第百六十六話 わらう魔教主【後】

「人道に反する行為は見過ごせない。当然のことをしたまでさ」

「あなたは……こころがとても、きれいな方ですね」


 シアンの言い方は、じぶんはちがうとでもいうようだ。

 伏せがちの視線、ほの暗い表情からもわかる。自身を過小評価しすぎる性分なのか、と早梅はやめも心配に思っていたところに、次なる発言は衝撃的なものだった。


「……無理を承知で、梅雪メイシェさまにおねがい申し上げます」

「結婚は丁重にお断りさせていただいて──」

「あなたをさらってもいいですか」

「へっ、さらう?」

「お屋敷に戻らず、俺といっしょに来ていただけませんか」

「結婚するか誘拐されるか選べってこと!? なにその二択に見せかけた一択! どっちにしろ私つれてかれてるじゃん!」

「帰したく、ないです……」

「そう言われてもなぁあ……!」

「では……梅雪さまに会っていただきたい方がいらっしゃるのです、と申しましたら?」

「私に、会ってほしいひと?」


 それはだれ? と早梅が問おうとした、そのとき。「……キュウ……グゥウ……」と、鳴き声がきこえた。

 はじかれたように、爽が自身の腕の中を見やる。


 金と赤のまだら模様に塗りたくられた、二羽の子烏。その鳴き声が、先ほどまでと比べ、明らかにか細い。


「どうして……なぜこんなに弱ってるんだ……」


 足に結ばれていたこよりはちぎり捨てた。すこし火傷は負ってしまったが、軽傷のはず。

 だというのに、子烏はぐったりと弱りきっている。二羽ともに、だ。

 その原因に思いあたらない爽は、にわかに焦りをおぼえる。


「診せてごらん。……目立った外傷はないけれど……待って」


 爽に抱かれた子烏たちをのぞき込んだ早梅は、さっと目を走らせ、とある違和感をひろった。


「この塗料……遠目では金泥かと思ったが、発色がちがう」


 金属光沢がない、とでも言おうか。

 烏を燃える太陽に見立てるため、使われた塗料。

 ざわ……と胸がさわいだのは、このからだのもち主が、に詳しい梅雪だからなのだろう。


雄黄ゆうおう。黄金の代替品として用いられる塗料ですね」

「──!」


 早梅は反射的にふり返る。


 ……いつからだ。

 いつから、背後を取られていた?


「安価で手に入れやすいですが、その主成分は砒素ひそ。これだけ大量に塗ったくられて、運悪く飲み込んでしまった分もあるでしょうねぇ。かわいそうに」


 狭い路地裏の物陰からきこえるのは、若い男の声だ。口調こそやわらかいが、気配を消して早梅へ接近した時点で、只者ではない。

 早梅は五感を研ぎ澄ませ、注意深く男を観察する。

 闇にまぎれる黒の外套をまぶかにかぶっているため、その容貌をうかがうことはできない。


「助けたいですか? その哀れな烏たちを」


 それがおのれへの問いだと、早梅は遅れて理解する。


「当たり前だろう」


 言葉少なに、即答する。

 得体の知れない相手だ、身構える早梅とは裏腹に、対峙した男が、笑った。


「ふふっ……やさしいなぁ。ほんと、そういうところは変わらないよね」

「なに……?」

「いいよ。あなたの望みは、なんでも叶えてあげる」


 ──ボウッ!


 突如として、路地裏に灯る光。

 子烏たちが、炎に包まれている。


「なにをしているんだ!」

「大丈夫。よく見て、ほら」

「……あ」


 頭に血がのぼる思いの早梅だったが、はっと我に返る。

 爽が。燃える子烏たちを抱いた爽が、まったく慌てたそぶりを見せないのだ。

 それに、子烏たちを包んだ炎。妖しくゆらめく、蒼い色をしていて──


 ジュ……と音を立て、毒々しいまだら模様の塗料が蒸発した。

 あとには、黒い羽毛が残るだけ。


「雄黄はもちろん、塗料はすべて燃やしました。ね。焼き鳥にはしていないので、食べたらだめですよ? おなかをこわしたらたいへんだ」


 くすくすと冗談めかしながら、なんでもないように、とんでもないことをやってのけた男。


「君は、いったい──」

「……教主さま」

「教主……?」


 子烏たちを袖の中に仕舞い込み、深々と頭を垂れる爽へ、つと、男が言葉をかける。


「もー、どこをほっつき歩いていたのかと思ったら。おまえは突拍子もないことをしでかしますね、爽。こんなおどろきは求めてないです」

「申し訳ありません」

「もうちょっと雰囲気のある感動の再会を目指してたんだけどなぁ……まぁいいです。緊急事態ですから、目をつむってあげます」

「ありがとうございます……」

「はいはい。わかったから、顔をお上げなさいよ。地面とこんにちはするつもりですか」


 やれやれ、と大げさに肩をすくめてみせた男が、ついで早梅へ向き直る。


「そういうことなので、種明かしといきましょうか。ふふっ……おどろきすぎて、ひっくり返らないでよ?」


 聞きおぼえのない声だが、やけに親しげな口をきく。

 完全には緊張をとかないまま、男の動向を見守る早梅ではあるものの。


 ──する、と。


 外套の帽子を脱いだ男が、一歩、二歩と歩み寄る。


 ──しゃらり、しゃらり。


 男が歩むたび、鈴の音色に似た音が奏でられる。

 それは、彼の両耳につらなる柘榴石によるものだと知った。

 そして……物陰から抜け出した彼が、まばゆい月白の髪に、熟れた柘榴の双眸をもつことを知った。


「なっ……」


 刹那、早梅の周囲から物音が欠落する。

 呆然と目の当たりにした無音の世界で、信じがたい、けれど忘れるはずもない面影と、相まみえる。


「まさか……そんな……」


 無邪気におのれを慕ってくれた少年のそれと、かさなった。


「……ゆう、えん……?」


 満面の笑みをほころばせた白髪の美青年が、早梅へ腕を伸ばす。


「大正解。あなたのことが大好きな憂炎ユーエンだよ。やっと……やっと会えたね、梅姐姐メイおねえちゃん?」


 そっとほほを包み込む仕草は、愛おしい相手へふれるかのごとく。

 ささやく声音は、あまく。

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