臥竜窟の男

青井栄

第1話

パールブリッジ



 神戸市舞子から淡路島へ架かる世界最長の吊り橋明石海峡大橋の愛称

 パールブリッジ

 世界有数の真珠の加工集積地神戸市にちなんでつけられた愛称

 舞子側の橋架下にある県立舞子公園は西暦一九〇〇年開園というから開園百二十年を超す歴史を誇る


 公式サイトによれば


 千鳥通う白砂青松の舞子浜は

 古くから詩歌に詠まれ

 陸路、海路を旅する人々に

 こよなく愛されてきました

 特に明治天皇はこの地をことのほか愛され

 7回にわたって行幸されました

 そして現在の舞子公園は明治33年(1900)

 この天下の景勝の地に

 初の兵庫県立都市公園として開園されました


 とある。


 今は人気のアウトレットとも隣接し、老若男女の憩いの場となっている




 「横、坐らせていただいてかまいませんか?」

 「あら、どうぞ、わたしのベンチじゃありませんし、退屈しておりましたので」

 「先ほど松の木を見て回ってらっしゃいましたけど、何か捜し物でもおありですか」

 「あら、見てらっしゃいましたの、恥ずかしいですわ。いえね、何年も前になりますが、孫と散歩しておりましたら、幹に相合い傘が刻まれているのを見つけましてね」

 「お孫さんがですか」

 「ええ、おばあちゃんの名前だよ、これ、って言うもんですから、まりえなんて名前、掃いて捨てるほどありますよ。それに漢字じゃないから誰の名前なんだかわからないでしょうと答えましたのよ」

 「見つかりましたか、その松」

 「見つかりませんでしたわ、消えてしまったのでしょうかしらね。それとも何本か切られてしまったのがありますから、切られた中の一本だったのでしょうかしら」

 「この橋、パールブリッジっていうんですか、モダンないい名前ですね。この辺りですよね、日本最後の怨霊になった田中河内之介が斬り殺されて、薩摩藩の舟から投棄されたのは」

 「まあ、ご存じでしたの、もう誰も知らないものと思っておりましたわ」

 「はい、若いころ、小説で読みましてね、山本有三でしたかね」

 「昔、そんな話を聞かせてくれた、友人がありましたわ。パールブリッジという名前にしてもらったら、怨霊も消えて、河内之介も、無事、成仏したでしょうかね。何しろ、この辺りは、古くから詩歌に詠まれ、陸路、海路を旅する旅にこよなく愛されてきた土地柄ですからね」

 「成仏してなくて、怨霊になって出てくるとしたら、このあたりかもしれませんね、今夜あたり、怨霊が汽笛に乗り移って、「おーい、左馬之介、どこじゃあ」と唸るのが聞こえるかもしれませんよ」

 「まあ、怖いことおっしゃいますのね」

 「あ、すみません、ところで、ここは松がたくさん植わってるから、炎天下でも涼しいですね」

 「失礼ですが、こちらにお住まいの方でしょうか」

 「昔、住んでいましたが、親の仕事の都合で引っ越しましてね。それからはずっと東京です。とはいっても、大人になってからは、船の仕事をしていましたから、人生の大半は海の上でしたが」

 「船員さんでいらっしゃいましたの」

 「コックです。ここは木陰で涼しいですが、蚊の避暑地になっているようですから、そろそろ、失礼させていただきましょうかね。では、失礼します」

 「はい、失礼します。楽しゅうございましたわ。暑いですから、お気をつけて」

 「はい、ありがとうございます」

 別れを告げてから、真理恵は、そこはかとないノスタルジアに包まれた。


 田中河内之介・・・・蚊の避暑地・・・・???

 今の人、まさか。島田君じゃなかったのかしら、きっと、そうだわ、間違いない。

 真理恵は先ほど別れを告げた島田と思われる人物の姿を探したが、どこにも見当たらなかった。舞子駅には向かわず、垂水の方へ向かったようだったから、泊まっているとすれば舞子ビラかしら、そうに違いない。

 宿泊者に島田という人がいないかどうか確かめようとして、斜めに上るエレベーターを使ってフロントへ向かった。

 「島田様とおっしゃるお客様はおふたりいらっしゃいますが、おふたりともお出かけです」

 後ろに気配がするので、振り向くと、先程の人が真理恵を見つめながら微笑んでいる。

 「気づきましたか」

 「やっぱり、島田君? そうでしょ、私だって気づいていたのね、人が悪いわ、早く言ってくれればいいのに」

 「いや、申し訳ない、忘れられていたらバツが悪いからさあ。時間があったら、あそこのカフェテリアでコーヒーでもどう?」

 ふたりはしばらくの間、全面ガラス張りで、庭の向こうに明石海峡大橋が見渡せるカフェテリアに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら、話していたが、どちらからともなく外の庭苑に誘った。

 きれいに手入れされた芝生の上に腰を下ろし、

 「ここのほうが、さっきの公園より、橋がよく見えるね、十メートルくらい高くなってるからかな」

 「そうね、ねえ、中学の頃、ここで合宿したの覚えてる?」

 「ああ、覚えてる、確か、長屋みたいなおんぼろの建物だったよな」

 「そう、中学生のころだったからよく覚えていないけど、あの頃は神戸市の直営だった気がする、それが震災で経営不振になって、その後いろんな変遷を経て、今はこんなにモダンなたたずまいになっちゃった、変わるものね。そうそう、サッカーのワールドカップの時に、ここが、日本チームの宿舎になって、わたし、中田英寿と、ほらなってったけ、フランス人の監督」

 「トルシエ?」

 「そう、トルシエ、ちらっと見かけたのよ、ほかにも選手らしい人いたけど、サッカー知らないからよくわからなかった」

 「そう、よかったな。ここも変わったけど、おれ達も変わったな、こんなに歳取ってさ、どこからどう見たってもうじじいとばばあ、失礼、だものな」

 「聞いていい? 東京へ行ってからのこと」

 「ああ、いいよ、たいしたことないけどね。大学出て、当たり前のように就職をしたんだけど、おもしろくなくなってさ、親の反対押し切って、辞めて、調理師を目指したんだ。ど素人だから、いろんな店で腕を磨きながら、和食、洋食、中華の調理師免許取ってね、二年間だけどフランスへも修行に行ったんだ。店を持つつもりはなかったから、大型船のコックになって、国内国外問わずいろんな土地へ行った」

 「奥さん、反対しなかったの?」

 「生涯、独身さ、嫁さん見つける暇なかったからね。で、橋本さん、じゃなくて、今はなんていう名前?」

 「並木、ほら、中学の時、同級生にいたでしょ」

 「ああ、生徒会長してたよな、たしか、覚えてる。高校は違ってたよな」

 「うん、それが、大学でいっしょになってね、デモに誘われたりしてるうちに仲良くなって」

 「そうなの、運動してたの? えっと、並木さん?」

 「橋本でいいわよ。運動はしなかった、わたしは、林間学校でフォークダンスに誘われたみたいな感じで二回くらいデモに参加しただけ、ままごとみたいなものね、あのころほかにすることなかったし、猫も杓子もだったじゃない? 島田君は?」

 「パーフェクト・ノンポリ」

 「それが正解よね、結局」

 と真理恵が顔を曇らせるのを見て、島田は話題を変えた。

 「知ってる人に見つかるとまずくない? 近所の人とか、お孫さんとか」

 「大丈夫よ、この歳だもの。それに、孫は結婚して東京にいるし。それより、東京に転校して好きな人できたんでしょう? 手紙でもくれるかなと思ってたんだけどくれないから、てっきりできたんだと思ってた、もててたし」

 「できなかった。東京の人って関西人嫌うんだよね。東京が日本の中心だと思ってるから、東京弁しゃべれないと馬鹿にするんだよね。だから地方から来たやつはみんな東京弁しゃべるんだけど、ぼくはずっと関西弁遣ってたんだ。東京の連中て、関西弁てさテレビの漫才でしか聞かないもんだから、関西弁しゃべると漫才みたいだって笑うんだよね。腹が立つし、東京のやつらは関西の伝統に劣等感を感じてるんだと思ったりしたもんだからしゃべる気にもなれなくて、関西弁直さないもんだから、東京の連中が、逆に馬鹿にされてると思ったんだろね、生意気だって思われてさ。そのくせ、年月が経つと関西弁が思うように出てこなくなっちゃってさ、不器用なんだよね。手紙はさ何度か書こうとしたんだけど、うまく書けなくて、ごめん」

 「葉書でもいいからくれればよかったのに、今さら言っても仕方ないけどね。ところで、こっちへ帰ってきたのは、何か用事があってのこと?」

 「いや、ただ、なつかしくなってさ。長い間船に乗ってたから回遊魚みたいになっちゃって、年金生活になってからはあちこち旅して回ってるんだ」

 「あら、恵まれた年金生活みたいね、神戸にはいつまでいるの?」

 「今日が三日目で、明日チェックアウトして、鹿児島、熊本、長崎へ行く予定」

 「せっかく出会ったんだから、もし時間があったら、今日これからか明日、高校へ行ってみない?」

 「ああ、いいよ、それよりもさ、並木と三人で中学へ行かない? 高校はあんまり思い出ないんだ、一年足らずしかいなかったからさあ」

 「もう、いないのよ、三年前に」

 「あ、そうだったの、ごめん、ご愁傷様」

 「いいのよ、ありがとう、じゃあ、これから行こうか、近いし」

 真理恵としては、短い間ながら、付き合っていたのが高校に入ってからだったから、高校へ行きたかったのだが、並木に気を遣ってくれているらしい、島田の心遣いを無にするのも気が引けたので中学へ行くことにした。

 歩こうと思えば歩けない距離でもないが、暑くもあり、坂道ばかりなので、老人にはきつく、島田はフロントでタクシーを呼んでもらった。

 鬼薔薇事件以来、校庭へは入れないようになっているので、タクシーで周囲を一周し、ついでだからといって舞子陵を通って高校へ向かい、正門前で降りた。こちらは校庭まで入れたので、見違えるようにきれいになった校舎の間を歩いてまわり、その後はどちらから言ったわけでもなく、舞子陵へ向かった。タクシーへ乗ってからのふたりは、ほとんど無言であった。


 翌日の昼下がりに真理恵のスマホにラインメールが入った。


 大阪からフェリーで河内介の代わりに鹿児島県の志布志まで行きます。志布志からは車か鉄道で鹿児島へ行くつもりです。その後、熊本、長崎へ北上します。

 

 パールブリッジの下を

 大小さまざな船が

 ひっきりなしに

 過去から未来へ

 未来から過去へと

 すべっていく

 時は永遠の旅人


 See You


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