├雑木林の向こう側

「終わったにゃ」

「うむ、今度こそ出せたのじゃ!」


 冒険者ギルド外周7区支部。

 人もまばらな受付ロビーでは、前回の雪辱を果たしたシャオがむふーと鼻から息を吐き出していた。

 今回はしっかりと必要なお金を持ってきて、無事に手紙の配達依頼を出すことが出来たのだ。


「銀貨5枚って高いよにゃ」

「仕方ないのじゃ」


 大銅貨52枚、すなわち銀貨5枚と大銅貨2枚。

 手紙一通出すのに随分と高いように思えるが、距離を考えればむしろ安い部類である。


「そんなに払って金は大丈夫にゃのか?」

「まだ仕送りがあるのじゃ」


 ノーチェは心配そうにしていたが、シャオも一応はお姫様。

 帰郷する姉から渡された当座の生活資金は金貨で数十枚ほどあり、市井で暮らす分にはかなり余裕があった。

 何ならひとりでそれなりのランクの宿に泊まり続けても1年暮らせる額である。


「周りがお嬢サマばっかで微妙な気持ちになるにゃ」

「ノーチェも大概だと思うのじゃが」


 頭をかきながらぼやくノーチェだったが、資産という意味ではノーチェも相当な額を持っている。

 オウルノヴァから双子を旅の間守った報奨として下賜された星煌石スターライトは、売却を望めば投げ売りでも金貨数千枚の値がつくだろう。

 将来的に自分で使いたいからオウルノヴァに預けてあるだけだ。


「ふたりとも、ここでそういう話しちゃダメ」

「おっと、そろそろ行くにゃ」

「わかったのじゃ」


 ふたりがうっかり金の匂いのする話をしてしまうのをフィリアが止めた。

 人がまばらとはいえ、警戒しすぎということはない。

 すぐに気持ちを切り替えたノーチェは周囲を気にしながらギルド支部を出る。


「……なんか、やべぇのほんと減ったよにゃ」


 暫く歩いても誰もついてこないことを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。


「確かに、最近はあとをつけられることがなくなったのじゃ」

「平和になったよね」


 以前は街を歩いていると後をつけられることも少なくなかった。

 星降の谷から戻ってきてからというもの、妙な気配は激減している。


「これも双子効果にゃ」

「あはは……」


 その原因は間違いなく双子だろう。

 アリスたちを守るために張り巡らされた防衛線の恩恵である。


 他に用事もないので雑談しながらゆっくりと街道を歩き、問題の雑木林の近くまで差し掛かる。


「化け物がでたってここだよにゃ」

「そ、そうなのじゃ」


 ノーチェが猫耳をピンと立てて林に向けるが、聞こえてくるのは風のざわめきだけ。

 人が動いている気配は感じなかった。

 騎士たちは午前中で捜索を切り上げたのかもしれない。


「もう引き上げたのかにゃ」

「奥の方にいるんじゃないかな、ちょっとだけ声が聞こえる」


 首を傾げるノーチェの横で、同じく耳を立てたフィリアが言う。

 フィリアの耳は林の奥から聞こえる微かな人の声を拾っていた。


「大人に任せてわしらは家でおとなしくするのじゃ、アリスだって大人しくしているはずなのじゃ」

「ほんとかにゃあ……」


 アリスは"生まれ持った特性"のせいで突拍子もない行動に出ることが多い。

 何かに興味を惹かれた時、その衝動に任せて動いてしまうことがあるのだ。

 危機的な状況なら冷静に立ち回るので一見"まとも"に見えるが、あれは肉体を除いてもケアが必要な子供に分類される生物なまものである。


「家の周りを見ている最中に何か見つけたら、そのままふらっとどこか行きそうにゃ」

「ありそう……」

「なのじゃ……」

「なんか心配になってきたし、さっさと帰るかにゃ」


 そう言いながらノーチェはちらりとフィリアとシャオを見た。

 自己暗示の影響か、不思議なことに"自分は強者"という自認を持つアリスは、守る対象が近くにいるとそのフォローに意識を向ける。

 戦おうとすることは問題だが、置き去りにしかねない衝動的な行動は控えめになるのだ。

 しっぽ同盟の中ではフィリアとシャオに対して特にその傾向が見られる。


 それだけでなく、むしろ双子の方から側に居たがるしっぽ同盟の面々は、なんだかんだで騎士たちの心労を大きく軽減させていた。


「そうだね」

「さっさと戻るのじゃ、寒いし」

――たすけてっ!

「!?」


 3人が頷きあって帰ろうとした矢先だった。

 フィリアの耳が見過ごせない声を拾い、顔色を変える。

 聞こえたのが幼い女の子の声だったからだ。


「フィリア、今の聞こえたにゃ?」

「う、うん、雑木林の奥の方から……」

「……なんぞ今の、ユテラっぽくはなかったかのう?」


 緊張感に息を潜めながら顔を見合わせて、3人は雑木林を見つめる。


「――シャオ、家まで走るにゃ。フィリアとあたしは声を追いかけるにゃ!」


 考えていたのは数秒、ノーチェはすぐにやる事を決めて指示を出す。


「え!?」

「ひとりは報せる役が必要にゃ。この中で一番強いのはあたし! 耳はあたしよりフィリアがいいにゃ! いくにゃ!」

「わ、わかったのじゃ!」


 慌てた様子で走り出すシャオを一瞬見て、ノーチェは雑木林に向かって走る。

 フィリアはその後を慌てて追いかけていった。



 ノーチェには自信があった。

 例え大人を倒すまでいかなくても、足止めくらいなら出来る。

 そうしている間にシャオが呼んだ騎士が間に合えば任務完了だ。

 最初の頃は運動不足が顕著だったが、通学で毎日のように走っていたシャオの脚はかなり鍛えられている。

 距離も近いし、時間はかからないだろう。


 アリスの護衛として送り込まれている騎士たちに半端な者は居ない。

 たまに稽古をつけて貰っているノーチェはそのことをよく知っていた。


 だから迷わず飛び出したし、フィリアのナビゲーションを受けて最速で林を抜けた。

 管理小屋のようなボロ家の横を通り抜け、更に奥へ走る。

 ところどころ、無数にある靴跡は騎士たちが林の中を調べた痕跡だろう。


 まだ林の何処かを調べているのか、もう引き上げたのか。

 それはわからない。


 雑木林といっても元は人工的に整備されたものだったのだろう。

 枝葉は伸びっぱなしになっているが、足場はそこまで悪くない。


「ノーチェちゃん、まっすぐその先!」

「わかったにゃ!」


 背後から聞こえるフィリアの声にノーチェは更に加速する。

 自分の耳も話し声を拾っていた。

 間違いなくこの先だ。


 やがて林の一番端にたどり着くと、そこには壁のようになっている崖があった。

 住宅地の奥側にある大階段のある崖と同じ場所だ。


 その崖の前には、見たことのあるフード付きのローブを着た集団がいた。


「っ!? くそ、またガキか!?」

「!? にゃんで、ここにっ!」


 焦った様子でローブの男が叫ぶ。

 そのローブの集団の真ん中に、そいつはいた。

 見覚えのある、顔を持たない不気味な白い巨人が。

 そいつは無言で立ったまま、太い腕で縛られたユテラを抱えている、

 ――『御使いエンジェル』、フードの集団からはそう呼ばれていた"泥"を取り込んだ人間の成れの果てだ。


「――逃げろおおおおお!!」


 西側にいけば住宅地を隔てる壁があるはずだ、大声を出せば騎士たちに届くだろうかと一瞬考えながら、ノーチェはあらん限りに叫び声をあげた。 


「半獣のガキが! 仲間を助けに来やがったか、他にもいやがるな!?」

「チッ!」


 先ほどの叫び声はこちらに向かっているはずのフィリアに向けたものだ。

 しかしそれでもうひとり居ることを勘付かれてしまった。

 フィリアの脚なら逃げられるかどうか、それを考えながらノーチェは刀を鞘から抜き放つ。


 ノーチェの見るかぎり、ここにいるフードの集団はさほど強くなさそうだった。

 武器こそ持っているが立ち姿は隙だらけの者ばかり。

 かろうじて強そうなのが数人いるが、それにしたところで以前戦った幹部クラスとは比較するのも烏滸がましいレベルだ。

 例えユテラを人質に取られても、ノーチェの"迅雷の加護"なら人質を助けて逃げるくらいは余裕を持って出来るだろう。


 ――それをさせてくれないのが、彼等が『御使いエンジェル』と呼ぶ怪物の存在だった。

 物理的な攻撃に異常な耐性を持つ御使いには、魔力を込めた武技アーツや魔術、加護の力を使った攻撃以外は殆ど通らない。

 かといって武技を使ったところで、並の威力ではかすり傷をつけるのが精一杯。


 確実に倒すには上位の精霊の力を借りるか、桁外れの破壊力を叩き込むしかない。

 残念ながらそのどちらも今のノーチェは持っていなかった。


「おっと動くなよ、オトモダチがどうなってもいいのか?」


 刀を構えるノーチェを見ながら、フード集団のひとりが拘束されているユテラの頬にナイフを突き付けた。

 猿轡を噛まされたまま涙を流して震えるユテラを見て、ノーチェは歯を食いしばりながら刀を放り捨てた。


「よし、そうだ。手を見えるとこに出しとけ」


 御使いに人質を押さえられている状態では無茶も出来ない。


「もう一匹いやがるんだろ! 仲間を殺されたくなきゃ出てこい!」


 男が大声で叫ぶが、反応はない。

 それに焦れたのか明らかに苛ついた様子でナイフの刃をユテラの髪を乱暴に掴み上げる。


「ムゥッ」


 痛みに涙を浮かべて呻くユテラの様子に、ノーチェは拳を握りしめる。


「出てこい、こいつの耳でも切り落とさねぇとわからねぇか!?」

「ムグゥゥ!」


 寝ているユテラの耳を無理矢理引っ張り、ナイフを押し当てようとする男。


「ま、待って! わかった、から」


 それを木の陰から飛び出したフィリアが制止する。

 なんとか助けようと隠れて様子を伺っていたが、堪えきれずに出てきてしまったのだ。


「手間かけさせるんじゃねぇ! 縛って連れてこい!」


 数人のフードの男たちが指示を受けてノーチェとフィリアの両手を縄で縛る。

 人質の手前大人しく捕まるしかなかったノーチェが悔しそうに俯いた。


「わりぃ、ミスったにゃ」

「仕方ないよ……」


 落ち込むノーチェを慰めながら、フィリアは怯えた様子で身を寄せる。

 縄で縛り上げた男のひとりがドンとふたりの背中を押した。


「グズグズするな、歩けや」

「…………」

「あぁ、チクショウ、今日に限ってどうして! クソ!」


 脅しをかけた男はリーダー格だったらしく、捕まえたノーチェたちを引き連れて崖の近くへ向かう。


「おい、やれ」

「…………」


 崖際に立つと、フード集団の中でもひときわ背の低い人物が前に出た。

 子供のような手で岩の一部に触れると、触れた部分を中心にして岩がぐにゃりと粘土のように動く。


 まるでアリスの錬成を見ているような光景にノーチェたちが目を見開いていると、あっという間に岩にトンネルが出来上がった。

 男は背嚢から手提げランプを取り出し、火を付けて暗いトンネルの中に入っていく。


「歩け」


 ノーチェたちを連れて、全員がトンネルの中に入った後、フードの子供が側面に触れて入口を閉じる。

 暗闇の中、ランプの明かりだけを頼りに進む。


 数分ほど歩くと、一行は何かの建造物のような場所にたどり着いた。

 古い遺跡のようなホールの内部に、ノーチェとフィリアはどことなく見覚えがある気がした。


 男たちはそれからも建造物の奥へ向かって進んでいった。

 どうやらフード集団は先ほどの力を使って出入り口を作り出し、内部にある地中の遺跡を隠れ家に潜伏していたようだ。


「今夜には出るぞ。騒ぎ過ぎた」

「今朝のヤバそうな連中、何者だったんだ? やっぱり俺たちのことを探ってたのか?」

「わからねぇよ、流石にここまでは気付かれちゃいねぇとは思うが……。警邏の巡回も厳しくなってきてやがる、もう猶予はねえんだ」


 話しながら男たちが立ち止まると、ひとつの小部屋の扉を開けた。


「ふにゃっ!」

「きゃっ!」


 乱暴に縄を引かれ、ふたりは部屋の中に押し込まれる。


「ほらよ!」

「むぅぅ!」

「ふぎゃ!?」


 続いて身体を起こそうとノーチェの上にユテラが放り投げられた。

 縛られて動けないユテラを避ける訳にもいかず、ノーチェは悲鳴をあげながら受け止めるしかなかった。


「も、むうぇん……!」

「へ、平気にゃ……」


 身体をずらして今度こそ上半身を起こしたノーチェの眼の前で小部屋の扉が閉じられる。

 遠ざかっていく足音と話し声を聞きながら、困ったようにヒビ割れた天井を見上げた。


「はぁぁ、やらかしたにゃ、どうすっかにゃ」


 意気揚々と助けにいって虜囚となってしまった。

 武術大会で自分に自信をつけた矢先の失敗に、ノーチェはしっぽを萎れさせてしまうのだった。

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