第百十四話 破滅の在り処【中】

(なにがどうしてこうなったんだ)


 暗珠アンジュは淹れたての茶を差し出しながら、紅木の椅子に腰かけた父をそっと見やる。


 三十四になる飛龍フェイロンではあるが、二十代で時が止まったのではないかと思う若さと美貌のもち主だ。

 ぱちりとぶつかった飛龍の濃い緋色の瞳が、目配せをして向かいの席を示す。座れ、ということらしい。

 一礼した暗珠が卓につくころ、飛龍は茶杯に口をつける。


「手慣れているな」

「じぶんで淹れたものが、口に合いますので」

「金木犀の香りのする茶か。銘柄はなんという」

翠薫肉桂すいくんにっけい──寒冷地でよく飲まれる青茶です」

「香りのわりには、さほど甘くはない。悪くはないな」

「お気に召されましたなら、幸いでございます」


 皇子のくせに茶汲みをするのか、と揶揄されているのかとも思ったが、そのわりには会話が続く。

 飛龍の物言いにも含みはない。どうやら勘ぐりすぎたらしい。


(それはともかく、なんでいきなりこの人が来るんだよ!)


 暗珠は内心荒ぶるも、表面上はつとめて平静に口火を切った。


「ご多忙の折に恐縮でございます。お呼びくだされば、うかがいましたのに」

「食思不振だと聞きおよんだ」

「……それは」

「幸い、茶を淹れる元気はあるようだ」


 息子の体調が優れぬようであるから、駆けつけた。飛龍はそう言いたいらしい。


(『息子想いの皇帝』……か)


 喘息をこじらせたとき。高熱でうなされていたとき。

 暗珠のからだに刻まれた記憶でも、飛龍は多忙な合間を縫って、様子を見に来てくれていたように思う。

 亡き皇妃を偲び、たったひとりの皇子を見守る父親。なるほど、人としても君主としても、賞賛される人格者だろう。


 そんな飛龍を前にして、どこかぎこちなさをおぼえるのは、じぶんが本当の息子ではないからなのか、と暗珠クラマは自嘲する。

 いま一度茶杯へ口づけた飛龍は、黙り込む暗珠へ、鮮烈な色彩のまなざしをよこす。


「暗珠よ。十五にもなれば、そなたも皇族としての自覚が芽生えよう」

「もちろんにございます」

「では問おう。そなたは玉座がほしいか、暗珠」


 血のようにあかい瞳は、暗珠のなにを見定めようとしているのだろう。


「座るだけの椅子なら、この紅木でも事足りるではありませんか」

「ほう?」

「しかしながら、臣民を導く者の座す椅子が皇帝という地位ならば、私にとって必要なものです」


 正解などわからない。そんなもの、はじめからないのかもしれない。ならば暗珠も、思うがままの本心を口にするだけ。


「私は私のたいせつなものを守るため、その地位いすを欲します」

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