首都ハイドラ
のんびり歩いて12日目、いよいよ湿原の終わりが近づいてきた。
子供の足で約2週間。一日20キロメートルくらい移動してると考えても300キロメートル。
改めて考えると本当にだだっ広い。
流石に全周囲に向かってこれだけの直線距離があるとは思わないけど、正に要害。
「いい加減この風景も飽きてきたにゃ」
「雪原よりはマシかも」
「だね……」
所々に休憩所や野営地なんかが整備されてるけど、村のたぐいは皆無に近い。
「それにしても、こんなひっっっろい所によく橋かけたよにゃ」
「最初の橋は100年くらいかけた大工事だったらしいよ」
ゼルギア帝国時代、ある大工の一族がこの巨大湿原に橋をかけて海への道を作った功績で爵位を貰った。
帝国の崩壊と同時にその一族も滅んだけど、当時に作られた橋をメンテしながら使っているのだとか。
今足元に広がる橋は、最初の橋が作られてから1000年以上かけて拡張されたのだ。
「にゃんでそこまでして」
「それはわからない」
シーラングの大工事は結構有名な話だから知っていたけど、流石に細かな歴史までは知らない。
「ともあれ、後少しだから気を抜かないでいこう」
謎の気配はずっと付かず離れずついてきている。
夜は活動しないのか休むことは出来ているけど、一定の距離を保ってこっちを伺っている気配だけは感じる。
「だにゃ! おまえら気合入れていくにゃ!」
「おー!」
逆算すれば明日の昼には湿原を抜ける、夜前には街にたどり着ける。
何もないならつけてくる意味がない。
もしも仕掛けてくるとしたら、今日か明日あたりだろう。
■
「街だ見えたにゃ!」
「わ、樹の上におうちがたくさんある!」
「あれぇ?」
日も暮れて薄紫に染まる空、それを背景に樹上都市が美しく浮かび上がる。
巨大な樹の上に作られた街の中、飾られた橙色の灯りが木の実のようで幻想的だ。
「…………?」
「アリスはなんでシラタマと一緒に首を傾げてるにゃ」
「シラタマがぼくの真似してるだけ」
鳥類特有の動きで首をくりくり動かすシラタマの頭を撫でて、ぼくは暗い湿原を振り返る。
……結局普通に抜けられちゃったんだけど、何だったんだ?
街が近づいた頃には、気配が徐々に遠ざかって消えていった。それからは何も感じなくなったので、本当に去ったんだろう。
狙ってたけど、狩るタイミングがなくて諦めた?
だめだ、わからん。
「でも、何事もなくてよかったぁ」
「うん」
フィリアも緊張が解けた様子でほっと胸をなでおろしていた。
それ自体は良かったんだけど、警戒してた分なんか腑に落ちない。
「フィリア、ずっと怖がってたもんね、よかったね」
スフィがへたり込んだフィリアの頭を撫でる。
「フィリアは意外と臆病なのじゃな」
「迎え撃つ気まんまんのアリスちゃんたちがおかしいの!」
シャオの余計な一言で、なぜか矛先がぼくに向いた。
ぼくはそこまで戦意マシマシなつもりはないんだけど。
「そうはいってもにゃ、来るなら戦るしかないにゃ」
「まけちゃったら、いやだもん」
避けられるならそれに越したことはない。
でも相手が来るなら戦わなきゃ何も守れないのだ。
「わかってるけど、怖いものは怖いよぉ」
「ま、無事に街につけたんだからよしとするにゃ」
立ち上がるなり、だしだしと橋を蹴りつけるフィリアをなだめて、ぼくたちは街へ向かって歩き出した。
街へは昇降機のようなもので入るみたいで、この時間にもなれば順番待ちもなかった。
「ギリギリだったね、ようこそハイドラへ」
港と違って獣人もさほど珍しくないのか、簡単な確認と入門税だけで手続きは終了。
「危なかったにゃ」
「撤収はじまってたのは焦った」
基本的に街へ入場できる時間帯は決まっている。そこを過ぎれば一旦外で野宿をして開門を待つことになってしまう。
時計が配備されてる訳じゃないから結構ざっくりだけど、門番が撤収をはじめた時にはアウトなことが多い。
慌てて駆けていったスフィとノーチェを見て撤収を止めたので、たぶん温情をきかせてくれたんだと思う。
「今からだと宿も厳しいかにゃ?」
「さすがにちょっとね」
巨大樹の上に立ち並ぶ木造建築は、時間帯もあってか酔客で賑わっている。
もう完全に日も落ちたし、今から宿を探しても埋まっているか断られる可能性が高そうだ。
「空港ってどっちだろ?」
「それは明るくなったらかなぁ」
暗がりの中ではぐれないようにスフィと手をつなぎ、通りを歩く。
上を見上げればまた別の道と建物の並びがあって、あちこちに橙色の光を放つ丸い提灯がぶら下がっている。
建物には窓の代わりに黄色がかった白い紙が貼られていて、中で動く人の影が映し出されて影絵みたいだ。
今までの街と比べても異世界感が凄い。
「ここ、なんかくさい」
「酒とおっさんのにおいにゃ」
「睨まれるからやめとこ」
辺りには酒と料理、それから草木と汗の匂いが混じって何とも言えない空気が漂っている。
身を寄せ合って暗がりを歩くぼくたちを、通りすがる赤ら顔のおじさんたちがじろじろと見てくる。
顔立ちと髪色からして東方人っぽいけど、なんだか居心地が悪い。
「アァ? なんでこんな時間にガキが歩いてんだァ?」
低い声が聞こえた方を向くと、二足歩行する大型犬のような外見の獣人がぼくたちをしっかりと見ていた。
体毛は茶色で、体中にも顔にも傷がある。耳にジャラジャラとピアスを付けて、体毛の下から入れ墨のようなものが透けて見える。
なんというか、ものすごいガラの悪そうな男の
「アァ? なんか文句あんのにゃ?」
「ぐるるる!」
ノーチェが睨み返し、スフィがぼくを背中に庇って牙をむく。
シャオとフィリアは抱き合って震えている。
いやまぁ、見た目から警戒するのはわかるけど……。
「おい、あれって"猛犬"のパドルじゃ」
「この間も3人治療院送りにしたって」
「相手は……って小さい女の子じゃねぇか、おい誰か止めろよ」
挙句の果てには、通りすがりが足を止めて野次馬にクラスチェンジしはじめた。
街にきてそうそう騒ぎに巻き込まれたくないし、心配はいらないので解散してほしいんだよなぁ。
「文句だぁ? あるに決まってんだろうが! おめぇら親どうしたんだ、泊まるところあんのかよアァ? クソ人間にでも目つけられたらどうしやがんだてめぇらよぉ!」
だって彼から聞こえてくる音は心配の音色で、薄っすら放ってる殺気はぼくたちじゃなくて、ぼくたちを注視している普人に向けられたもの。
少なくとも獣人の子供に対しては、悪い人じゃなさそうだ。
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