【大正伝奇浪漫RPG あやびと】天駆ける翼【小説】
ソラ
1
*
君のような人になりたい。
ひとりでも前を向いて刀を抜く、君のような人に。
君は「お前らしくあれ」と言うけれど。
こんな僕では、君の相棒に相応しくないんだ。
*
明治時代の文明開化以降、人間は急速に生活圏を広げて自然を切り開いてきた。
それは日本古来から存在してきた人ならざるモノ――妖怪と呼ばれるモノたちと大きな諍いを起こした。
この人と妖怪の戦争は多大な犠牲を出し、うやむやのまま終結を迎える。
もうこんなことを起こしてはならぬ、と人間と妖怪は盟約を交わす。
人間が妖怪の世界に足を踏み入れるのならば、妖怪の許しを得よ。
妖怪が人間の世界に足を踏み入れるのならば、人間の姿をせよ。
古より、人に化けて生きる妖怪は少なからずいたが、この盟約を皮切りに多くの妖怪が人の世界で生きるようになった。
そして、大正16年現在。
いつのころからか人間や妖怪に『魔』が憑き、『鬼』という存在が現れるようになった。
鬼。それは角と牙と鋭い爪を生やした悪いもの、恐ろしいもの。
人間や妖怪に強い負の感情や穢れが憑りつき、悪意を振りまく存在。しかるべき封印を施し、浄化しなければその魂が救われることはない。
夕暮れ迫る帝都、東京。
馬車と自動車、路面電車、和装と洋装の人々が行き交う表通り。
そこからひとつ入った裏路地。そこの古い木造家屋の板塀に、力なく寄りかかる人影がひとつ。
カーキ色の軍服をまとった男だ。目深にかぶった軍帽のせいで表情はよく見えない。しかし、その白い手袋とカーキ色のマントが深い赤い色に染まっている。
肺の中を空にするような息をつく。
なんとか追っ手から逃れたのを確認し、男は胸の中で自嘲する。
――このように手こずるなど、自分もなまったものだ。
上空で、ばさり、と翼を打つ音がする。男の前に黒い羽根が舞い落ちた。
赤黒く濡れた手袋でその羽根を拾う。烏の羽根ではないみたいだが、一足先に夜が浸食している裏路地では判別がつかなかった。
「君、どうしたの?」
そんな声をかけてきたのは、漆黒のマントを身につけた青年だった。
さらりとした襟足の長い黒髪を低い位置でひとつに結い、黒眼鏡の奥の切れ長の瞳も漆黒。マントで体格自体はわからないが身長は小さい。
青年はすんと鼻を動かすと、驚いたように目をぱちぱちさせる。
「血のにおい! 怪我をしているのかい?」
「まあ、そうだな。……手酷くやられた」
駆けよってきた青年はさっと真剣な表情になり、男の傷を確認し始める。
右の脇腹と右腕がざっくりと深く斬り裂かれおり、出血が続いていた。鋭い刃物で斬り裂かれたような傷だった。
青年は懐から出したハンカチと自身のマントをためらいなく脱ぎ、ぎゅっと巻いて止血を行う。
すると、マントを脱いだその背中に、体と同じ大きさの燕の翼を背負っていた。
「お前は……妖怪か?」
その質問にはっとした青年が「うん、そうだよ」と観念したように笑う。
「だからね、こんなこともできるんだ」
そう言うと、頭ひとつ分も体格差のある男を軽々と立たせて肩を貸してくれた。
「……すごいな」
「これでも古妖怪なんだよ、僕は」
素直な感想を漏らす男に青年は得意げに胸を張って、だが、どこか寂しげな目をして答える。
古妖怪。それは日本古来の純粋な妖怪。
人間よりも強靭な生命力と身体能力、そして長い命を持つ。この青年も青年の姿をしているだけで、実はかなりの年数を生きているのだろう。
「とにかく僕の家に。少し歩くけど、我慢してほしい」
本当は飛んでいったほうが速いのだけれど、などという突飛な提案は丁重に辞退しておいた。
妖怪という人ならざるモノの存在は政府より公にされている。何なら人間と妖怪が協力して鬼を倒すべく設立された政府機関もあるし、鬼と対峙する者は人間も妖怪も問わずそこに所属している。
だが、人間と妖怪を見分けるのは相当難しい。なぜなら、妖怪はみな巧妙に人に化け、その耳や尻尾、翼を隠して人々と同じ生活をしているからだ。
「僕は
眼鏡の青年――千景は清潔な布団から上体を起こした男の肩に黒い綿羽織をかけてやりながら首を傾げた。
「
色々と迷惑をかける、と清人が視線を下げると千景は何でもないように笑ってみせた。しかし、急に声音を硬くして言う。眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。
「その傷、鬼にやられたものだろう? それに、妖怪に対して偏見がないのは、鬼に対峙する機関に所属ないしは協力しているから……違うかい?」
「その通りだ」
鬼。それは己の欲望に従い、周囲に悪意を振りまく悪しきもの。
しかし、だからといって無闇に討伐していいものではない。きっちりと封印して浄化を施せば、その鬼の魂は元の人物や輪廻の輪に戻ることができる。
そうして鬼と対峙し、救おうとしている機関ならびに実働部隊のことを『あやびと』という。
反比例的に「鬼はすべからく討伐すべし」という組織が出てくるのも致し方ないことではあるが、今は関係のない話だ。
「だけど、『あやびと』は二人一組や分隊で動くのが原則だろう?」
他の皆はどうしたんだい、と千景が尋ね、清人はごく当たり前に答えた。
「必要ない。自分ひとりで何とかなる。……と、思っていたんだがな」
今回はどうにも勝手が違うものだった。鬼自体に傷を与えることができず、配下を召喚されてしまった。そして鬼からの痛打を受け、
「我ながら情けないことだ」
「ひとりで鬼に挑むこと自体が蛮勇なのだけど自覚はあるかい?」
「そうできる力があるから、やっているんだ」
至極当然という顔をしている清人に千景は盛大にため息をついた。そして、ふっと黒い瞳を曇らせた。
「その鬼の配下とは、烏天狗ではなかったかな?」
「なぜ、それを?」
千景は探偵か何かか、と一瞬疑りはしたが、妙に悲しそうな表情をした千景は視線を落として右腕の袖をぎゅっと握っていた。
「何か関わりがあるのか?」
尋ねてはみたが、答えが得られないのならそれでもいいと思った。
そして、数瞬の沈黙のあと。
「その鬼とはおそらく、僕を糾弾した天狗だろう」
そう言って千景が深い藍の着流しの右袖をまくり上げた。
白い右の手首から二の腕、肩に至るまで、ざっくりと斬り裂かれた傷痕があった。ちょうど清人の傷と同じ形の。
「……!」
清人は静かに息をのんだ。
「天狗は、能力や特徴でそれぞれの社会を作るから」
山岳の神から生まれた誇り高き天狗と、燕から生まれた名もなき妖怪。
特に社会性の高い天狗という一族だからこそ、排他はより激しいものになったのだろう。己と違うものを排斥することは一族の団結をもたらす。
「翼が生え揃うまでは烏天狗に紛れることもできたのだけどね。僕の翼が燕だとわかったとき、それはもう大変だったよ」
事もなげに言う千景だが、その苦悩と苦痛は清人には想像し得ない。清人も修羅場や命の危機には数え切れないほど遭遇したが、立場と境遇が違いすぎてなんと言葉を返したものか。
黙り込んでしまった清人に千景が笑いかける。なんとか取り繕ったぎこちない笑みだった。
「ごめんね、困らせるつもりはなかったのだけど」
ふっと息をついた千景は袖を元に戻し、眼鏡を外して両目のあたりを強く押した。
そうして、どこか必死な色を浮かべた目を清人に向ける。
「もしも、山の主であるその天狗が鬼に堕ちたのなら、僕にも原因の一端はあるだろう。だから、僕も連れて行ってくれないだろうか」
それは力ある天狗を狂気に堕としてしまったことへの責任感か。
それとも、断罪されてなお生きてしまっていることへの贖罪か。
「……わかった」
どちらにせよ、ひとりで鬼を倒せないとわかった清人に千景の申し出を断るという選択肢はなかった。
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