第2章「シティ・カシマの鍛冶人形」

2-1「三号庵焼失事件」

 こんばんは。わたしはハーロウ。心身に不調をきたした人形が入所する、止まり木の療養所に勤める看護人形ナースです。

 知ってますか? 松ってよく燃えるんですよ。


 時刻は真夜中の一時をちょっと過ぎた頃。

 松林で、小屋が燃えています。

 今、わたしの目の前で。それはもうめらめらと。火の粉が満月の星空に燦々と。

 箱に入ったヤドカリのような姿の医療MEdical物資Supplies運搬ConveyerユニットUnitメスキューMESCUくんが、三本指のマニピュレータで斧を掴み、小屋の周囲にうっそうと並び立つクロマツを次々と伐採していきます。


「へい、へい、ほー!」

「へい、へい、ほー!」


 誰が教えたんでしょうね、この掛け声。たぶんバンシュー先生だと思うんですよね。


「あ、そこ、伐り倒したら今度はあっちを伐ってください。風向きが変わりました」

「あいあいさー!」


 伐り倒したクロマツは、小屋から二十メートルほど離れた所に積み上げます。


「よいしょ、よいしょ」

「うんせ、うんせ」

「そこ、運び終えたらあそこも伐っておいてください」

「距離は十分なのではー?」

「枝がせり出してます。風が巻いたら燃えるかもしれないので」

「なるほどー」


 せっかくですから、伐ったクロマツを組んで近いうちにキャンプファイヤーでもやりますか。だってほら、松ってよく燃えますし。

 などと現実逃避をしていたところ、背後から落ち着き払った女性の声が聞こえました。


「フムン。なるほど、直接消火するのではなく、可燃物を火災現場の周囲から取り除くのですね。知識として存じあげてはおりましたが、実際に見るのは初めてでございます」

「真水は貴重ですからね。メスキューくんたちの容積ではとても水が足りませんし」


 ここのところ晴れ続きで、湿度も三〇パーセント前後と乾燥していました。クロマツの防潮林に火が移ったら大変です。


「ですが、よろしいので? ハーロウ様。この小屋は跡形もなく消し炭と相成りますが」

「いいんですよ。病棟内ならともかく、屋外には大規模な消火設備がありませんからね。三号庵の他にもいくつか小屋は残ってますし」


 今にも燃え落ちそうな小屋は、三号庵と名付けられています。当院にかつて入所していた建設人形レイバーさんがリハビリのために建築した小屋です。三番目に作った小屋だから三号庵。


「……って、どうしてエリザベスさんがここにいるんですか」


 振り向くと、典型的な家政人形シルキーが、ばちばちと音を立てて燃えさかる小屋を無表情に眺めていました。黒い綿のワンピーススカートに、白いエプロン。一本の三つ編みに結った長い銀髪の頭頂部には、フリルをふんだんにあしらった白いヘッドドレス。

 一ヶ月ほど前に入所したエリザベスさんです。


「そろそろだと思いましたので、起きておりました。案の定、窓から火の手が上がる様子が見えましたので押っ取り刀で駆けつけた次第でございます」

「起きておりました、じゃないんですよ。まだ休眠時間中です。部屋に戻ってください」


 いまは午前一時過ぎ。当院では、二十三時から三時までの四時間が休眠時間です。


「明日、四時間の休眠を頂ければ十分でございます。わたくし、普段は二時間で済みますので」

「いや、あなたの休眠時間を心配しているのではなくてですね」


 必要な休眠時間は人形ごとに個体差がありますが、早起きしても自室で静かに待機する規則です。


「あら、看護人形ともあろうお方が、患者の休眠時間もご心配なさらないので?」

「煙に巻こうったってそうはいきません。規則は守ってください」


 わたしの言動は、一般的な患者さんに対する対応としては完全に誤りです。規則を問題なく守れるようなら、当院に入所なんてしません。

 ですが。


「わたくし、既に規則を破っておりますが、いかがいたしましょう?」

「だから部屋に戻ってくださいって言ってるじゃないですか」

「夜道を頼りもなく帰る方が危険だと判断いたします。ハーロウ様のお側にいた方が幾分か安全でございましょう。どうぞ、わたくしのことはお構いなく」


 これですからね。

 エリザベスさんは一事が万事この調子です。話題はそらす、揚げ足は取る、皮肉と毒舌は底知らず。まともに取り合っていたら朝になってしまいます。


 折良く、と言っていいのかどうかは分かりませんが、めきめきと音を立てて、とうとう小屋の柱が折れ始めました。ぼわっと膨らむように火の粉をまき散らし、真上から押し潰されているかのように小屋が倒壊していきます。


「防火用水噴霧! 風下を厚く!」

「りょーかい!」


 メスキューくんたちがここぞとばかりに、マニピュレータから防火用水を霧状にばらまきます。丸みを帯びた箱状の筐体に蓄えておいた、貴重な真水です。

 じきに、どすん、と屋根が崩れ落ち、火の粉が地面を這うように広がりました。

 舞い上がった火の粉がどこにも飛び火していないことを確認したわたしは、やっと気を緩めることができました。


「ふう……メスキューくん、鎮火するまで監視を続けてください。異常を検知したらこちらのエリザベス臨時隊長さんに指示をあおいでください」

「いえっさー。よろしくね、ベス臨時隊長くん」


 不意に指名されたエリザベスさんは、明るい灰色の目をぱちくり。


「あら。あらあら。わたくしとしたことが、してやられました」

「あれ、拒否しないんですか?」

「先手を打たれた時点でわたくしの負け、でございます」


 エリザベスさんは相変わらずわたしには理解しきれない価値観をお持ちです。


「どうぞご安心ください。わたくしは雑用女中ジェネラル。できないことなどございません。メスキューの指示、承りました。貸し借りはこれで無し、ということでよろしいですね?」

「まあ、そういうことです」


 メスキューくんの引率を引き受けてくれるなら文句はありません。


「さて、と」


 ウエストポーチの反対側、ベルトと看護服の隙間に突っ込んでおいたネックライトを取り、首にかけて灯します。白い光が前方三メートルほどをぼうっと照らします。夜勤の看護人形が持ち歩くランタンのようなもので、両手が使えるので便利です。


「マヒトツさーん!」


 返事がないことを承知で声を張ります。探していますよ、というアピールです。

 三号庵から飛び出すところを見たとメスキューくんから報告を受けています。となれば、きっとあそこにいるはず。

 ざくざくと松葉を踏んで歩きます。


 ほどなく、白い縄を巻きつけた古く太い松の木にたどり着きました。

 簡素な屋根が張られ、ちょっとした祠みたいになっているそこには、全身が丸っこい大きなヒト型ロボットが鎮座しています。

 マヒトツさんではありません。ロボットの名前はダイダラ。おおむね焦げ茶色で、身長は二メートル五十センチほど。誰かが操作することで稼働する、他律型の旧式ロボットです。


「そこにいましたか」


 ダイダラのかたわらに、わたしが探していた小柄な患者さんがいました。ずだ袋を抱いて、ぶすっと不機嫌そうな表情で、あぐらをかいています。

 男児とも女児ともつかない、幼い顔つき。暗がりの中でも目立つ鮮やかな橙色の髪は、前髪だけ上げて紐で縛っています。服装も粗雑で、下半身は炭や煤で汚れた薄茶色のニッカポッカ。上半身にいたってはサラシという白い木綿の布を巻きつけただけ。

 粗雑な風体の中でも、特に目を引くのは左目を覆う大きな黒い眼帯……なのですが。火事のどさくさで外れてしまったのでしょうか。今は両目とも露わになっていました。


「マヒトツさん」


 三白眼が鋭くわたしを睨みます。怖い。ナイフの切っ先を喉元に突きつけられている気分です。


「何でい、針金娘」

「ハーロウです。お隣、いいですか」

「勝手にしやがれ」


 風上にいると、煙に慣れきった嗅覚が松葉のにおいを捉えます。

 ついでに、マヒトツさんのきつい体臭も鼻を突きます。朝になったら入浴ですねこれは。


 さて、どう切り出したものでしょうか。

 気難しい患者さんですから、言葉を誤ると詰み筋になります。


「ついに全焼してしまいましたね」

「そうかい」


 今までは小火ボヤで済んでいたのですが、最近の晴れ続きで乾燥した空気が災いして、メスキューくんたちが異常を検出した頃にはもはや、水による冷却消火は不可能な状態に。通報を受け、夜勤中だったわたしが破壊消火の指揮に出向いた次第です。


「道具は無事ですか?」


 マヒトツさんはずだ袋をがちゃりと鳴らして示しました。


「……ありったけかき集めた。ふいごと火床ほどは作り直しだ」


 不幸中の幸い、と言えるでしょう。


「あ、そういえば。眼帯、大丈夫ですか?」

「こっち見んじゃねえよ」


 言って、マヒトツさんは顔を背けてしまいました。返答してくれるあたり、対話を拒否する意図は無いようですが。


「……どうして、火をつけてしまうんですか?」

「手前ぇのねぐらを手前ぇで燃やそうが打ち壊そうが、オレの勝手じゃあねえか」

「それはそうです。好きにしていいと言ったのはバンシュー先生ですからね。何か起きたときの後片付けもわたしたち看護人形の仕事です」

「あーあー悪かったな。後片付けをさせてよ」

「後片付けは別に嫌じゃありません。当院では誰もがワケありですから。アクシデントを嫌がっていたら看護人形なんて務まりません」

「そうかよ」

「怒ってるわけじゃありません。わたしが知りたいのは、せっかくの作業場にどうして火をつけてしまうんでしょうね、ってことです。実際、とうとう燃え落ちてしまいましたし」

「……分からねえ。気づきゃあ火が上がってやがる。いつも言ってんだろ」

「改めて、気づいたら火が上がってる、ってことが分かったじゃありませんか」


 自分でも行動の具体的な理由が分からない、というのは、当院の患者さんにはよくあることです。問題行動を理路整然と説明できて、すんなり解決法を見つけられる人形さんは、止まり木の療養所に入所しません。


「何でもいいんです。焦らなくていいんです。火事が起きる前と後。いつも考えていること。思い出せる気持ち。一つ一つ話してください」

「話せ、っつってもよ……」


 マヒトツさんはがりがりと後ろ頭を掻きました。ぱさぱさと松葉に細かいものが落ちる音。

 それから、ずだ袋を何度か抱え直しました。がちゃがちゃと鍛冶道具の音が鳴ります。

 なおも言葉が出てこないのか、隣に座ったダイダラの太股をコツコツと拳で叩きます。

 待ちます。わたしはいくらでも待ちます。


「その、何だ……手前ぇの情けねえ仕事に腹が立つ」

「わたしも、自分の仕事に腹が立つことはあります」

「いや、こう……ちげぇんだよ。そらあよ、お前さんにも色々あるだろうよ。でもちげぇんだ。上とか下とかじゃなくてよ」

「いいんです。ゆっくり話してください。夜はまだ長いので」


 ガラティアさんの事件から、一週間と少しが経ちました。

 自分が及ばないために、ガラティアさんが自壊――ヒトでいうところの自死という結果を迎えてしまったことには、今でも自分に腹が立っています。もっとマシな結果をたぐり寄せることができたはず。

 そう思うと、マヒトツさんのことは放っておけません。彼女が鍛冶仕事に没頭できない今がちょうど良いタイミングです。


「……だからよ、そういうんじゃねえんだよ」


 マヒトツさんはおもむろに、ずだ袋の奥に手を突っ込みました。何やらガサゴソと探り、小さな板を取り出しました。


「ほれ」


 手渡されたのは、厚さ二ミリほどの金属の板を、薄い板金で畳むように挟んだものでした。


「何ですか? これ」

「ヒゴノカミ。折り畳みの小刀ナイフだ。そこ、鋲でカシメたとこ、飛び出てるだろ。チキリってんだが。押すと刃が出る」


 言われたとおりに出っ張りを押すと、挟まれていた金属の板が飛び出て『く』の字になりました。峰をつまんで引き出すと一八〇度開き、見知ったナイフの形になりました。


「ナイフですね」

「そう言ったろ。気ィつけろ。刃に触ると指がスッパリいくぞ」

「そ、そんなに……」

「ったりめえだろ。オレが打って研いだんだ」

「それで、これをわたしはどうすれば?」


 マヒトツさんはあぐらの下をまさぐり、小指ほどの太さのクロマツの枝を取りました。わたしへ手渡します。


「ほれ。そいつで削って尖らせてみろ。チキリを親指で押さえて、そうだ」


 言われたとおり、先を尖らせるように削ってみます。ヒゴノカミの刃は柔らかいクロマツにいともたやすく食い込みます。軽く力を入れると、切片がするする伸びていきます。


「……どうだ」

「よく切れますね。軽く力を入れるだけで面白いように削れます」


 マヒトツさんはため息をつき、また頭をがりがりと掻きました。


「やっぱり、お前さんにゃ分からねえよ」


 何がいけなかったのでしょう。

 看護人形のわたしには分からない、ということでしょうか。


 マヒトツさんの分類は技能人形マイスター

 名工の技術を継承するために、適性を認められてされた天才の人形です。

 天才の悩みは、凡百の看護人形に過ぎないわたしには分からないのかもしれません。


 となれば、人類の天才をぶつけてみるのも一つの手でしょうか。


「久しぶりに面談、してみませんか。バンシュー先生と」


 バンシュー先生は医師であり、かつ一等人形造形技師です。軽佻浮薄けいちょうふはくな態度が災いしてそうは見えませんが、あの人もまた、ひとかどの天才です。


「……ま、それも良い。客分になって半年くらいか。そろそろツラぁ見せねえとな」

「開放病棟の庭にテントを張りますから、今日はそこで休眠を取ってください」

「そういや三日、寝てねえや。飯もいつ食ったっけか」

「メスキューくんが届けているはずですけど……」

「何かの合間に食ったんじゃねえか。忘れたけどよ」


 マヒトツさんが寝食も忘れて修得に励んでいる技能は、刀鍛冶。

 日本刀を鍛造する技術は、ナノマテリアル技術が発展した現在でも無人化できていません。実のところ、わたしも日本刀について詳しくは知らないのですが。


 そして、彼女が当院、止まり木の療養所に入所している理由は、技能人形に特有の失調。

 この鍛冶人形さんは、刀が打てなくなったのです。

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