第八十九話 縁をつかんで【後】

「惚れた女を殺されたおまえの気持ちはわからねぇけど、惚れた女が死ぬかもしれねぇ恐怖なら知ってる」

「……青風真君せいふうしんくんも、恋をなさったことがあるのですか?」

「ばっか、それくらい俺もあるわ。てか話逸らすんじゃねぇ。あぁもう、とにかく! そういうときはさすがの晴風チンフォンさんも、やべぇくらいに焦ったんだよ。そりゃもうめちゃくちゃな!」


 そのときのことを、馬鹿正直に話して聞かせてやる義理もないが、ただ。


「『彼女が幸せならそれでいい』……よかれと思ってしたことが間違いだったって、後悔した。変な意地なんか張らないで、『愛してる』って伝えていればよかった」

「──!」

「もっとわがままになってもよかったって、いまなら思えるんだよ。だってな、女ってのは細っこくてやわいくせに、俺たちが思ってる以上に強い生き物なんだぜ? 俺たちのちっぽけなわがままなんて、けろっと受けとめちまう。知らなかったろ?」


 晴風の言葉を受けて、再度視線を落とす黒皇ヘイファン

 そのひざもとには、ひとつ、またひとつと、瑠璃の宝玉が転がっている。


「あの方を……忘れたくはないのです」

「おまえがそうしたいなら、そうすりゃいいさ」

「でも、もうあの笑顔を見ることができない……声を聞けない……苦しくて、たまらない……っ」

「終わりじゃねぇよ。おまえがそのいとをつかんで放さないなら、またきっと会える」

「『ハヤメ』さまに、会える……?」

「あぁ、それがえにしってもんだろ。今度会ったときに、そのクソデカ感情を思う存分ぶつけてやりゃいいのさ」


 後悔だけでは終わってほしくない。終わらせない。

 その思いを込めて、晴風は瑠璃の瞳で、黒皇を見据える。


「さらって、抱きしめて、『愛してる』って伝えてやれ」


 うつむいた黒皇の肩が、ふるえ出す。

 晴風より上背のある黒皇だけれども、嗚咽をこらえるすがたは、たよりなくて。

 声を押し殺して泣く黒皇のとなりで、晴風はきらめく水面を見つめていた。


 ひとしきり泣きはらした黒皇は、かすれた声で、晴風に問う。


「……青風真君が『めちゃくちゃ焦るくらい恋した』方というのは、その後どうなったのですか?」

「おまえなぁ……濁したとこを突いてきやがって」


 いや、黒皇に悪気がないことは、晴風もわかっているのだ。

 声高に言えることではない。が、傷心の友に免じて、特別に教えてやることにする。


「俺より諦めのわるいやつでな。ばあちゃんになって、ここまで追っかけてきた」

「それは、もしかして……」

「おっとそこまでだ」


 らしい黒皇の口を、晴風は先手を取ってふさぐ。みなまでは言わせない。


「経験者からのありがたーい助言だ。気ぃ抜いてっと、尻にしかれるぞ。なんせ女ってのは、俺たちの想像以上に、強い生き物なんだからな」


「おーこわっ!」と身震いをしてみせた晴風のとなりで、くすりと笑い声がもれる。


「そうですね。私も……今度『ハヤメ』さまに会ったら、ちっぽけなわがままを、いっぱい言ってみようと思います」

「参考までに抱負を聞こうかね」

「見つけ次第さらいます」

「いいねぇ。それで?」

金王母こんおうぼさまに子孫まごの顔を見せてさし上げる日も、近いかと」

「おーおー、いっちょかましてやれ。健闘を祈る」

「青風真君。ありがとうございます」


 酒のことかい? なんて野暮は訊かずに。


「飲めよ」


 にっと白い歯をのぞかせ、晴風はさかずきを差し出す。

 黒皇も今度はこばむことなく、受け取ったそれをひと息に飲み干して、「あまいですね」とほほをゆるめた。

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