ミカロルの玩具箱亭
ぼくたちは夕暮れ時の繁華街を歩いているうち、スフィが見つけた可愛らしい外観の宿に入っていた。
淡い色調の街並みの中で、パステルカラーでペイントされた宿はおもちゃ箱のよう。
2階建てで部屋数は少ないけれど、内装も可愛らしく整えられており子ども受けが良さそうだ。
「あら~、いらっしゃい」
入り口をくぐると見えるカウンターにいるのは、羊のような角を生やした、胸の大きな20代後半の獣人女性。
「可愛らしいお客さんね~」
のんびりした口調と雰囲気の女性は、ニコニコとぼくたちを見ている。
「『ミカロルの玩具箱亭』へようこそ~、お泊りかしら~?」
「みかろる?」
「たしか神の名前」
光神よりずっと古い時代の神の名前だ。
「あらぁ、物知りさんなのね~。ミカロルはぬいぐるみの神さまで、子どもたちの守り神様なのよ~」
「へぇー」
「あ、泊まりたいにゃ、部屋空いてるにゃ?」
話が少し逸れかけたのを、ノーチェが修正する。
「お部屋は空いてるわよ~。……5人なら1部屋1晩、銀貨3枚だけど~、子どもたちだけかしら~?」
「そうにゃ、親はいないにゃ」
「あら~……」
店主らしき女性は困ったなぁと頬に手を当てる。
「後払いでもといいのだけれど~……お手伝してくれるなら、従業員用の部屋を使ってもいいわよ~?」
子どもを客として扱っていいものか悩みつつ、放り出すわけにもいかないという葛藤を感じる。
宿代としては結構お高めだけど……貼られている案内表を見るに朝夕付き。
それでこの値段なら決して高くない。
「あ、金なら大丈夫にゃ、とりあえず一晩頼むにゃ」
ノーチェが銀貨3枚を取り出してカウンターの上に乗せる。それを見た女性は一瞬驚きを浮かべつつも、すぐに平静を装って手続きを進めた。
「あら~、わかったわ。夕飯は19時……時計の見かたはわかる?」
「あの丸いやつだよにゃ? アリス!」
「わかる」
「大丈夫にゃ」
「あらあら、みんな頭の良い子なのねぇ。じゃあお部屋に案内するわね」
そう言って、女性店主……女将さんっていうべきかな。
女将さんはカウンター奥から鍵を取って2階へ上がっていく。
「小さい宿だから、夜にあまり騒いじゃダメよ」
「わかったにゃ」
「はーい」
宿の中は綺麗に整えられていて、手すりは磨かれてささくれひとつない。
階段から廊下に至るまでカーペットが敷かれているし、照明も魔道具だ。
確かにこじんまりとした宿だけど、内装は綺麗だ。
壁紙は温かみのある白をベースにファンシーなおもちゃの絵が描かれている。
……背負われているから、スフィのしっぽがわさわさ揺れてるのがダイレクトに伝わってくる。
2階の廊下の真ん中には十字路があって、その真中に……。
「わ、おっきいくまさん」
「ッ」
「アリス?」
玩具に囲まれて置かれているのは、胸元に赤いリボンを結んだ灰色熊の大きなぬいぐるみ。
その姿に驚いて、思わずスフィにしがみついてしまう。
「こういうぬいぐるみが、ミカロル様の
「……ほへー」
ダメだ、やっぱり熊のぬいぐるみは反射的に身構えてしまう。
トラウマは簡単には消えてくれない。
前世で出会った"あの子"が悪い子じゃないことも、ぼくを助けようとしてやった事なのもちゃんと理解はしてるんだけどな……。
「アリス、くまさんこわいの?」
「……ちょっと」
「あらあら、ふかふかで優しいのよ~。身体を綺麗にしたあとなら、抱きついてもいいからね~」
「ほんと!?」
「ほほう!」
熊のぬいぐるみに怯える小さな女の子扱いされるのは不服極まりないけど、こればっかりは説明出来ない。
というか、『前世の小さな頃、動くおおきな熊のぬいぐるみが眼の前でいじわるな人間を……したのを見てトラウマになった』なんてどう説明すればいいんだ。
記憶が消えないうちに、通路の先の暗がりから顔だけ出してじ~~っと見てくるなんてこともあったし。
内心で愚痴っている内に、部屋にたどり着いた。
左端の奥部屋だ。
部屋は意外と広く、内装は落ち着いた女性の部屋って感じ。
パステルホワイトを基調とした淡い色彩に、流線型のデザインの家具。
ダイニングと隣接したリビング、左手にはベランダ、奥に寝室。
リビングから見える壁には、円形のオーソドックスな時計がかけられていた。
さっきのやりとりから予想はついてたけど、アルヴェリアでも24時間式か。
「何か用があればカウンターに~、食堂は1階の奥だから~」
「はーい」
「すぐ近くにお風呂屋さんもあるから、いまのうちに行ってくるといいわよ~」
女将さんは必要事項を告げると、ノーチェに鍵を渡して部屋を後にした。
水も豊富だし、銭湯みたいなのもあるのかな。
軽く部屋をチェックしてから、荷物を下ろして一息つく。
「いい宿だね~」
「そうじゃな!」
「部屋はいいけど、廊下はなんかむずむずするにゃ」
廊下のファンシー空間に落ち着かないのは、どうやらぼくとノーチェだけらしい。
可愛いのはまだいいとして、まさかトイレに行く時に熊のぬいぐるみと毎回ニアミスするの?
トイレは1階にあるようだし。
……なかなか厳しい滞在期間になるかもしれない。
■
部屋で寛いでいるうちに、備え付けられた時計が19時になった。
スフィの背中に隠れながら熊をやり過ごし、1階カウンター奥にある食堂へ向かう。
扉を開けると、煮込まれた肉のいい匂いが漂ってくる。
「ッ!」
「ぴっ」
何故かスフィとフィリアに両側から抱きつかれた。
何事かと食堂内に視線を巡らせる。
中に居るのは推定お客さんと従業員。
真っ黒なとんがり帽子とマントを着ているけど、胴体部分はやたら露出の多い装備のお姉さん。
髪をひっつめた、いかにも仕事出来ますって感じの秘書風の女性。
料理を運んでいる最中の、さっきも会った女将さん。
食堂の奥の厨房から包丁を片手にこちらをみる、筋骨隆々な山羊頭の獣人の男の人。
こうしてみるとやっぱり女性客ばっかりだ。
「どうしたの?」
「えっ」
獣人男性はトマトの染みがついたエプロンつけてるし、厨房担当の従業員だろう。
見た限り不審なところはない。
「なんでくまのぬいぐるみがダメであれが平気なのにゃ」
「わしにはおぬしの感性がわからんのじゃ」
「……?」
もしかしてあの山羊獣人の男性のこと?
「あら~、ごめんね、うちの亭主が怖がらせちゃって~。ちょっと無口で愛想が悪いから~」
「…………」
「どうも」
どうやら旦那さんらしい、山羊獣人の旦那さんと目が合ったので軽く会釈をする。
「かわいくない……」
「うん、うん……」
「スフィ、フィリア、さすがに失礼」
抱き合って頷いているふたりに注意して、空いている席に座る。
メニューは……牛頬肉のミルクトマト煮込みとバゲット、付け合せに薄切りトマトのレモンドレッシング。
流石に値段取るだけあって、でてくる食事のクオリティも高そうだ。
「せっかくだからごはん食べよう、美味しそうだし」
「確かに美味しそうだけど……」
「わからん、ほんとにわからんにゃ……」
ぶつくさ言うみんなを後目に、女将さんの運んでくる湯気立つ料理を待つ。
スフィの勢いで選んだけど、意外と当たりだったかもしれない。
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