第百十三話 破滅の在処【前】

 帝のおわす都、天陽てんよう

 宵の刻。後宮の東側を占める宮にて。


「……いま、なんと?」

「給仕の必要はない。下げろ、と言った」

「で、殿下ったらご冗談を! まだひとくちもお召し上がりに……」

「要らん。下げろ。即刻出ていけ。四度目はないぞ」

「ひッ……し、失礼いたしましたっ!」


 きらびやかに着飾り、唇に真っ赤な紅を引いた宮女が一変。血の気をうしなわせ、卓の食膳をかき集めるようにして、一目散に逃げ出す。

 しんと静まり返ったへやに、深いため息が吐き出された。


「だ・か・ら! なんでよく知りもしない女にベタベタベタベタさわられなきゃならないんだ、冗談じゃないぞ!」


 ひとりでおちおち食事もできやしない。そんな生活に、いい加減辟易する。


 艶のある漆黒の髪に、あざやかな緋色の瞳。すっと通った鼻筋に、凛とした顔立ちの美男子。

氷花君子伝ひょうかくんしでん』の主人公にして唯一の皇位継承者、ルオ暗珠アンジュに憑依してからというもの、クラマは日々修行に明け暮れた。

 そうして年月をかさねるうち、少年から青年へ移行する彼の魅力に、後宮の女たちは目を奪われたようで。


今上帝きんじょうていは側室すらお召しにならないが、まだ年若く病弱な皇子なら懐柔できる、とかなんとか企んだんだろうな)


 もっとも、そんな見え透いた下心に、ご丁寧にも付け入らせる隙を与えてやるほど、クラマは親切ではない。猫なで声で媚を売る女たちを、片っ端から一刀両断してきた。

 そのため「皇子殿下は女嫌い」とうわさされるまで、そう時間はかからず。


(なのに、なんで毎日毎日押しかけてくるんだよ、学べよ!)


 かなしいことに、「女嫌い」の噂が立ってもなお「われこそは」と自負する物好きが、この後宮には一定数存在していた。

 そうした宮女が、未来の皇妃を夢見て、入れ代わり立ち代わりに『食事』を運んでくるのだ。


 露出の多い衣装も、給仕にしては密着してくる距離感も、甘ったるい香も、いまでは一瞬で吐き気を催す要素だ。

 なにか盛られているかもしれないと、運ばれてきた『食事』を口にすることにも、抵抗をおぼえてしまう。

 結果として、身の回りのことはじぶんでこなす習慣が身についた。


 ──侮られてはならない。


 さらに修行をかさね、教養を高め、公務に没頭することで、クラマ──いや暗珠は、おのれの存在の確立をはかった。


「俺がこの世界に来てから、二年……どこにいるんですか、ハヤメさん……」


 暗珠は卓へ突っ伏し、独りごちる。

 早梅はやめが憑依した少女、梅雪メイシェ

 後宮入りからわずか一年で地位を築き上げ、皇帝に見初められる美しき姫ではあるが、そこへいたるまでの人生は壮絶なものだ。


(梅雪の生家、ザオ一族は、何者かに惨殺されている)


 その時期も、犯人が何者であるのかも、作中で詳細に語られることはないのだが──


(ハヤメさんはあのとき、だれかに追われていた。もしあれが、早一族滅亡のエピソードによるものだったなら……くそっ)


 ならば、人が殺される光景を目の当たりにしたはずだ。

 早梅は毅然とふるまっていたが、ほんとうは怖くて、心細かったはずなのだ。


(原作では、梅雪は十八歳のときに後宮へやってくる。そう、暗珠が十五歳になる、今年の話だ。本来なら、ふたりはいまごろ出会っていても、おかしくはなかった)


 だが早梅が後宮入りを拒否していた時点で、原作とは展開が変わっているのだ。

『病弱な皇子』の身分では、おおっぴらに出歩くことは叶わない。

 かといって、暗珠がこんなところで待っていても、梅雪は、早梅はやってこない。


 探しに行きたい。この足で迎えに行きたい。

 そんな想いが、日に日にふくれ上がるばかり。


「……考えろ。どうにかして、探しに行く手立てがあるはずだ」


 どんな手を使ってでも探し出して、見つけたら、そうしたら。


「もう離さない。嫌がっても、泣き叫んでも、離してなんかやりませんからね」


 その想いだけが、いまの暗珠の原動力だ。


「浮かない様子だな。憂い事か」


 男の声がひびいたのは、ふいのことだった。

 暗珠がはっとして突っ伏した卓から起き上がり、ふり返ったなら、男が微笑を浮かべてたたずんでいる。

 皇子である暗珠へ親しげに口をきける人物など、宮中にはひとりしかいない。


「父上!」


 いうまでもなく、暗珠の父にして若き現皇帝、ルオ飛龍フェイロンである。

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