第八話 炎の産声

 憂炎ユーエンは物心ついたときから、息苦しかった。

 張りつめたこころの糸は、ぐちゃぐちゃに絡まって、あるときぷつりと、ちぎれてしまった。


 ──この愚図。出来そこない。


 崖から落ちゆくさなかに、そうとだけ吐き捨てる母を目にしたのが最後。

 それから憂炎は、独りぼっちで生きてきた。


 雨風にうたれ、ときには泥や苔にまみれながら、あてもなく昼夜をさまよった。

 狐や鷹が食いちらかした野兎のおこぼれをもらえれば、まだいいほう。

 たいていは木の実を食べて、飢えをしのいでいた。


 ずっとずっと、憂炎は独りぼっちで生きてきた。


(……いたい、くるしい)


 がまんしなければ。


(……つらい、かなしい)


 生きるためには、がまんをしなければ。


(……なんで、いきるの?)


 だれもいないのに。

 憂炎の名前を呼ぶひとは、どこにもいないのに。


(もう、いやだ……)


 生きるために自分を殺さなければならないなら、なにもかもをあきらめたい。


(さむい、さむい……さみしい、さみしいよ)


 こんなに凍えてしまうのなら、いっそのこと楽になりたい。それなのに。


「馬鹿なことを言うもんじゃない!」


 ──どうして。


「死なせない」


 ──どうして。


「憂炎」


 だれかに呼ばれたのは、いつぶりだろう。

 深い深い暗闇の底に、ひとすじの光が射したようだった。


「私がそばにいる、憂炎」


 愚図な出来そこないのために、どうしてそこまで。


「生きちゃいけないひとなんて、いないんだよ」


 自分を包み込んだおんなのひとは、やわらかかった。

 あたたかい、きもちいい。


 だめだ。

 こんな心地よさを知ってしまったら、もう戻れない。


「憂炎、君ならできる」


 あたたかいこの場所から、はなれたくない。


「生きるんだ、憂炎」


 あぁ……なんてしあわせな夢なのだろう。

 このまま永遠に、めなければいいのに。




 ほほにつたうものを感じて、憂炎はまぶたをもち上げる。

 燃焼のにおいと、冴えた朝の気配が、薄明るい小屋の景色に横たわっていた。


「……憂炎?」


 からころと、ふいに、鈴のような声音。

 憂炎のにじんだ視界に、瑠璃色が映り込む。

 ぼんやりと憂炎が呆けていたのも、すこしのこと。


「気がついたのか! もう大丈夫なの……って、おおうっ!?」


 憂炎が飛び起きた拍子に、ごちんっと景気のいい音がひびき、星がはじけた。

 ちょうどのぞき込んでいた人影と、頭と頭のあいさつを交わしたのだ。

 手と手でひたいを覆った憂炎は、声にならないうめきをもらして、もだえる。


「華麗なるずつきだ……すばらしい」


 相手も無事ではなく、薄笑いを浮かべた少女が、左手でひたいを押さえ、右の親指をぐっと突き立てていた。


 これは一体全体どういうことだ。

 夢から醒めても、まだ夢のなかだなんて。

 憂炎は混乱する。


「元気そうで安心したよ。あいたた……」


 ……そうだ、いたい。ひたいが、痛い。

 それじゃあこれは、目の前にいるひとは。


「……夢じゃ、ない」

「うん? なにか言ったかい?」


 間の抜けた返しがあって、無性に憂炎のからだがふるえてくる。

 視界がぼやけるのは、かなしいからじゃない。


「まだ寝ぼけてる? おーい、ゆうえーん」


 いい加減にしてほしい。

 そう簡単に呼ばないでほしい。


 ずっとずっと探しもとめ、欲していたものを、そう簡単にあたえないでほしい。


 ……あふれてしまう。


「うぅ……うぁあ……!」

「んなっ! どうしたどうした! 寒い? おなか空いた? それともやっぱりまだどこか痛い!?」


 ことごとく見当違いなことをきかれ、もうだめだと、憂炎は思った。

 あたふたと声をかけてくる彼女を前にしたら、もう。


「どうしちゃったんだか……大丈夫だからね憂炎、よしよーし」


 夢ではない。

 自分を呼ぶ声も、抱きしめる腕も、夢などではない。


「う、ん……だいじょう、ぶ」


 あなたは、だいじょうぶ。


 そっと心のなかでつぶやいた憂炎は、ふっと楽になった。

 息が、苦しくない。

 おのれという存在は、このときようやく産声を上げたのかもしれない。


 嗚咽でろくに声にはできないけれども、はくはくと口を動かして、憂炎はくり返した。


 はなれないで。

 おねがい、おれをはなさないで、と。

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