世界はまだ夜明け前
いつものようにパソコンのスイッチを入れて、起動するのを待ってからデスクトップのネットゲームのアイコンをダブルクリックする。
手早くログインを済ませたら、ひとりぼっちのギルドハウスで生産スキルのレベルを上げる。放置している間にブラウザを起こして、別ゲームのログインボーナスを回収。
どんなに楽しいゲームでも毎日がっつり遊んでいれば飽きだって来るもので、ここ数ヶ月はいまいちやる気もなく、だらだら続けている日課がこれだった。
ゲームはもちろん、漫画もアニメも新作は毎月出ている。でも、ぼくが手に入れられるのは発売から数カ月後。流行に乗り遅れてしまえば、手を出す気だって薄れるもの。
結果的にモチベも下がり、長く続けられるメインのゲームに張り付くだけの毎日。嫌という訳じゃない、つまらない訳じゃない。ただ何とも言えずに燻る感覚だけが飲み込めない。
……何でそんなことを続けているのかって。
アニメも漫画も好きだけど。ぼくはやっぱりゲームが好きだからだ。
部屋の中に居ながら別の世界を垣間見れる、素晴らしい娯楽。何しろ自分の手でキャラクターを動かすことで、まるで自分が本当に外の世界で遊んでいるように感じることが出来る。
中でもオンラインゲームが好きなのは、明確な終わりがこないから。
時間をかけて広がっていく世界を、手塩にかけたキャラクターで冒険する。海を超え山を超え、洞窟に潜り森の遺跡を探索して。手に入れたアイテムに一喜一憂しながら新しい装備を作り上げて次の冒険へ繰り出す。
時折しょうもないことで開発がコケて終わってしまったりもするけど、商売である以上はしかたない。
その分長く遊べる良いゲームと出会えた時がより楽しく思えるからいいのだ。
人類は本当に素晴らしい娯楽を開発してくれた。
先人たちが作り上げてくれたゲーム文化のおかげで、ぼくは空調の効いた部屋の中でいつだって好きな時に大冒険に出られる。少なくとも心の中では。
「……なぁチビ助、たまには外に出ねぇか?」
ログインボーナスを回収し終えて日課をこなしていると、部屋に入ってくるなり背後で見守っていた保護者から声がかかった。
生憎だけど、イベントを走るので忙しい。新しい装備もキャラもきちんと回収しておかないといつ必要になるかわからないのだ。
「なぁチビ助」
「今ゲーム中だから」
「飽きねぇよなぁそれ……」
スルーしてなお食い下がる背後の声。振り返って見慣れた顔をにらみつける。
後ろ髪だけを長く伸ばしたブラウンの髪にヘーゼルの瞳、すっと高い鼻に彫りの深い顔。目元に浮かぶ僅かな皺を深めて、ニヒルな笑みを浮かべるスーツを着込んだ外国人の伊達男。
ぼくが生まれ育った日本じゃ滅多に見かけない、自称ちょいワルドイツ系アメリカ人――僕の保護者。あだ名は『たいちょー』。
「今日はいい天気なんだからよぉ、たまには太陽に当たらねぇとカビが生えるぞ」
「今回のイベント確実に走っておきたいんだけど……」
不満を視線に込めて睨むと、たいちょーさんはちっとも聞いていない素振りで肩を竦めた。
「ゲームは逃げねぇだろ、今日くらいは付き合えって」
「……逃げる。イベント期間は確実に」
「後で手伝ってやるから」
この人は時たまこうやってぼくを外に連れ出そうとする。
前に外に出たのはえーっと……あれ、いつだっけ。そういえば何ヶ月も陽の光を浴びてない気がする。
もともと運動は好きじゃないから出たい訳じゃないからいいんだけど。
買ったのはいいものの読んでない漫画やアニメが積み上がっていて、電子とは言え消化したいから、ますます出る理由がなくて拒否していたっけ。
小さい頃から筋金入りの引きこもり児童にはハードルが高すぎる。
「そもそも、さっきから画面変わってないじゃねぇか」
「周回中だから」
横から覗き込んできて、なおも文句を垂れる横顔をにらみつける。人が好きでやってることにケチをつけないでもらいたい。
むすっと膨れていると、節くれだった手がガシガシと髪の毛を撫でた。
されるがままに頭をがくがく揺らしていると、ぼくを覗きこんでいた保護者様は困ったような顔をした。
「今日は付き合えって、な?」
「……はいはい、わかりましたよ保護者さま」
どうにも今日はしつこい。たまには付き合うかとゲームを終了させて椅子から降りた。
部屋は狭いから扉まではすぐだ。たいちょーがカードキーを使ってロックを解除すると、空気の抜けるような音を立てて扉が開いた。
横に立つたいちょーを見上げると、彼にしては珍しく穏やかな笑みを浮かべていることに気づく。
「なぁ、チビ助」
「何?」
扉開きっぱなしだけど外に出ないのかなと、首をかしげる。
「……何でもねぇ、腹減ったし食堂でメシかっぱらうか」
また髪の毛をがしがしと撫でられた。ただでさえぼさぼさな髪の毛が余計ぼさぼさになってしまった。いくら僕が男だからって扱いが乱暴過ぎる。
「食堂の管理人さんまた胃潰瘍で倒れるよ」
「なぁに代わりは沢山いるさ。奴も、俺たちもな」
「えぇ……」
しょっちゅう僕を連れ出して近くの食堂で暴虐を働くせいで、ついこの間そこの管理人さんを胃潰瘍にしてめちゃくちゃ怒られたのを懲りていないらしい。
そんな懲りない男は人を誘っておいて、自分だけさっさと扉の向こうへ行ってしまう。
……あぁ、そうだ。たいちょーさんに言わなきゃいけないことがあったんだ。
突然やってきた、胸をギュッと締め付ける不思議な感覚で思い出した言葉。
伝えようとたいちょーさんの背中を追いかけて部屋の扉をくぐる。
瞬間、世界が白く染まった。
■
……いつの間にか、寝ていたらしい。
「……?」
酷い身体のだるさを感じながら目を覚ます。なんだかひどく懐かしい夢を見ていた気がする。
身体を起こそうとして、想像以上に手足が動かず、あげかけた手が落ちてベッドを叩いた。
信じられないくらいに手足が、いや身体そのものが重い。関節のあちこちと、喉も痛い。ベッドも床みたいに硬いんだけど、ここどこだ?
「――あーりぃすっ!!」
突然聞こえた声にびっくりして、きしむ身体に鞭打って顔を上げる。日本語じゃない、独特の発音。音の響きは英語に近いけど、獣の唸り声みたいなイントネーションが混じってる。
声の元へと視線を向ければ、小さな女の子が心配そうな顔でぼくを見ていた。年齢は……たぶん6歳前後ってところ。泥まみれの肌に、薄汚れた灰色の長い髪の毛。でも可愛らしく整った顔立ちの女の子。
着ているのは服……というよりボロ布と呼ぶのが相応しいもの。どう見ても日本人じゃない……むしろ日本で見かけたらちょっとくらいは騒動になりそうな悲惨な有様だ、多分。
そんな女の子が、大きな瞳を涙でうるませてじっとぼくを見つめていた。
「ありすっ! よかった、起きたぁ!」
突然、女の子が泣きながらぼくを抱きしめる。やっぱり不思議な言語を使っている。
なのに、言葉の意味がちゃんと
……ええっと、何、この状況?
外からは、しとしとと雨の音が聞こえている。薄汚れた木製の天井はひび割れて、ところどころ雨漏りしているみたいだ。
周囲を見れば家財もほとんど見当たらないボロボロの……言ってはなんだけど完全な廃屋。視線を落とせば、ぼくの身体には襤褸がかけられていた。
……やたら硬いベッドだと思ったらただのボロ床だったらしい。
いや、ほんとにどこなのココ。
「よかった、よかったぁ! アリス、ぜんぜん起きなくて、ずっと起きなかったら、どうしようって!」
涙のせいか、ところどころつっかえながら小さな女の子の抱きしめる力が強くなってくる。……いや待って、見た目に反して凄い力。ちょっと身体がミシミシいってきて、胸が圧迫されて息が。
「す、すふぃ、くるしい」
「あ、あっ、ごめんね、だいじょぶ?」
名前を呼べば、すぐに力を緩めてくれた。解放されたことで一気に肺に流れ込んだ埃っぽい空気に咽ながら、少しずつ呼吸を整える。
ぼくに抗議をされたことで加減を忘れていたことに気付いたのか、スフィもすぐに力を緩めてくれた。ほっとしながら、同時に内心で首を傾げた。
…………スフィ? あれ、ぼく、何でこの子の愛称がわかったんだろう?
女の子は髪の毛からぴょこんと飛び出た、サラリとした銀灰色の毛に覆われた三角の耳をぴくぴく動かして、心配そうにぼくの頭を撫でている。
何故か違和感を覚えなくて見逃してたけど……この子には動物みたいな耳が生えていた。犬か猫に似ている三角の、髪と同じ色合いの大きな耳だ。
彼女の手がぼくの頭の上を撫でるように動くと、時おりまるで耳を触られたようなくすぐったさを感じる。それから逃れるように耳を動かそうとしてみると、何故か耳が後ろに倒れるような感覚があった。
……うん、おかしい。恐る恐る自分でも頭に手を伸ばすと、指先に毛に覆われた三角形の耳の感触が伝わる。
「どうしたの、アリス? まだぐあいわるい?」
「…………」
ついでにおしりのほうで、大きな何かが動く感覚がある。知らない筋肉なのに、まるで産まれた時からあった器官のように自由に動かせる。背後を振り返ると、汚れた銀灰色の毛玉がぼくの動揺に合わせて揺れていた。
待って――なんでぼくにまで動物みたいな耳と尻尾が?
いや、それよりも。
この子はどんなに高く見積もっても10歳に届いてない。何故そんな小さな女の子と背丈も体格も一緒なの?
ぼくは15歳で、年齢相応な日本男子の平均くらいは身長があったはずだ。
「アリス、むりしちゃダメだよ?」
それと、アリスなんて明らかな女性名で呼ばれているのに、違和感を感じていないのも変だ。
「う、うん……ちょっとね、こんらん? してた」
こころなしか自分が出す声も高くて澄んでいるように聞こえる。声の質は目の前の少女とよく似ている。
応対する一方で頭を回転させれば、寝ぼけていた意識が段々ハッキリしていくに連れて、色々なことが頭の中に蘇ってくる。
ぼくはこの子を知っている。
『スフィ』、産まれた時からずっと一緒にいた双子の姉。
それを皮切りに、どんどん溢れ出してくる自分の……『アリス』という少女の記憶。
あぁそうだ、そうだった。ぼくは村から逃げている最中に雨に濡れて熱を出して、偶然見つけたこの廃屋でもう2日も寝込んでいたのだ。
スフィが懸命に看病してくれていたけど、全然熱が下がらなくて……。
それで……。
思い出すにつれて困惑と混乱が強くなっていく気がした。
アリスとしての記憶はしっかりしている。つい最近あったことまでハッキリ思い出せる。
それどころか、アリスになる前のことまで思い出せてしまう。
日本生まれの日本育ち。年齢は15才、ゲームとアニメと漫画が好き。運動は苦手、保護者とその部下からはマイペースって言われる日本人の男の子。それが以前のぼくだったはずだ。
夢にしてはリアルすぎる。手に触れる感触と身体のだるさは本物だ。明晰夢は見たことあるけど、それとは全然違う。
熱で生死の境をさまよったせい?
瀕死になった影響で前の人生の記憶が蘇った?
……うーん、だいたいのことは覚えてるけど、ぼくが前世でどうやって死んだのかだけは思い出せない。
生まれ変わる前には前世の記憶を持つ人間の話は聞いたことあるけど、まさか自分の身に起こるなんて……。予想外もいいところだ。
「……心配かけてごめんね、ありがとうスフィ」
「ううん、よかったぁ」
混乱はひどいけれど熱は下がっている。身体の調子はすこぶる悪いけれど動けないほどじゃない。
ひとまず心配そうにしているスフィに大丈夫だと伝える。
少しホッとした様子のスフィを見ていると、さっきまでの胸のざわつきが少し治まった。
彼女がぼく……アリスにとって大切な存在であることはわかる。記憶を思い出すにつれてその認識はどんどん強くなっていく。
不思議と、自分の感情としてすとんと受け止める事ができた。感覚と主観は前世の自分でも、やっぱりぼくはアリスなんだろう。
その事に、何故か安心している自分がいる。
「おねつは下がってるけど、今日はいいこでねんねするんだよ?」
「うん……けほっ」
スフィに促されるまま、埃っぽい床へと寝転がった。
前世の記憶のせいか、ちらちら覗く優しさが沁みる。
だけどさ、病人寝かせるには不衛生すぎて余計具合が悪くなりそうなんだけど。……まぁ、前世の子供時代よりはマシかもしれない。そう思おう。
ぼくは割り切って体力回復に努めることにした。
……回復、するかなぁ?
■
「さっきね、木の実見つけたの。きってあげるね!」
一眠りしている間に拾ってきたらしい、こぶりな紅い果実を取り出して、スフィは自慢気にぼくに見せてくる。
見た目はリンゴに似ている。森の樹にたまになっている果実でここらへんの子供たちのおやつだ。
辿々しい手付きでナイフを使って皮を剥き始めるスフィを、ハラハラしつつ見守る。
……不器用じゃないのは見ているだけでもわかる。ただナイフの質が悪くて切りにくいのか、時おり刃が引っかかっているのが心臓に悪い。
口をだすのも危ないし、じっと見てると落ち着かないので何とか目をそらす。その間にぼくは状況を把握するために蘇ってきた記憶を整理することにした。
真剣な表情でリンゴのような木の実の皮を剥いている女の子は、ぼくの双子の姉。
思い出せる記憶の中では周りから「そっくりだ」って言われてたから、たぶん一卵性の双生児。綺麗な鏡は……少なくともぼくたちの生活圏にはないみたいで、正確な自分の容姿はわからない。
ただ、薄汚れた浮浪児そのものな格好でも可愛く見えるスフィとそっくりだって言うなら、見た目はかなり良い方なんじゃないかとは思う。
親はわからない。赤ん坊の頃に森で錬金術師のお爺さんに拾われて、街から離れたところにある村で育ったみたいだ。流石に物心付く前の記憶はなかったから、聞いた情報しかない。
物心ついてからは……獣人嫌いの村人たちに目の敵にされつつも、それなりに平和だったと思う。
お爺さんはぼくたちに勉強や錬金術を教えてくれたり、病弱なぼくの為に薬や何やらを用立ててくれたり……面倒見の良い優しい人だった。
そんな"おじいちゃん"にはスフィもぼくも懐いていた。だけど、おじいちゃんはぼくたちを拾った時には既に重い病気にかかっていて、死に近づきつつある状態だった。
症状から推測するなら、末期の癌みたいなものだったんじゃないかな。亡くなったのはつい最近のことで、記憶を掘り返していると胸が苦しくなって涙が出そうになる。
これからの事を考えて、おじいちゃんはぼくたちに財産を残そうとしてくれた。そんなことより元気で居て欲しかったけれど、精密検査もやれない場所での死病。優秀な錬金術師だったらしいおじいちゃんが延命しか出来なかった病気を、ぼくたちがどうにか出来るはずも無い。
できたのは、「持てるだけ荷物を持ってはやく村を出なさい」と言うおじいちゃんの手を握って最後を見送ることだけだった。
見送った後は、残念ながら素直に悲しむ時間は与えられなかったけれど。
待ち構えていたのか、おじいちゃんが死んですぐに血縁の人たちが村人を連れて押し入ってきたのだ。優秀な錬金術師だったおじいちゃんの財産を狙っていたらしい。
先陣切って入ってきたのはおじいちゃんの甥にあたる人だった。泣いて遺体にすがるぼくたちを引き剥がし、おじいちゃんの死を確認するや遺産は甥である自分の物だと主張した。
更には被保護者のぼくたちも財産の一部だとのたまい。育つまで飼うのも面倒だからと、密かに村に呼び寄せていた"人買い"に売ろうと画策していたようだ。
ぼくたちが住んでいる国では獣人の社会的な地位が低くて、田舎の村ではこんな暴虐も平然とまかり通る。おじいちゃんが凄い錬金術師だったから、生きてる間は無茶ができなかっただけだ。
きっとおじいちゃんもそれがわかっていたから、ぼくたちを一刻も早く村から出したかったんだと思う。最後まで一緒に居たがったのは、ぼくたちのわがままだ。
服を剥ぎ取られ、用意していた旅の荷物も奪われた。
でも倉庫に残った貴重な素材の分配で揉める村人の隙をついて、ぼくたちは事前に隠しておいた絶対に渡せない最小限の荷物だけを手に逃げ出すことが出来た。
山狩りをする村の連中から雨の中を逃げ続けて、なんとか街の近くまできたところで見つけた廃屋に忍び込んで……限界を迎えたぼくを休ませていた。それがここまでの流れ。
思い返してよくわかる……なにこの絶望的な状況。
「アリス、はい!」
「ありがと……」
スフィが切ってくれた、やたらすっぱい木の実を齧る。
これからどうしようかと遠い目をするしか出来なかった。
記憶を取り戻す直前のことを思い出す。そう言えばあの時、青い月を見てスフィだけは助けたいって願ったんだっけ。
たとえ自分は助からなくても、大好きなお姉ちゃんだけには生きてほしかった。
もしかしたら、ぼくの記憶はその願いによって呼び出されたのかもしれない。7歳の女の子よりは多いだろう知識を求めて、記憶の海の底の底が抜けるまで浚って。
ぼくからしても他人事じゃない。
どちらかといえばアリスとして過ごした記憶のほうが真新しい、ぼくにとってもスフィは家族だ。
前世ではずっと求めていて、とうとう手に入らなかった大切なもの。
何とかしたいとは思うけど――なんとかするにはハードモードが過ぎるのが、目下の悩みになりそうだった。
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