のスーパーカブは住宅地を抜けて大通りに出るとアクセルを全開に開けて職場までの道のりを走る。


 大きな交差点の信号機が僕の通過に合わせるようにして青に変わる。とても気分が良い。スピードを緩めることなく中央環状線の下を走る最初の連続するカーブに僕は差し掛かった。極端にインに寄っていた僕のスーパーカブは、カーブの手前で少しアウトにハンドルを向けたかと思うと直ぐさまインに切り返してスピードを緩めることなく曲がっていく。スーパーカブに特徴的な大きく広がった白いレッグガードは車体が傾きすぎたためにガリガリと音を立てて削れていく。曲がった先に次のカーブが見える。この連続するカーブはシケインのように九十度に折れ曲がるカーブが左に右にと続いている。僕はいつものようにスピードを保ったままいつものようにラインを丁寧になぞり次のカーブに潜っていく。レッグガードは同じようにガリガリと削れていく。


 誤解のないように言っておくけど僕はスピード狂ではない。ただ性格的に気になったことは試したくて仕方がないところがある。普段いつも通りに曲がっているこれらのカーブを「アクセルを戻さずにカーブを曲がれるのか?」という命題が僕の中に出来てしまった。その命題に対して解答を求めるように、毎日毎朝一回限りのトライアルを続けるようになっていた。しかも十年ほど。ただ目の前に車が走っているときはそんな無茶は出来ないけどね。


 初めのうちは、アウトインアウトと呼ばれる一般的な曲がり方を試していた。カーブを最短距離で走り抜けるので感覚的には一番早そうな曲がり方だ。ところが、このライン取りだとスピードが乗ってしまうとどうしても曲がりきれずにアクセルを戻してしまう。非力な五十ccのスーパーカブのエンジンはアクセルを戻してしまうと次に出力を上げるのに時間が掛かってしまい結果的に遅くなる。数年はそんなこんなで「アクセルを戻さずにカーブを曲がる」に対しての解答は得られなかった。


 ある時、カーブの手前でカーブとは反対の方向にハンドルを切ってすぐに切り返してカーブを大きく膨らんで曲がっていくライダーの走りを見た。その走り方を後ろから眺めながら自分のことは棚に上げて「いちびった走り方やな」くらいにしかその時は感じなかった。


 何度かそのような走りを見かけるうちに自分でも試してみることにした。初めはそんな走り方をする理由が分からなかったが、ある時カーブを曲がるためには車体を傾けるバンク角が重要だということに気がついた。バイクが高速でカーブを曲がる為には出来るだけ車体を倒すことが大切で、より車体を倒してカーブを曲がる為には最短距離よりもカーブの弧をより大きく広げるライン取りが必要だったのだ。カーブの手前でハンドルを一度外に向けて切り返し大きな弧を描くラインをトレースする。僕のスーパーカブはハンマー投げのハンマーのように、支点を中心にしてカーブを高速で曲がっていった。


 そんなことに気づいてからまた数年、朝一回だけの「アクセルを戻さずにカーブを曲がる」僕のトライアルは続いた。より理想に近い走りに近づくにつれて、全身の毛穴から汗が吹き出るような緊張感が僕を包む。どうしても戻したくなるアクセルを我慢して、レッグガードをガラガリと削ってカーブを曲がり続けた。


 ただここ最近は、限界までの走りはやめてしまった。ある程度の解答は得られたので興味が無くなったということもあるのだけれど、以前のような限界の走りをすることに恐怖する心が芽生えてしまったのだ。カーブを曲がりながらタイヤが滑ったこともあるし、更にはコケたこともある。何度か痛い目にあって八割くらいの力でいいかなと思った途端、八割くらいの力しか出せなくなってしまったのだ。


 連続するカーブが終わり直線を走っていると大きなコンテナトラックに追いついた。北部のトラックターミナルに向かうのだろう。速度は四十キロメートルをオーバーしたくらい。迷ううことなくトラックの左から僕は追い抜いていく。その時、大きめの石を踏んづけてしまった。前輪が軽くたわみスーパーカブの挙動が左右にブレる。そのショックからガチャガチャとした大きな濁音が僕のお尻のところから響き渡ってくる。慌てた僕はブレーキをかけてスーパーカブを路肩に停めた。コンテナトラックは何事もなかったように僕の横を走り去っていく。スーパーカブから降りて音の原因を確認してみる。チェーンが外れていた。


 僕の住まいは大阪の摂津市で、茨木市にある大阪府中央卸売市場内にある果物を専門に扱う仲卸までこのスーパーカブで通勤している。名神高速道路が横たわるこの北摂の地域というのは西と東を結ぶ交通の要所で、一九七〇年開催の大阪万博で有名な太陽の塔が見守るなか、日本中の様々な商品がその足元を右往左往と流れていく。そのような流通の基地として一九七八年に大阪府中央卸売市場は誕生した。ふだん僕はこの職場まで片道十分で走っている。なのにこの日は通勤に三十分も掛かってしまった。カチャカチャと音のなるスーパーカブを押しながら。

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