第70話 ずっと信じている

 突如張られた暗幕の中、周りを見渡しても、影に落とされた菊の花々しかなく、出口らしき光は見当たらない。


 そして、正面を向けば、未だに信じられない光景を目の当たりにしなければならなかった。


「……ニンゲン、よくも……。」


 ……夢であってほしい。


 でも、眼前から、少しずつ迫りつつある人影は、間違いなく、ノアだ。


 体全体は、黒いオーラで覆われ、あの純白だった髪は、赤黒く変色し、血の様に真っ赤な瞳は、優しげだったのに、今では獣の様な、獰猛な瞳を宿している。


「……ノア……。」


「ノ、ノアさん……!」


 私と、腕の中にいるルナが、恐る恐る声を掛けたその時。


 ノアの目がカッと見開き、瞳の中に私たちを捉えると、


「……よくも。よくも、やってくれたなアアアアッ!!!」


 一気に、私たちへと跳躍し、拳を振り上げてきた。


「きゃっ!!」


 咄嗟に、倒れ込む様にして、横に避けると、ノアはギロリと睨みつけ、再び襲いかかろうとする。


「り、凛花さん!」


 ルナが、ドロンと弓矢に変化へんげし、私の手に収まる。


 だけど、私達は、ノアに攻撃するつもりはない。


 私は、瞬時に、自身の足元に、水のマナを込めた矢を放つ。


 すると、ルナのマナも合わさって、水が氷へと変化し、私の目の前で、分厚い氷の壁が創り上げられ、ノアの拳を受け止める。


 だけど、ノアは拳を引っ込める様子はなく、そのまま氷の壁を破壊しようとする勢いだ。


「ノア!!」


 今度は強く呼び掛けてみたが、全く聞く耳を持たない!


 やがて────。


「うおおおおおおおっ!!!」


『凛花さん!!』


「…………っ!!」


 氷の大きく砕かれる音と共に、氷の破片が舞い散り、私は咄嗟に目を瞑ってしまった。


 ──ヤバい、殴られる!


 ……と、思ったけど、顔に当たるのは、冷たい氷の破片だけ。ガツンとくる痛みは全く感じない。


 意を決して、恐る恐る目を開けると、顔面に触れるか触れないか程の距離に、ノアの震える拳があった。


 ノアの顔を見ると、歯をギリギリと食いしばり、苦悶の表情を浮かべていて、必死に堪えている様子だった。


 ────ノアも、戦っているんだ。


「ぐっ……!……うああああアアアアアアアッ!!!」


 しかし、ノアは頭を抱え、苦しみ出してしまった!


「ノア!!」


 いてもたっても居られず、思わずノアの元へと駆け寄る。


 しかし────。


「ぐっ…………!」


 すぐさま、頭を抑えていたはずの、ノアの手が伸びてきて、私の首を締め上げてきた。


「ノ、ア………………ッ!」


 ノアの瞳は再び、光を宿さない、獣の様な瞳へと戻っていた。


 首を絞める力も、どんどんと強くなっていく。


「……………………ッ!!!」


 苦しい…………!息が、出来ない……!!首が、折れそう…………!


「ノアさん!お願いなのです!凛花さんを放すのです!!」


 いつの間にか、私の手から落ちていたルナが、元の姿へと戻り、泣きながらノアの足をポカポカと叩いている。


「……ニンゲン、許さない……。」


 ノアを覆っている、黒いオーラが大きくなっている気がする。


 多分このオーラは、黒魔女のマナ。これが、ノアの憎悪を、増幅させているんだ。


 これを、ノアの身体から祓えば……。


 私は、朦朧とする意識を、必死に繋ぎ止めながら、ノアの腕に触れると、自身のマナを送り込む。


 すると、私とノアは、温かな光に包まれ、黒いマナも、徐々に小さくなっていく。


 首を絞める力が、少し緩んできたかと思ったが、黒いマナが負けじと、光を飲み込もうと、勢力を伸ばし始め、再び苦しくなってきた。


「………………ッ!!」


 視界が暗闇で埋め尽くされる瞬間、私の脳裏には、ノアの笑顔が、フラッシュバックされた。


 ……私たちや、他の人と話している時のノアは、爽やかな笑顔で、気さくで、人間を憎んでいる様には見えなかった。


 特に、ドランヘルツで人々に慕われていた時のノアは、本当に嬉しそうだった。


 それに、いつも自分の危険を顧みずに、私達の事を命懸けで護ってくれた。


 私達の心に、いつも寄り添おうとしてくれた。


 私の知っているノアは、人間の事が、大好きだった!


 それなのに、ノアの優しい心を、闇で埋め尽くして、そんな想いを無かった事にしようとするなんて、許せない!!


 私は、あの黒魔女なんかに負けない!!


 カッと目を見開き、黒いマナを、さらに強い光で包み込む。


 すると、再びノアの表情と、手の力も少し緩んできたので、私は、僅かに隙間が出来た声帯から、必死に声を絞り出す。


「……ノ、ノア……、また、一緒に……、ご飯、食べようよ……。また一緒に……、笑い合いながら、お喋り、しよ……。」


「……り、ん……か。」


「私は、ノアの、笑っている顔や……、美味しそうに、食べている顔や……、優しい、ところ、全部が…………。」


 息苦しさで、視界がボヤけながらも、ノアの瞳の深いところを、真っ直ぐと見据えながら、優しく微笑む。


「大好きだよ、ノア……。」


「………………ッ!!!」


 その時、ノアを覆う黒いマナが、一瞬で消え去り、辺り一面が、私の光のマナに包まれた。


 私はノアの手から解放されると、地面に倒れ込み、必死に咳き込んだ。


「凛花!!!」


 息を整え、顔を上げると、そこには、綺麗な純白の髪に、ルビーの様にキラキラと輝く瞳を宿し、心配そうに見つめる、ノアの優しい顔があった。


 私は、その顔を見て、安心し、


「ノア!!!」


 と、泣きながら思いっきり抱きついた。


 ノアは、背中に優しく腕をまわし、


「凛花、ごめんな。本当に、ごめんな……。」


 と、何度も謝ってくれた。


 私は、ズビッと鼻水を啜ると、笑顔で頷いた。


「ノアざーーーーーん!!よがっだのでず!ーーーー!!」


 ルナが、涙と鼻水で、顔がぐちょぐちょに濡れながら、ノアに抱きついてきた。


 ノアは、服が濡れるのを気にせずに、笑顔で撫でてくれた。


「ルナ。ルナもごめんな。」


 そして、再び私の顔を見ると、少し暗そうに俯いた。


「……オレは、人間を憎んだ事がないと思っていた。だけど、ずっと、心の奥底には、いつも人間に対する強い憎悪があった。自分でも制御が出来ないほどのな。」


「でも、今のは、黒魔女のマナに当てられたから……。」


「けど、そうだったとしても、あれは間違いなく、オレの一部だ。また、凛花や、他の人間を殺そうとするかもしれない。……オレは、本当に、凛花達のそばに居ても、良いのだろうか。」


「……でも、大好きだったお母さんを、人間に奪われたんだもの。憎んでしまうのは、当然だと思う。けど、それでもノアは、その憎悪と必死に戦って、戻ってきてくれたじゃない。」


「……けど、戻ってこれたのは、凛花のマナのお陰だ。」


「私は、手を差し伸べただけ。その手をとってくれたのは、紛れもない、ノア自身だよ。私は、そんなノアを、ずっと信じているよ。」


「私も、ノアさんを信じるのです!皆だって、きっと信じてくれるのです!」


 私とルナが、ニッコリ微笑むと、ノアは、驚いて目を見開き、そこから次々と、涙が溢れてきた。


「……そっか……。そうなのか……。」


 と、安心したのか、ようやくフッと笑い、溢れる涙を拭い始めた。


 そして、顔を上げると、いつもの様に、


「ありがとな!」


 と、ニッと歯を見せて、明るく笑った。


 


 

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