共同研究には王立学院の空き教室が使われることになったらしい。


 午前の授業が終わり、ハリード錬師に案内されて研究棟の一室に入る。御札おばけが凄まじい勢いで黒板に何かを書き付けているのが目に入った。


 カツカツとチョークが擦り付けられる音がするたび、大きな黒板に数式が増えていく。


「……なにかの設計と回路図?」

「みたいだねぇ」


 白衣姿のおばあさん、ウェンデル老師が薄切りのローストビーフをたっぷり挟んだバゲットを齧っていた。


「ウェンデル老師、今日はよろしく」

「よろしくね、飯はもう食ったかい?」

「あまり食欲なかったから」

「無理してでも飯は食いな、食わないってことは生きることを放棄することだよ」


 ウェンデル老師の真剣な表情に、喉まで出かかっていた冗談が引っ込んだ。


「善処する」

「やるよ。子どもは老いぼれ押しのけるくらいでなきゃダメだよ」


 紙に包まれた何かが放り投げられた。ぼくが手を伸ばすより先にハリード錬師が音もなくキャッチし、そっと手渡してくれる。


「ありがとう」

「いえ」

「今のうちに食べちまいな」


 肉サンドは重いけど、言いたいことはわかるのでありがたく頂くことにする。


 包みを開いて噛じりながら、黒板に向かう御札おばけことヴァーグ導師を見守る奇妙な空間ができあがっていた。


 因みに貰った肉サンドは美味しかった。上質な赤身肉に後味爽やかなソースが使われていてバゲットも柔らかい。肉以外は葉野菜少しなのもありがたい。


 ネギ類の味もしないし、そのあたり気を使ってくれたみたいだ。


 ウェンデル老師側にはお付きの錬金術師が3人、ヴァーグ導師側には2人。たぶんお弟子さんだろう。


 そんな感じで教室内を観察しているうちに、ヴァーグ導師が動きを止めて振り向いた。何かワサワサして、お弟子さんのひとりが顔を近づかせる。


「…………」

「導師はこの図案をベースにまず義足を作りたいとおっしゃっています」


 通訳によって意図を理解したところで、黒板にびっしり書き連ねられた数式を見てぼくは頷いた。


「わかるかバカ」

「図面を引きな!」


 数式だけで意思疎通ができるのは数学部にいる一部の変態だけである。



 お弟子さんたちの協力を得て、ヴァーグ導師の数式が簡単な設計図に直された。


 彼等が作りたいのは事前に聞いていた通り、実際の手足のように動かせる義肢みたいだ。


 想定されてるのはゴーレムの操作技術を応用した接触型の脳波コントロールってところだろうか。


「これだと人が乗り込んで動かすタイプのゴーレムになるね」

「でっか」


 ゴーレムというか駆動機関の専門家であるウェンデル老師は渋い顔を隠さない。


 錬金術師の中には腕の形のゴーレムに錬成を使うことで実物のように動く義手を再現してる猛者もいる。同じことをするには最低でもクレスタ教授くらいの錬成技術が必要になる。


 そんなレベルの変態技術を一般人に求めるのは酷を通り越してもはや馬鹿だ。


 解決するためには、流す魔力に反応して自動発動する術式回路を組み込むこと。手で言うなら手のひらの開閉、指を曲げる角度や速度。


 物をつかんで持ち上げ、放す。基本的な動作をさせるだけでも長大な術式を刻印しないといけない。そのスペースを確保するために巨大化は避けられない。


 なるほど。


「普通に作ったらこのくらいになる」

「ええと、普通に作るとこの大きさになるだろうとおっしゃっています」


 ヴァーグ導師の声は机を挟んだ程度の距離だと普通に聞こえる。


 以前から研究していたらしい術式のサンプルを見る限り、縦2メートル横1メートルの板が必要そうだ。


「やっぱりハウマスキューブ方式?」

「そうだね、本来は帝国のデカいのに打診する予定だったんだよ。ところが皇帝から横槍が入ってねぇ」

「技術流出を嫌ったんでしょうね、オゼ導師は純朴な方ですから」

「……あー、あの人だったんだ」


 オゼ導師と聞いて、先日の顔合わせを思い出した。


 背中を丸めた「お、おで……」系の大男だ。なんでも元は木こりの息子さんで、帝国の宮廷錬金術師さんに見込まれて弟子入りさせられた人らしい。


 なんかキラキラした眼を向けられてちょっと困っていたら、お付きらしい錬金術師に諌められてあまり話せず帰っていった。


「技術を全部吐かせてやろうと思ってたのにねぇ」

「だから横槍を入れられたのだと思います」


 至ってまっとうなハリード錬師のツッコミに、教室内のムードがちょっと和やかになった。


「そしたらハウマスの弟子がいるってたの狸爺から聞いてね、いい感じに生意気だからいっちょ揉んでやってくれって言われたんだよ」

「私もこてんぱんにして泣かせてもいい、むしろ泣かせろと言われた。まったくあの爺さんはいつまで悪戯小僧の心を持ち続けるのかいい加減落ち着いたほうがいいと思う病弱な少女に対する態度としてはあまりにも……」

「くそじじいがよ」


 狸爺の好々爺っぽい笑みが脳裏に浮かんだ。チキンレースしてたらわざわざ崖を用意してきやがったよあの爺さん。しかも断崖絶壁を。


「そういうわけで半端な腕はお呼びでないよ。まずは第10階梯に対する生意気な態度を"おおめに見られるだけの何か"を見せて貰おうじゃないか、えぇ?」

「医師として大人として寄ってたかって病気の子どもをいじめるようなことは非常に不愉快かつ不本意ではあるがこれも錬金術師としての先達の役割なれば心を鬼にして厳しく指導せざるをえないこういった矯正は幼いうちなのだ」


 見るからに圧をかけてくる大人げない第10階梯ふたりに、周囲の人間はこぞって同情的な視線を向けてくる。


 生意気なガキが身の程をしればいい。でも小さい女の子相手に可哀想。そんな複雑な感情がわかりやすすぎるくらいに見て取れる。


 普通の子どもなら泣いてたかもしれない。でもこんな遊びをしてたんだから自業自得だ。


「――図面の写しよこせ」


 というわけでアクセルを踏み込むことにする。ぼくの態度を見てふたりの第10階梯アルス・マグナが楽しそうに笑みを見せた。


 どうやら高位の錬金術師は負けん気が強いのがお好きらしい。


 そんなこんなで、ぼくの午後の学校生活の予定が決まった。他の学科の教授たちには我慢してもらおう。



 軽く打ち合わせを終えて図面や資料を受け取って、ぼくはみんなと合流して帰宅していた。


「スフィね、アリスとお昼ごはん食べようと思ってまってたんだよ。アリス食べないっていってたけど、あとでなにか食べるかなって。そしたらいっしょに食べようって。アリスおにくのにおいがするね?」

「…………」


 伝達ミスでお昼を食べそこねたスフィの放つ圧に耳を寝かせ、シラタマの背中に顔を埋めながら。


 どこでどんなにイキっても、お姉ちゃんに対してだけは勝てそうにない。

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