赤いきつねと名の無い花

とむなお

花言葉の無い花

 秋の朝‥‥いつものように坂を下って交差点までくると、一角で花が一輪だけ咲いていた。

 ちょうど信号が赤で、立ち止まったので、見付けることができたのだった。

 とは言っても、道端の地面からではなく、階段一段ほどの高さの台に乗った、小さなはちからだった。

 とは言っても、道端の地面からではなく、階段一段ほどの高さの台に乗った、小さなはちからだった。

 その鉢も、四センチ四方ほどの大きさの物だった。

 が、その鉢から縦長の紙がたれていて、そこに手書きで、

『この花の花言葉を募集中!』

 とあり、下には十行ほどの余白があったようだが、

 すでに――

『希望』『ぬくもり』『喜び』『まどろみ』『出会い』『素直』『楽しみ』『なじみ』『初恋』

 といった九つの記入があった。

 つまり記入できるのは、あと一案か二案のみなのだ。

 リカコも花が好きだったので、そこに入れる「花言葉」を、その花を見ながら必死で考えた。

 その花は、少し変わっていて、見た目はアネモネのようだったが、花びらは少しユニークな色合いをしていた。

 一見、暖色のグラデーションのような配色で、ちょっと異様な花に思えた。

 ふと見ると、すでに信号は替わっていたので、

「早く書かないと、誰かが書いちゃうけど……」

 と思いながら、咄嗟とっさにスマホで、その花を撮影すると、急ぎ足で横断歩道を渡った。

 午後、昼食は構内の食堂で済ませたのだが、やはり、あの花のことが頭から離れなかった。

 その午後、リカコはまた、例の交差点に立っていた。

 奇妙な花は、まだあった。

 やはりユニークだな……と思った。

 リカコは、さっき浮かんだ言葉を記入した。

 それは『めくるめく』だった。

「めくるめく……なんて、花言葉としては変かもだけど……こういう花言葉があってもイイじゃ。あー、これでスッキリしたー!」

 再度、上に並ぶ各案を見て、

「まー、とりあえず悪くないでしょう……。こんな募集をした誰かさん、選んでくれるかな……?」



 翌日は休日だったが、リカコは交差点の花のことが気になったので、昼食を済ませてから普段着のまま向かうことにした。

 休日のためか、下車した駅前も人影は少なかった。

 リカコは、ゆっくり交差点へと下りていった。

 人の姿の無い交差点の一角に、例の花はあった。

「えっ? あっ」

 その鉢に、小さなプレートがあり、そこには――

『めくるめく草』とあり、その下に、

『沢山のご応募ありがとうございました』

 リカコはそれを見詰め、

「私が書いた……案……めくるめく」

 リカコは思わず、その花に近付いた。

 すると、後ろから男の声で、

「あなたですか?」

 リカコが「えっ?」と振り向くと、若い男がいた。

「その花言葉を書いてくれたのは、あなたですか?」

「えー。私です」

「よかった……。あなたのようなステキな女性で……」

「いやいや本当のステキな女性には少し足りない……って言うか、じゃ、採用なんですね?」

「もちろん」

 するとその男は、その花が咲いてる鉢を取り、

「ところで……時間、ありますか?」

「えっ、どうしてですか?」

「これから表彰式をしたいので……」

 リカコは照れながら、

「時間はありますけど……表彰式だなんて……」

「いえいえ、ただのお礼です。家は近いので、一緒に来てくれますか?」

 リカコは少し迷ったが、花の好きな人だし……感じも良さそう……と、

「はい……」

「ありがとう。じゃ、こっちです」

 彼は、私鉄駅に向かう坂を上がり始めた。

 その男は高橋たかはしカズヤといい、リカコと同じ華明大の三年生だった。

 住まいは私鉄駅の裏にあり、ごく普通だが新築に近い二階建ての家屋だった。

 門を入ると、覚えのある香りがリカコの元に届いた。

「この香りは……?」

「おっ、いい鼻してますね」

「アハハハ……。犬には負けます」

「ハハハ‥‥。じゃ、先にこっちへ……」

 カズヤは玄関に向かわずに、家の裏へ向かった。

 やがて現れた光景を見たリカコは、

「アラ……」

 そこにあったのは、六帖ほどの広さの土地に作られた、数種類の花々で構成された小さなコロニーだった。カズヤは、手にしていた例の花を持ったままその中央に入って行くと、その花を置いた。

「えっ? ここで表彰式……?」

「あー、大丈夫です。まだ中にありますから」

「そうですか……」

 リカコは少し不安になった。

 こんな花を沢山、所有している独身男のイメージに違和感を覚えたのだ。

 だがカズヤは、そんなリカコの心中など察する気もないという笑顔で、

「じゃ、こちらへどうぞ」

 さっさと玄関に向かった。リカコは、そのコロニーと、その中央に置かれた花を一瞥いちべつしてから、それまでとは違う歩調で、カズヤの後につづいた。

 家の中は、リカコが想いえがいてきた住まいに近い雰囲気があった。

 そして、そこにも、あの香りがあった。

不意にカズヤが立ち止まり、振り向いて、

「あの‥‥つかぬ事を訊きますが、赤いきつねは好きですか?」

「えっ? ええ‥‥よく食べますけど‥‥」

「今はどうですか?」

「どうって‥‥食べてもいいですよ」

「よかった。ちょっと小腹が空いたもんで‥‥。作って持って行きますから、先に行ってください。一番奥の部屋です」

「はい、分かりました‥‥」

 彼は逆方向に向かった。リカコは奥へ向かった。

 やがてカズヤは盆に、割りばしが付いた二食分の赤いきつねを乗せて入ってきた。

 リカコは、ぎこちなく会釈しながら、片方の赤いきつねを取ってテーブルに置いた。カズヤも取ってテーブルに置くと、盆は足元に置いた。

「そして賞品は……その……僕です」

「えっ?」とリカコは顔を上げ「それは、どういう事……?」

「つまり……僕と付き合ってほしいんですが……ダメですか?」

 リカコは、あきれたという感じで、

「もー、それが目当てだったんですね!」

「いえ。さっき、あなたを見て決めたことです」

「じゃ……とりあえず、お友達から」

「ありがとう」

 カズヤは、大きく会釈した。

「花がとりもつ出会い……ですか?」

「そう……なりましたね」

 二人は、中途半端なれ笑いをした。

「じゃ、冷めますから、そろそろ食べましょう」

「えっ」

 二人は、赤いきつねを食べ始めた。

「ところで、この花……ちょっと変わってますよね……。あなたが……?」

「いえ。この花は、実は姉が作ったものです」

「お姉さんが、作ったとは……?」

「姉は、上智うえち大学の大学院生で、遺伝子の研究をしてるんです」

「へー……」

「その実験の一つとして、この花を作ったらしいです」

「ほー……。だから、花言葉も無かった訳ですか……」

「えー。だから名前も無かったんです。でも、今日からこの花は、めくるめく草です」

「なるほど……。嬉しいです」

「あっ、お茶が無かったですね。ちょっと待っててください」

 部屋を出ていった。

 リカコは、さっきから気になっていた、

「この香り……。きっと隣の部屋だわ……」

 そっと椅子から立つと、隣部屋のドアを開けてみた。

「あら、まぁ……」

 そこには、例の花が咲いた鉢が、百個ちかくあったのだ。

「すごい……」

 そこは四畳ほどの広さで、家具もない殺風景な部屋だった。

 リカコは一歩、入ろうとした。

 すると後ろから、

「お待たせしました」

 彼女が振り向くとカズヤが、二人分のお茶をテーブルに置いていた。

 慌ててリカコは戻りながら、

「すいません……」

「あの花、みんな同じ花ですよ」

「でも、スゴイですね……。全部お姉さんが?」

 と一口飲んだ。

「えー。だけど、仕方ないんですよね……あんなにあっても……」

「どこかの、花を扱っている会社とかに……」

「一応、姉のオリジナルなんで……そういう植物を商品化するのは、無理なんだそうです」

「それは残念ですね……キレイな花なのに……」

「ところで……突然ですが……」

「……?」

 リカコの心に、新たな緊張感が走った。

 カズヤはお茶を一口飲むと、一回、深呼吸してから、

「あの……もし良かったら……」

「えー……」

「この家で同居してくれませんか?」

「えー!」

「驚かせてすいません……」

「……」

 リカコは、無理に視線をそらせた。

「ですが……ご覧の通りこの家、僕一人が済むには少し広過ぎるので……。

リカコさんさえ、良かったら……」

 しかし、リカコは考えた。

 カズヤは、彼女の表情が微妙だったので、つづけて――

「もしリカコさんが同居してくれるなら、部屋は二階に姉が使っていた六帖間があります。それから、色々とルールを考えてくれてもいいです」

「本当に?」

「勿論です。百パーセント」

 リカコは、ゆっくり顔を上げた。

 彼女は、こう考えた。

 この家に住めたら、今のようにマンションの家賃が要らない。

 距離も、今の半分になる……。

 このカズヤ君は、花が好きでやさしそう……。

 これからの事、場合によっては、お姉さんに相談も出来る……。

もし彼がオオカミになったら、お姉さんのマンションに避難すればいい。

 ということで、リカコの答えは――

「それで、いつからですか?」

「おっと、ありがとう!」

 とカズヤは深く会釈してから、

「じゃ、一週間後からでは、どうですか?」

「じゃ、期間も、とりあえず一週間ということで」

「えー、いいですよ。それから大学では、全くの赤の他人ということで」

「了解です。お互いのタメに……ですね」

「特にリカコさんのためです」

「ありがとう」

 リカコは笑顔を見せた。

「じゃ、今後とも宜しくお願いします」

「こちらこそ。じゃ、帰ります……」

「はい。じゃ、送りましょう」

 二人は駅へ向かいながら、スマホの番号とアドレスの交換をした。

 空は機嫌よく、やがて一面に星が見れそうだった。

「まるで、今の僕の気持ちですよ」

「私の気持ちでもあるかも」

 リカコが思い出したように、

「ねぇ」

「はい?」

「さっきの花の花言葉だけど、あの募集した紙に書いてくれた案、全部つけるって、どうかしら?」

「悪くないけど……どんなのがあったか……覚えてないし……」

「それに、十の花言葉は少し多いよね……」

 二人は笑いながら駅へ向かって歩きつづけた。


 了



 

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