第三十六話 秋風は涼やかに【後】

 人化じんかしてへやに忍び込んだところを目撃された紫月ズーユェではあったが、驚くべきことに、そのままザオ家の邸宅へとどまることをゆるされた。


 何者なのか、いかにして梅雪メイシェを救ったのか。


 突然あらわれた素性の知れない少年の詮索をすることを、早家の当主が禁じた。

 翡翠の髪に瑠璃の瞳をしたまだ若い男が、梅雪の父であることを、知らない紫月ではない。


 彼を目にするたび、なぜだか胸がざわめくのも、きっと気のせいだ。


 ひとつ、またひとつと、季節がまわる。

 新たな出会いは、すすきが頭を垂れる、秋のことだった。


「紫月、その子、どうするの?」

「おれの食料にする」

「うそだぁ」


 しくじった。

 だれにも見られないうちに、済ませてしまうつもりだったのに。


「ひろったの?」

「きまぐれだよ」

「ほうっておけなかったんだ」

「……ぐぅ」


 紫月は邸宅のまわりで、落ち葉にまみれた烏を拾った。黄金の眼をした烏だ。


「……こいつ、見たことあるような眼をしてるんだよ」


 家族を殺されて、だれも信じられなくなっていた紫月自身のような。


 烏は不吉の象徴だ。そこに存在しているだけで、忌み嫌われる。

 ……あぁ、嫌なくらい、獣人じぶんとかさなる。


「あれ、足が三本ある」

「三本もあるよ」

「きみのおめめは、おひさまみたいだねぇ」


 紫月の劣等感をあおる記憶さえ、梅雪のたったのひと言がふき飛ばす。

 梅雪が笑った。なんてまぶしい笑顔なのだろう。


「足が三本ある烏は、かみさまの使いなんだよ。だいじにしないと、ばちが当たっちゃう」


 そうだ、この子の世界は、いつだって輝いているんだ。


 黄金の瞳が見ひらかれている。屈託のない少女の笑みに、烏は毒気をぬかれたようだった。

 烏のあまりのまぬけ面に、紫月まで笑顔になってしまう。

 せっかく梅雪が隙をつくってくれたので、紫月は小刀で切りつけた親指の血を、烏の翼と足に塗りたくってやる。


 驚いた烏がひとつ羽ばたいたが、すぐにおとなしくなる。

 その身に起きた異変は、烏自身がよくわかっていることだろう。


「紫月の血はすごいんだよ。どんな怪我や病気も、なおしちゃうの!」

「そんなたいそうなもんじゃない」


 仙薬でもあるまいに。

 そう、この血は紫月の望む者には『薬』となるが、すべてがそうとは限らない。


「ねぇ烏さん、うちにきますか?」

「ちょっと梅梅メイメイ! またこんなもの拾って!」

「えー? その烏さんをひろったのは、紫月なのにー?」


 紫月は、ぐうの音もでなかった。

 気まずい沈黙をやぶったのは、なんと烏で。


「……先のご無礼をおゆるしください。なんとお礼を申し上げたらよいか」

「しゃべった!?」

「しゃべるよぉ、かみさまの使いだもん」


 ほわほわと気の抜ける笑みを浮かべた梅雪が、烏を抱き上げて羽毛をなでる。


「わたし、烏さんとおともだちになりたいなぁ」


 ……それはちょっと、どうかと思う。


「ご迷惑でなければ、ご厚意に甘えさせていただきたく」

「おともだちになってくれるの!」

「あなた方はわが命の恩人。この黒皇ヘイファン、慈悲深きお坊っちゃまとお嬢さまに、誠心誠意お仕えしとうございます」

「黒皇っていうの、かっこいいねぇ!」

「もういいだろ、こいつはおれの食料なの!」


 梅雪が自分そっちのけで可愛がっているのが面白くなくて、烏をふんだくった紫月だが。


「お言葉ですがお坊っちゃま、生の鳥肉を食らうと、おなかを壊してしまわれます。せめて焼き鳥がよいかと」

「おまえもなに言ってんだ!」


 当の黒皇とやらが、大真面目に正論を言っている。食料であることを否定はしないのか。


 嗚呼、天然と天然による二乗効果のすさまじさよ。

 この疲労感、どうしてくれよう。


 だけど紫月も不思議といやではない、涼やかな秋の夕暮れのことだった。

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