第百七話 ちっぽけなわがまま【中】

「赤子をあやすのでしたら、おまかせください。弟たちで慣れております」

「出産後も無理は禁物よ? なにかあれば、私に相談してちょうだいね」


 右も左もわからぬ初産ではあったが、何分、子育て経験の豊富な黒皇ヘイファン静燕ジンイェンを筆頭に、早梅はやめを取り巻く人材が優秀すぎた。


 さらにちょっと微熱を出して声を枯らせば晴風チンフォンがすっ飛んできて、滋養のある薬膳粥を作ってくれたり。

「肌寒いなぁ」とこぼせば、「はい! 僕が梅雪メイシェさまをぽかぽかにしてさしあげられます!」と、黒慧ヘイフゥイがぴったりくっついて添い寝をしてくれたり。


 あまりの快適さに、「これ産褥さんじょく期だよね?」と素朴な疑問をいだくまでに至るほど。

 おかげで産後の肥立ちもよく、体調も順調に回復をみせた早梅だった。


 はじめての子育てに悪戦苦闘しながら、時は流れ流れ。

 早梅のすがたは、青涼宮せいりょうぐうの外、うららかな陽気のなかにあった。日光浴のためである。


「もう二歳になるのかい。早いものだねぇ、小蓮シャオリェン?」

「あぅぅ」


 早梅はぷくぷくとしたほほをつつきながら、腕のなかのわが子へ笑いかける。

 古代中国を舞台にした央原おうげんらしく、こどもは生まれた瞬間から一歳とする。

 そのため、数え年で二歳というわけである。実際は、生後一年もたっていないが。


 息子には、『蓮虎リェンフー』という名をつけてもらった。

 名付け親は晴風だ。赤ん坊を取り上げてもらったから、というのも理由のひとつだが。


(私がこうしていられるのも、フォンおじいさまが夢にまで出てくる皇帝陛下ロリコンくそやろうを追い払ってくれたからだ)


 最大の理由である。精神衛生上とても重要なことだった。ゆえに晴風の功績は大きい。


 うすく生えそろってきた蓮虎の髪は、早梅とおなじ翡翠色。くりくりとした瞳は、あざやかな緋色だ。


(やはり、皇室嫡流の子にはちがいない、というわけか)


 現皇帝の血を引く男子。飛龍フェイロンにはすでに皇妃との間に皇子がいる。しかし。


(あのご執心ぶりから察するに、この子を後継者に据えようとするだろうな)


 むろん、早梅をあらたな皇妃へ迎えて、だ。

 どうやらこの物語ストーリーは、どうしても梅雪と後宮を結びつけたいらしい。


(原作にはいない、主人公の弟を生んだわけだ。あらためて考えると、すさまじい状況だな)


 では蓮虎の存在を隠すか。

 それも難しいだろう。飛龍はあのとき、早梅を孕ませるつもりで婬虐いんぎゃくの限りを尽くしたのだ。

 早梅を手に入れる、ただそれだけのために。

 飛龍は、早梅がおのれの子をやどしたことを、確信している。


(あぁ、たしかに生んだとも。まちがいなくあなたの子だ。だが、私とて手のひらで転がされているばかりではない)


 だから早梅は蓮虎を愛す。わが子を可愛がり、決して絶望することなく、前を見据える。


(飛龍──あなたには、必ずや報いる)


 早梅の信念は揺るがない。

 私は私の思う『悪』を断つのみだ、と。


「うぅ……ぅああ!」

「おやまぁ坊や、どうして泣くの? さっきお乳をあげたろう? おねむかい?」


 蓮虎は泣き虫だ。寝ているとき以外は泣いていると言っても、過言ではないほど。


「おうおう、威勢がいいこった。そこのまんまる大福を俺によこしな」


 愚図る蓮虎をあやしていると、どこからともなく晴風がやってくる。

 どこのチンピラだ、と笑いながらもわが子を預けるのは、あまり眠れなかった翌日に決まって晴風がおとずれることを、知っているからだ。


「黒皇が待ちくたびれたような面してたぜ。はやくへやにもどって寝かしつけてもらえ」

「じゃあ、小蓮をおねがいしてもいいですか?」

「まかせとけ。蓮蓮リェンリェン~、おじいちゃんとお花畑でお昼寝しような~?」


 子孫まごにメロメロな晴風だ。小子孫ひまごの溺愛っぷりもすごかった。蓮虎を抱くと、軽快な足取りで自慢の庭へ向かう。

 風のように去ってゆく晴風の後ろ姿を見届けて、早梅もきびすを返した。

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