ラプラスの海にて

4.「身勝手」


「やぁ、こんにちは」


目を開くと男の子の声が聞こえた。

あの・・声にしては実に優しかったので、ボクはすぐに違う声だと気づく。


「‥こんにちは」


肺から押し出した空気が喉を通って言葉となる。

口を動かす煩わしさがボクの肉体の有無を証明してくれる。


ポチャン———チャン———チャッ―――


水を切る音が聞こえ、それから子供たちの喝采が湧く。

…あの海で最後にみた石切りの光景だとボクはすぐに気がついた。


「かれらはまだ、子どもだよ」


大きな白衣をばたつかせながら男の子は他の子供たちについて話してくれた。


「あの子は、とても絵が上手なんだ」

「あの子は、とつぜん抱きついてきて僕をおどろかせようとするんだよ」

「あの子は、あの髪の長い女の子が気になっているんだね」


まるで我が子のことのように男の子は話を続ける。


「そう…みたいですね」


何もない子供たちの首元と、

あお帯を付けた男の子の首元を見比べてからボクは尋ねた。


「どうして、貴方は四回・・も死んだのですか?」


男の子は少しだけ拍子抜けした顔を浮かべていたけれど、昔話でも語るような優しい声でボクの質問に答えた。


「一回目は寿命。二回目からは…実験だね」

「実験?」

「うん。あの子たちを、子供たちを救いたかったから‥」


汗に濡れた短い髪をかき撫でながら彼は答える。

緑に染められた彼の毛髪がしきりにボクの目を眩しくさせたので、ボクは子供たちの方へと視線を移すことにした。



河に囲まれた巨大樹を中心に野原が一面を覆い、

天上から雨粒の如く降り注ぐ陽光を草木や雫が跳ね返す。

幻想豊かな箱庭で戯れる子供たちはまるで楽園の住人のように思えて、

ボクは小さく鼻から空気を吐き出した。



「どんな実験を?」

「う~ん。詳しくは言えないけれど主に自分の身体を使って新薬を試したり、近年では自分のデコイ・・・を覚醒させて色々と実験をしているよ」


「デコイ…」



‥‥ラプラスの物資化が世界を賑わせる中、次なる天才の研究が新たな波紋を呼んだ

。ラプラスの祖、甘納あまな茉奈まなにならぶ三人目・・・の天才。桃李とうり杏仁あんにんによる人間の遺伝子を複製した(とされる)存在———デコイの登場である。


子孫繁栄による生物としての営み。

何万年にも及ぶ人類種が築いた名立たる歴史‥。

それらに一石を投じたとされる禁忌の研究は、のちに新世界「日叛」の創成者である血戦嶽けっせんだけ雪花菜きらずの掲げた【延生】の一端を担う事となる。


「———デコイは医者や研究者たちからは大変重宝されたんだ。当時は・・・そういった利用法であればデコイの権限は問われなかったからね」


戯れる子供たちを眺めながら彼は語り続ける。


「僕らの脳に埋め込まれた記憶の管理をしている人造機器。

これは当初「記憶の保持」を行うだけだと世間に思われていたんだよね。

‥まぁ、それだけでも凄いことなんだけど」


…新しいものは時に興奮を与え、視野を狭めてしまうものだ。


「デコイの発表と同時に政府は新たな情報を開示したんだ。

〝人造機器は「記憶の保持」に加え、同一遺伝子間での「記憶の転写・転送」を可能とする〟というね」



 日叛にほんにおけるデコイの主な役割とは、肉体の予備である。

政府によって無覚醒状態で保管されたデコイは肉体年齢が本体よりも若く設定されており、本体が死亡するとデコイは自発的に覚醒する。 本体と同じく人造機器を有するデコイは、転送された本体の記憶を引き継いだ存在となり、結果として本体は肉体年齢が若返った状態で復活する…。


…―――これが新世界日叛における〈転身〉または〈転生〉と呼ばれるおこないである。



「記憶の管理を担う人造機器ラプラスシステムとデコイによって僕達は無限に生き続けることができるようになった。…もしかしたら僕のこれはただ偽善で、本当は全て無意味なことなのかもしれないね」


白衣のポケットに忍ばせた小さな膨らみが震える。


「…それでも僕は苦しむ子供たちを黙って見てはいられない。

自分が救える誰かに限りをつけたくないんだ。

だから、これから先も―――――僕は勝手・・に誰かを救い続けるよ」



くして、彼は人を救い続ける。

その過程に、その未来に、

自らの屍をどれだけ置いていくことになろうとも、

彼の救いに飽和は訪れない。


…無邪気な少年の歩みは、少年にしか止められない。


「貴方は、この世界に満足しているのですか?」


彼は首を振りながらこう返した。


「『あらゆる病魔を祓い、全ての子どもたちを救う事ができたのならば———』

…なんて、本当はそう思い続けていたいんだけどね。元気になった子供たちを見ると「僕は此処に居ていいんだ…」って、そう思えてしまうよ」


「心からね」と、いつの間にか抱きついていた少女の頭を撫でながら男の子は笑った。


「貴方は、子どもの救い手なんですね…」


「さよなら、先生」と少女は去り、

その小さな背が見えなくなるまで見送ると彼はボクに告げた。


「君は…そうか。君はそういう存在なんだね」

「何のことです?」


言葉の意味が分からないボクは唾を飲み込む。

…喉の違和感に気づいたのはその時だった。



「———君は赤帯・・だったんだね」



ボクは彼を睨みつけた。

けれども男の子は優しくボクを見据えながら言葉を掛け続ける。


「君は…間違いなく、この時代を生きている人間だ」


…そんな言葉は、もう聞き飽きている。


「生きることに選択があるならば、死はその答え合わせだ。

いつかの君が、君の選択を認められるように、

君が君であり続けることを恥じないで欲しい。

…どうか。ぼくのようには・・・・・・・ならないでくれよ」


仮に。

『頑張って』と言う少年と老婆がいるのなら、ボクは老婆の言葉に耳を傾けよう。


もしも。

『より良き人生を』という蝉がいるのならば、ボクは涙を流してこれに応えよう。



「・・・この世界が救ったものもある。それだけ分かったのなら、もう充分だ」



有限のボクには、無限の生きる世界が共感できない。

自らを容易に棄てられる彼らと我が身可愛さで何も捨てる事の出来ない「ボク」では生きている世界が違う・・・・・・・・・・のだ…。


「さようなら…」


楽園で戯れる少年少女らに別れを告げて、

ボクは次の記憶へと旅立つことにした。




カーン…と、馴染みのある鐘の音が聞こえ始める―――――。

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